大人の余暇活動
十握が五センチはある厚いドアをノックすると大男が顔をだした。
額の刀傷が目を引く。およそ接客業向きの容姿ではないが腰は低かった。
「これは、これは旦那」
幇間のように揉み手する。
「同伴とはうらやましい」
「まずは規則通りに」
「ええ、そうでした」
十握から見せ金を受けとる。ふたり分であるから金貨二枚である。大男はためつすがめつ眺めて本物であることを確認すると目くばせする。影になっていてわからないが覗き穴があってそこから様子を確認する者がいるのだろう。
「得物がありましたらお預かりします」
「手ぶらです」
「どうぞこちらへ」
「ボディーチェックはいいのですか?」
「勘弁してください。旦那の身をまさぐったなんて知られたらどんな目に遭うか」
滅相もないと大男は首を振る。
その狼狽っぷりに十握は困惑を覚え、ソフィーは笑いを噛み殺すのに苦労した。
もうひとつのドアを抜けると緋色の絨毯が目に飛びこんだ。
煌びやかな世界であった。
大きなホイールの前で黒のベストを着た男が威勢のいいかけ声で運に見放された客の尻の毛まで毟りとらんと奮闘している。
賭場である。
十握はバーカウンターに向かった。
大きな勝負は日が暮れてからなので様子見の客が軽く引っかけている。彼らに酒を提供するバーテンダーは立ち振る舞いが堂にはいっていた。本職を引っ張ってきたようである。
「紅茶を」
西部劇のスイングドアの酒場ならひと悶着おこるところだが、ここの飲食は無料なので他人の注文にあやつける野暮天はいなかった。
「そちらのお嬢さんは?」
「同じもので?」
ソフィーが頷いた。
「かしこまりました」
歓声があがった。
声のする方向に目をやるとポンパドール婦人もかくやの前髪をこれでもかと盛ったご婦人が二個のさいころにキスをしていた。クラップスである。
標準からプラス側への偏差。いわゆるホット・ストリークを掴んだようだ。
さいころの博打は展開が早いのが特徴である。瞬く間に投資額の百倍・千倍に化ける。
ピットボスには歓声が天使の吹く角笛に聞こえたことであろう。だが、それより上の役につく者には福音である。イカサマが介在しないという条件付きだが。ポケットに残っていた小銭を賭けたら雨戸の開け閉めに三十分かかる邸宅の頭金に化けたというレアケースが、より多くの者を惹きつけて金になるということを彼らは熟知している。
大輪の花が鮮やかなカップを満たす黄金色の液体が薄く湯気をたてている。もし、カップに口があるなら歯噛みしたことであろう。紅唇が触れる前に、若い男が駆け寄ってきた。
息も絶え絶えの状態である。
「そんなに急ぐこともないのに」
「そうはいきません」
「景気はよさそうですね」
「すべて旦那のおかげです」
若い男――アーチーは最深部の一角を見る。
そこだけ一段高くなっている。
土足厳禁で、客はクッションの上に胡坐をかいている。
うず高く積もれたチップの山。
これでもまだ本調子ではなかった。
中天に月が――月齢十三・九の月がのぼる頃にはチップの色が高額一色になる。
対座するディーラーは他のテーブルのそれとは異なり気迫があった。
手本引きである。
本朝の伝統的な数字あての博打である。
ゲームそのものはシンプルなので下々の啓蒙に抵触しないが――なまじ学があると統治がやりにくいという封建社会ならではの発想である――高度な心理戦が堪能できる。数字はとっつきやすさを優先してこちらのものに変えた。
十握が教えたのである。
新しく受肉した体は脳も優秀なようで気まぐれで調べた雑学を明瞭に記憶していた。
なりゆきで常連客の揉め事を解決したことでいろいろと頼まれることが増えた。
大半は本分の冒険者稼業が忙しいと――実態は片手間でそれなりに稼ぐという冒険者一本の者からしたらうらやましくも腹のたつスローライフであるが――断ることにしているが、なかには気の毒で袖にしづらいのがある、興趣がそそられるのもある。
そこで裏社会とパイプがあったほうがなにかと便利だろう、が、しかし、没義道な連中は唾棄すべき対象で交誼を結びたくない。いろいろと熟慮した結果、先代の急逝で青息吐息だったアーチーの賭場をてこいれすることにしたのである。地域住民に慕われていたというのが大きかった。
アーチーは岡っ引きになることに異論はなかった。官憲の手先になるわけではないのだ。どのみちなにもしなければすぐ先に破綻が見えていたのである。
条件は見せ金が金貨一枚。いつもニコニコ現金払いで駒を回すのはなし。食事と飲料は無料で提供する。イカサマは禁止。当然、着服も禁止。従業員は講習を受けて最低限のマナーと敬語をおぼえること。麻薬は売るのも吸うのもご法度で、女性を経済動物扱いはもっての他。違反者は相応の罰を与える。最初の違反者――故意に客を勝たせて利益を折半していたディーラーは、十握の針で三十秒間息ができないのを十秒の休憩を挟んで百回繰り返した後に所払いに処せられた。もどってきたら文字通り一家の土台にすると告げてある。この一罰百戒が功を奏し、この手の組織にしては驚くほど規律が保たれている。
かくして、こちらの世界初の本格的なカジノが誕生した。