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別れ

 ルーシェが亡くなった。

 享年十五歳である。

 死が元いた世界と較べて身近な存在であるこちらでも早かった。

 溺死である。死体から強いアルコール臭が漂っていたため、泥酔して誤って川に落ちて意識を失った不慮の事故と処理された。

 酒に飲まれるタイプではなかったという身近な人の声は、生きていれば潰れるまで飲みたくなる時もあるという普遍の真理にかき消された。さすがに女性が横に座って酌をする店だと門前払いをくらうが、娯楽の大半が酒絡みの世界なので少年が酒を買ってもおかしくない。アルコール度数の低い酒は水の代わりでもある。家にある酒をくすねての酒盛りは誰しもが通る通過儀礼とのことだ。

 十握は葬儀に参列した。

 この世界で初の義理がけである。狭い社会である。この手のミスは後々まで尾を引く。エイリアに作法を習い、それでも心配なので同行したピラトの後に倣ってやりすごした。幸い、古着が一般的な庶民に堅苦しい決め事は少なく、地味で黒っぽい装いならなんでもいいとのことで靴を履き替えるだけでことたりた。

 葬儀は重苦しい雰囲気のなか執り行われた。

 愁嘆場が大の苦手な十握は早々に退散した。さすがにサングラスは無理なのでいらぬ騒動をおこしてはならないという配慮もうっすらある。

 だから詳細はわからない。

 母親は泣き崩れていた。

 父親はいなかった。

 代わりに浄財で腹を育んだ神父がいた。そのことを店で話すとエイリアは小首を傾げた。

「珍しいわね。普通は貴族や大店の時しかでてこないのに」

「そういうものですか」

 自由葬でもないかぎり、金襴の袈裟を着た旦那寺の坊主が近隣の坊主を誘ってまた聞きの話を読み聞かせするのがスタンダードの世界にいたので十握は特別なことだと気づかなかったのである。

「身分の低い人は相手にしないから。ちょっとした告解でもたてこんでるからって後回しにされる」

 食欲が落ちて喉が渇いた時に電話した心療内科みたいな木で鼻を括る対応だと十握がぼんやり考えていると、

「きれいな服を着てお高くとまってるけど、九割は酒瓶片手に処刑を見物する連中と同じただの俗物よ。お金を積めばいい人で諫言でも口答えすれば悪魔の手先。救済事業は役人に任せて、スプーンの先に天使がなん羽とまるか討論してれば聖職者さまってもちあげてもらえるんだからいい身分よね」

 とソフィーは辛辣だ。

 贅言だが、高級チョコでおなじみのゴディバ夫人(ゴダイヴァ夫人)の一糸まとわぬ姿で馬に乗ってコヴェントリーの街を廻ったエピソードは、大枚を寄進した夫人を持ちあげて、

「おまえら、篤信深いとこのようにいいことがあるんだぞ」

 と喧伝した教会の捏造らしい。やり口が放免祝いで懲役帰りを賛美するヤクザと同じである。

「ルーシェさんのとこってお金持ちなの?」

「やだ、しらないの、姉さん」

 ソフィーはエイリアのことを姉と慕っている。今ではソフィーのほうがなにくれと世話をする側に回っているが、幼少期に忙しい両親に代わって遊び相手をした名残りである。

「父親が旅商人でかなり儲けてるって噂よ」

「あまりご近所さんとは縁がなくて」

「ああ、そうだった」

 ゴメンとソフィーはたおやかな手を合わせた。

 それから話は脱線してご近所づきあいを密にする方法を探りだす。十握が代理で商店主組合に顔をだす案は、積極的に誤解を招く必要はないという判断と、エイリアと差がない――組合の人たちが陶然と十握に見蕩れて会合にならないという理由で却下。三十分ほど集団思考ブレインストーミングをするもこれといった妙案は浮かばず、形が悪くて撥ねた菓子パンと紅茶でソフィーが仕入れた噂話を拝聴するお茶会に移行した。


 第三道場に不可視の暗雲が垂れこめていた。

 ルーシェの死を皮切りに四人が一週間とおかずに相次いで亡くなっている。

 どれも非業の死である。

 ある者はチンピラの乱闘の巻き添えで将棋倒しになり内臓破裂、ある者はモンスターに喰われ――残された部位と装飾品でそれとわかる――ある者は失火で窒息。また、ある者は石階段から転落して頸椎を折った。五人目はすでに決まっている。食中毒で倒れた。列に加わるのは秒読みである。

 内容が内容なので道場内でおおっぴらに話す者はいないが人の口に戸はたてられない。うるさ型の目を盗んでそこここで話題にのぼる。そして、衆目の一致するところはルーシェの祟りであった。


 一メートルほどの糸がある。

 尺取り虫のようにうねくっている。

 その動きにあわせて先端に結びつけてある人型の紙がコミカルに動いている。

 ぎこちなく跳ねたり、床を滑ったり。イメージはサーカスのピエロか。

 不意に動きがやんだ。

 十握は息を吐いた。

 珍しく額に玉の汗を浮かべている。それを手の甲で拭うと、

「やれやれ、先がおもいやられますね」

 糸使いの練習である。

 眉目秀麗の男の定番武器である。

 見ての通り実用化はほど遠い。

 遠く離れた相手の会話を糸の振動を通して盗み聞きしたり、相手が気づかぬうちに身動きを封じる高度な芸当は、昨日今日、末席に加わった新参者にはハードルが高かった。

 これに関して羞恥心の阻害はなかった。 

 美しい者の当然の権利と認識している。

 ここは第三道場である。

 遠くでせっかちな鶏が時を告げている。

 空は藍色と白がせめぎあう、薄墨をながしたような模様である。

 仕事前のトレーニングである。

 十握が独占している。

 元いた世界でも稀な意識高い行為。火をおこすのもひと手間なこちらの世界で、しかも、不労所得に縁のない庶民が通う道場で実践する者は皆無である。

 宿直という名目で宿代を浮かすピラトは熟寝の最中であろう。酒が抜けるには早すぎる。

 十握は糸をしまうと外にでた。

「これは――見違えたというべきでしょうかね」

 十握の口の端に薄い笑みが広がった。

 ピラトのいる離れからこちらへ右に左にぶれながら歩いてくる者と目があったのである。

 たどたどしい動きであった。ゾンビのように足を引きずっている。

 目下、第三道場で王都からきた旅一座の次に言の葉にのる話題の人物であった。

 六番目の犠牲者と目されている。いや、そうでなくては先の五人が化けてでる。

 ルーシェを暴行していた主犯である。

「考えましたね」

 軽く会釈をして立ち去らんとする六番目に十握は声をかけた。

「ただ殺すだけでは軽いと、殺人の汚名も着せるわけですか。たしかに首謀者が先の五人と同じ事故では鼎の軽重が問われますね」

「――なにを」

 生気のとぼしい相貌に困惑の色が広がる。そこらの男ならひと睨みで追いやる粗野の凝集した塊でも、泰然自若と微笑む美丈夫が前だと調子が狂うらしい。

「あなたはどなたですか?」

「――?」

「とっさにいえないですよね。使い捨てる相手のことなど頭に叩きこんだところで翌日には不要になる知識ですから。で、むさ苦しい男に憑依した居心地は?」

 十握の冷笑と六番目が唇を尖らせたのは同時であった。

 飛燕の速度で飛来する極小の針は十握の右の眼球に触れる手前で静止した。

「やれやれ、人気のない場所でもサングラスはしたほうがいいのかもしれませんね」

 十握は手首を返した。

 返し矢である。

 針は手の甲のひきつれに刺さった。

 目をかばった結果。だが、同じことであった。

 六番目は悪疫に罹患したみたいに痙攣すると崩れ落ちた。針に即効性の劇毒が塗ってあったようだ。

 十握が浮かない顔なのは首謀者を先の五人よりあっさり旅立たせてしまった後悔だが、元より精神憑依された時点で身を焼くような苦しみの果てに廃人と化しているのであるからこれは杞憂である。

 念のため、腹を強めに小突いて狸寝いりでないことを確認すると十握は所持品を検める。

 金目の物はなかった。

 代わりに遺書があった。自首をすすめるピラトを殺害をしたとしたためてある。

 稽古と称した暴行でルーシェを死なせてしまい、慌てて酒をかけて川に投げいれてごまかしたとある。部屋にもどると梁に麻縄をかける予定だったらしい。

 最後の一行はミミズが這ったようで文字をなしていなかった。殺人という過度のストレスと世間の好機の目と、わずかばかりの運の悪さを嘆いて気が触れた風を装ったのであろう。

 十握は針を引き抜いた。六番目の袖で毒を拭うとポケットにしまった。

「――針使い。こっちのほうがあいそうですね」

 十握は離れに向かった。

 ピラトは万年床から離れた位置にいた。

 酔っていても危険を察知する能力はいくらか働いていたらしい。

 寄る年波で目が霞むようになってきた道場主と腕っぷしのみの同僚のしわ寄せで目を通さなければならない書類の山と筆記具、それからなぜか萌え絵調の危な絵を脇に置いてスペースを確保すると十握は膝をついた。

「うまくいったら儲けものということで」

 一見すると顔にそぐわない科白だが、逆にとらえると助からなくてもしったこっちゃないということであるから、玲瓏たる美丈夫らしいといえなくもない。

 しなやかな手が服越しからも筋肉の存在がありありとわかる胸元へ。触れた次の刹那、除細動器をあてたみたいに痙攣したのは注入した気が強すぎたためである。

 加減に注意して注ぎ続ける。

 イメージは気功である。

 気――魔力はこちら側の人間にとってもっとも重要なもののひとつである。

 筋力の劣る女性冒険者が男性顔負けの大立ち回りができるのも、高位の魔法使いやエルフが総じて長命なのも蔵した魔力の働きである。

 理論的には不老長寿も可能である。

 事実、桁外れの魔力を有する神獣や竜に老化の概念はないに等しい。

 一分ほど経っただろうか。

 再生紙のようなくすんだ相貌に赤みがもどる。

 ピラトは目を開いた。

 茫洋と十握を見る。

「ここは天国じゃ……なさそうですね」

「かといって地獄でもないですが」

 十握は微笑んだ。

「毒で死にかけたのですよ。一応、治療はすんでいます。しばらくすれば動けるようになりますので心配でしたらご自身の足で病院に向かってください。わたしは野暮用ができたのでこれで失礼します」

「このお礼はしますよ」

「逆恨みしなければそれで充分です」

「――?」

 十握は踵を返した。


 ピラトがその意味を解したのは翌日である。解毒の効果が残っていて、歴史上、もっとも人類を死に追いやった有機溶剤――アルコールが摂取するそばから分解されて酔えなくなっていたのである。毎夜、安酒をコップ一杯あおってはうな垂れる儀式は約半年続いた。

加筆訂正が全然終わらなくて疲れました。




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