小さじいっぱいぶんの郷愁
「──ごじしんの置かれた状況を理解してます?」
「もちろん、理解してるわ」
大輪の花が目に鮮やかなカップを満たす黄褐色の液体がたてる湯気の向こうでジェシカはいたずらな笑みを浮かべている。
「だから、ボディーガードにあなたを雇っている」
新緑の香りを運ぶ晩春の風に金色の髪がなびいている。
歩いて十分ほどにある雑木林を駆け抜けてきたものであろう。
ふたりは噴水広場近くの喫茶店にいる。
オープンテラス席に座っている。
ジェシカのたっての希望でそうなった。
「目立つ行為は劇場にとどめてほしいものです」
「あら、同僚の実家では定期的に客寄せパンダをすると聞いたけど」
「よくご存知で」
「わたし、耳がいいから噂話がはいってくるの」
近頃はカジノにつきっきりでこっちには顔をだしてくれない、名づけ親なのに、って『シュプール』の支配人が嘆いているみたいね、とジェシカはいう。
「生き馬の目を抜くラウドの住民も役者には簡単に胸襟を開く、と」
十握は息を吐くと十重二十重にできた人の輪を一瞥する。
通行人の成れの果てだ。恍惚と立ちつくしている。当然だが、女性比率が高い。快晴だというのに濡れネズミのご婦人は騒ぎを聞きつけて洗濯など後回しと駆けつけたか。蛇に睨まれた蛙のように十握をひと目見た途端、四肢が鉛と化したのであるが、こちらは食べられることを望んでいる。
「せっかく集まってるんだし、ウインクのひとつもしてあげたら」
「嬉しいこともストレスになります」
「──?」
「前にわたしの教え子のひとりが誕生日だというので招かれた先でバースデーソングを歌いながら──」
その時の光景が脳裏に浮かんだらしく、白磁のように滑らかな肌が、耳の裏が含羞に赤くなる。
いくら、旅の恥はかき捨てとはいえ、高さの違うハイヒールを履いて尻を振るロス出身の女優の歌マネは限度えをこえている。
無論、意図してやったわけではない。
授かった肉体の唯一の欠点である。時折、おこる。容姿に相応しいが、赤面ものの言動を勝手にする。こちらでも寝つきが悪い原因のひとつだ。
「香水と焼き菓子をプレゼントしたところ呼吸困難になりまして」
屋敷を上を下への大騒ぎになった。活発な少女が前触れもなく胸を押さえて苦しみだしたのである。すわ毒殺かと近習が剣に手をかけて周囲を睥睨する一触即発の緊張のなか、おっとり刀で駆けつけた医師のくだした診断は極度の興奮に──十握と相まみえた感動に──心臓が打ち震えたであった。
「それ以降、リップサービスは控えるようにしています」
「じゃ、手を振るだけにとどめておいて」
それでも糸の切れた繰り人形のように崩れ落ちる者はいた。
「三通と一体」
舌の上で転がすように十握がいう。
「──?」
「今朝、調べた贈り物のうち、三通の手紙にそうとわからぬように呪句が、一体のぬいぐるみに得体のしれぬドロドロとしたなにかが仕こまれていました」
ぬいぐるみの細工は元いた世界でいうところの巫蟲の術であろう。蟲毒ともいう。甕のなかで蛇と百足と蛙を競わせる三毒蟲の外法が有名である。赤い紙撚で封をしたそれを対象者の家の門の下などに埋める。──前に、剣と魔法のファンタジーのこちらでも呪殺は現実的ではないと説明したが、それは遠方から横着した場合で、蟲物と至近距離で接すれば別である(もっとも、効率が悪いので使用は稀だ。普通は毒殺を選ぶ)。
「なにが癪に障ったのかわからないけど、金持ち喧嘩せずでろくに接点もない相手のことなど放っておけばいいのに」
それとも、贔屓の役者がわたしのせいで割を喰って許せなかったのかしら、そういうとジェシカはカップを傾ける。
「贔屓筋の犯行とは限りませんよ」
プレゼントがすり替えられた可能性も、名前を騙られただけの可能性もある。
「よくある貴族のお家騒動と同じで真相は藪のなか、か」
「意外と藪は見通しがよかったみたいですよ」
「見当がついてるというの?」
ええ、と十握は意味ありげに頷くと、
「犯人はあなた──ジェシカさんといったら」
「──笑えない冗談ね」
「笑い話ですむかどうかはあなたしだいです」
沈黙は静寂と同義語であった。
周囲から押し寄せるざわめきを床に刺さった針がはねのける。
敵愾心が宿るジェシカの双眸に映る十握は変わらぬ柔和な笑みを浮かべている。春風駘蕩といった趣である。おそらく、決別したその時も──。
「たしかに心臓に悪いわね」
先に目をそらしたのはジェシカであった。
玉の肌が緋に染まっている。
敵意は瞬きまでの命であった。
造形の女神が全精力を傾注した美の前ではいかに舞台の中央を陣どる海千山千の女優とて初恋に身を焦がす少女も同然であった。
「では、名推理をうかがいましょうか」
「得意気に披露することでもないですよ。わがままな女優は珍しくもないですが、商売道具の顔を炎で焼かれそうになってもわがままを貫くのは常軌を逸しています。普通は命あってのものだねとこちらの意見に耳を傾けるものです。──違和感に気づけば予定調和のトラブルだったのではと疑念が湧きます」
おどろおどろしい呪術などこけおどしにぴったりです、と十握がいう。
「わたしの負けみたいね」
「意外ですね。てっきり、証拠がないとあがくかと」
時は金なりよ、とジャシカはいう。
「わたしがそれをいったら、もったいぶって推理を披露するつもりでしょう? ない口髭をしごきながら証拠の開示なんてまっぴらよ」
「吊り橋効果でしょうか?」
「──?」
「危機的体験を共有することで親密を深める、手垢のついた方法です」
「それで合ってるわ。深窓の令嬢が絡んできたチンピラを追っ払った主人公と身分違いの恋に堕ちるようなベタな展開はさすがにバレると反対したんだけど上に押しきられて──」
「なぜ、こんなまわりくどいことを?」
「自己認識がいい加減なのはあなたも同じね」
ジェシカは息を吐いた。
「ラウドに留まらず、王都でもあなたは上の人たちの注目の的よ」
「そうでしょうね」
「驚かないの?」
「横紙破りの自覚はあります」
虎の威を借る狐と、右も左もわからぬ浅葱裏が──泡沫貴族の次男三男あたりが列にならぶ客と揉めて石持て追われた後に家宰を伴ってエイリアに平身低頭する姿は、物見高いラウドの住民の新たな風物詩になっている。
「あなたは矛盾の塊。金持ちなのにパン屋の二階を間借りしてるし、誰もが口を揃えてラウドでトップの冒険者といえばあなたの名前をだすのに、やってることは薬草採集ばかり。受付のクレアさんが嘆いてたわ」
「ベッドが変わると寝つきがさらに悪くなるもので遠出は苦手なんです」
「それだけじゃない」
ジェシカは続ける。
「エイリアさんを筆頭にきれいな女性を侍らせているのに浮いた話のひとつもでてこない。極めつけは副業ということになっているトラブルシューター。有力者の割のいい依頼を情れなく断ったとおもいきや、興味深いのひと言で貧乏人のなけなしの銭を受けとる。持ち出しもいとわない。パン一斤にもならない報酬で山賊退治に精をだす酔狂はハルコン王国広しといえどあなたくらいよ」
「気になるなら直に訊けばいいのでは?」
「普通の平民ならそうするわ。でも、あなたのバックには神がいる。容姿がなによりの証。両親の形質の組み合わせでどうにかなる次元じゃない。──できることなら手元に置いておきたい。でも、下手に関わって猫より気まぐれなあなたの機嫌を損ねるのはまずい。最悪、世界の半分を敵にまわすことになる。結託した奥さんと愛人と娘とメイドに寝こみを襲われたらひとたまりもない。仕方がないから、遠巻きに観察するか、おそるおそる距離をつめることになる」
「放っておくという選択肢は?」
貴族は猜疑心が服を着た生き物よ、とジェシカが首を横に振る。
「──あなたの役割は?」
「わたしには断片的だけど前世の記憶があるの。どこか遠くの世界の──」
「おや、風変わりなかたとおもっていましたが──戦士症候群でしたか」
「なに、その憐れみの目は?」
「わたしの郷里では前世の記憶をよびもどす儀式は大変危険を伴うもので、前世を吹聴する十人に八人は注目を集めたいだけの嘘つきです」
残りは現実逃避と向精神薬が必要な手合いだ。
元いた世界のオカルト番組で○○の戦士を自称する者を見ると、仲間を集う前に戦士なら戦士らしくそのビールで育んだ腹をなんとかしろと唇をとがらせていた十握が、オカルトに懐疑的がゆえに初歩的な魔法にも難儀するのは皮肉な話である。
「前世の記憶なんてここじゃ個性の範疇で特別なことじゃないわ」
「そうでしたか」
「まるまるおもいだしたとか、まったく別の世界のとかはめずらしいけど。わたしに白羽の矢がたったのはその前世の記憶を買われて」
「変わり者同士、話が合うと?」
「まわりくどい説明だったけど、平たくいうとそうなるのかしら。──あなたも前世かはわからないけど別の記憶を持ってるんじゃなくて?」
さて、と韜晦する十握に、ジェシカは弄うようにいう。
「草食の熊はこっちにはいないの」
「──?」
「客寄せパンダ」
十握が苦笑する。
「鎌をかけてましたか」
「こんなのに引っかかるとはおもっていなかったけど」
「内緒にしてもらえます?」
「親密な友だちのお願いなら。手ぶらで帰るわけにもいかなくて」
「では、友だち以上恋人未満でどうでしょう?」
「決まりね」
肩の荷がおりたジェシカが椅子に寄りかかる。
「友達以上恋人未満──地方都市に住む幼馴染みくらいの間柄かしら。ちょっと揉めたら周囲に痴話喧嘩とからかわれるような。それで、兄を慕う妹がちょっといい感じになると邪魔してくる──」
「前世は読書家のようで」
「ええ。よくわからないけど腐ってもいたみたい。──なんのことかわかる?」
「さて、死因がアンデッドに咬まれた、とか」
他意はない。説明が面倒なだけだ。
元いた世界で変わった事件がおこると事実は小説より奇なりとしたり顔でのたまうワイドショーのコメンテーターに、
「だったら、木の根っ子が女性を襲ったりするのか?」
と反駁する十握に他人の読書遍歴を嗤う資格はない。
「そうそう、ひとつ気になることがあるんだけど」
「あなたがたと違ってわたしはプライバシーは切り売りしない主義です」
「ちょっとした疑問よ。神の存在を実感しているのに教会を嫌うのはなぜかなって。──売僧に『お尻、見せなさいよ』って迫られた?」
「あそこにわたしの神はいません」
十握はにべもない。
悪い癖で会話が長くなってしまいました。
もし、ぬいぐるみのなかに詰められていたものが本物の三毒蟲の外法──ドロドロに溶けた蟲の死骸でしたら大惨事になっていたかもしれませんね。
──執筆しながらYouTubeを適当に再生していたところ、とある配信者が「特定の人種や団体ということでレッテル張りは頭の悪い人のすることだ」というような主旨を述べていて、気になってコメントを確認するとおおむね同意していました。
これは変です。大変聡明であらせられる読者のみなみなさまなら説明するまでもないこととはおもいますが、一応、いわせてください。
偏見はよくない。
まあ、そうでしょう。日本人が全員出っ歯でカメラ好きとおもわれたら心外です。
でも、悲しいかな、重ねて悲しいかな、偏見は時に役にたつ。
そりゃ、世間的に悪いイメージの人たちのなかにも気さくな人は、当然、いますよ。趣味の会とかで会うなら好人物ですみます。
ですが、利害関係──組織や国が絡めばそんな人だって平然と牙を剥く。
山一抗争の時は実の兄弟が争うことがあったそうです。
長野オリンピックの聖火リレーを邪魔した中国人は──検索すれば車から身を乗り出して五星紅旗を振る姿がでてきます──本国に命令されてのことです。
大企業や政治家なら清濁あわせもつ度量が必要なのかもしれませんが、一回のトラブルが致命傷になりかねない一般人はそういうわけにもいきません。
コロナと同じですよ。
たいていは風邪に毛のはえた程度ですむとはいえ、稀に重い後遺症が残るとくればひとごみではマスクをしたほうが無難です。
人類皆兄弟でも戸締まり用心火の用心は大事ということです。
あの笹川先生が経験から得た言葉ですから間違いない。
もちろん、表だって偏見をいうのは揉める元なのでダメです。
それでは、また、次回にお会いしましょう。
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なごにゃんを食べながら。
追伸
古くさい、話を引っ張るためだけに無理矢理揉めていて気分が悪いとあちこちで酷評の月九の影に隠れていますが朝日のドラマもなかなかにあれですね。
ミステリー一辺倒だと危ういと挑戦しているのかもしれませんが、火曜日のは海外の子ども向けドラマみたいなゆるさで、日曜のほうは陰気くさい。
最近は懐古趣味が製作陣の間で流行ってるのでしょうかね。
話題性と称してドギツイネタを雑に扱って、当然のごとくクレームがくるとごめんなさいのひとことですんだのはネット以前の話です。
今ではただの迷惑系とさがありません。
昔の人を引っ張りだしてカビのはえた古いドラマを作る、若い脚本家を起用したのに上の介入で結局古くさくなってしまう。
個人的にテレビ局が生き残る道はドラマだとおもってますので──少人数で活動するYouTube等では無理です──頑張ってもらいたいものです。
まずは、毎日やってるバラエティーの特番をやめて、二時間ドラマを復活させてはどうでしょう。それと、ちゃんとした時代劇も。
後味が悪い悲劇が大っ嫌いな理由は次回にでもお話しします。




