分別
その日、第三道場は静かな混乱をきたしていた。
本来の主であるむさ苦しい面々がひと仕事終えて顔をだすと、門前で待ち構えていた師範代のピラトに挨拶もそこそこに中庭に行くようにうながされる。
建前は実践に即した野外練習となるが、おためごかしなのは明白である。
だが、彼らは従った。
これがいかにおかしなことか。
魔術師、魔法使い《ウィッチ》、妖術使い《ソーサラー》──呼び名はなんでもいいが、彼らとて冒険者のはしくれである。
頭ごなしに貸し切りといわれたのである。補填もなしで。本来であれば揉める。魔法職にとって剣の道場は元いた世界のフィットネスジム感覚である。打ち壊しは大袈裟にしても、師範代のピラトに喰ってかかっておかしくない門下生が唯々諾々と従ったのは道場の四隅に刺さった針に気づいたからだ。
陽光を浴びて妖しく光る人さし指ほどのそれは希少な金属を混ぜた特注品である。
諸物価高騰の折、他の道場が月謝をあげるなか現状を維持し、かつ、上等な菓子や酒の差しいれにありつけるようになった功労者の頼みとなれば別だ。
道場はむせ返るような甘い色香に満ちていた。
同席を許された女性たちが蕩然とたちつくしている。
たちあいを凝視している。
トレーニング後の余興である。
横紙破りのせめてもの償いである。
ジェシカが烈帛の気合いと共に突進した。
舞台の中央を陣どる看板役者だけあってさまになっていた。
こちらの住民は切った張ったに慣れている。殺陣といえど目が肥えた客を唸らせるには実戦でも通用する胆力が求められる。
彼女がとりだ。
九〇センチほどの長さの細い木の棒に布を巻きつけたものを握りしめている。
剣の代替品である。
十握は今もなお元いた世界の倫理観が揺曳している。女性相手に木剣を振るうのに抵抗がある。並の男などよりはるかに強い冒険者であったとしてもだ(もっとも、朱にまじれば赤くなる。正当防衛なら一切の迷いはない)。
ルールは十握がうけ持つ子どもたちの健康増進コースと同じ。二本先取した者の勝ち。逆胴と足はありだが、顔と喉と股間はなし。が、あくまで実戦を想定しての試合なので急所を庇いながら戦うことが求められる。
木の棒は美しい残像を貫いた。
首筋に鋭い痛みがはしったのは悽愴な気を受けての錯覚だ。
十握はジェシカの背後にいる。
木の棒がジェシカの肩にやさしく触れると万雷の拍手が室内を席巻した。
二対一で十握の勝ちだ。
一本とられたのは相手の顔をたててのことである。余興ならではのサービス精神である。月謝が発生する習い事は追従六割批判四割がちょうどいい塩梅と十握はおもっている。貴族相手なら追従七割批判三割でもいい。厳しくしないと育たないが、楽しくないと続かない。おのれの知識不足を棚にあげて根性論で押しきろうとする指導者は十握にとって手が汚れるサンドイッチの次に忌むべき存在であった。
「謙遜にもほどがあるわ」
その場にへたりこんだジェシカが息も絶え絶えに、
「剣は得意じゃないような口ぶりだったけど──なかなか、どうして──王都の剣術大会にでても上位入賞狙えるんじゃなくて」
「剣にすべてを捧げた人にはかないませんよ」
十握は額を掻きながらいう。涼しげな顔。こちらは汗ひとつ掻いていない。
「度がすぎた謙遜は嫌みか低脳のどちらかよ」
「強力な魔法を放っておいて、『おれの魔力が非常識というのはけた違いに弱いという意味なのだろう』と勘違いする地味な男は間違いなく後者でしょうね」
「──? そんな低脳いるの?」
「不思議なことに」
相手の表情、声音から意図を読みとろうとせず、あまつさえ真逆の解釈する。心の機微などしったこっちゃない、自己主張とわがままをはき違える低脳は過労死と無縁のはずだがと首を傾げる十握は、元いた世界でライブ配信のコメントでさえ誤解されやしないかと推敲しているうちに機を逸する慎重派だ。
「では、苦手だから手加減ができないというのは?」
「それも嫌みっぽいけど、あなたなら受任範囲ね」
「ご理解いただけてなによりです」
刃物に苦手意識があるのは事実である。なにせ、強化プラスチックの護身具が軽犯罪に引っかかる世界にいたのである。加えて、ひとり暮らしの気安さもあって食事は外食か弁当が主で包丁に触れる機会は稀だ。が、しかし、ナイフはひとり一本があたりまえのこちらで──突ったっていればお付きが服を着せてくれる貴族の子女も例外ではない。ナイフは武人のたしなみである──先端恐怖症は理解されない。嘘をつくのは心苦しいが方便ということで、なにかを切断する時はもっぱら糸に頼っていたため刃物は苦手意識があるで通している。
「次はなにをしますか?」
十握が訊く。
「わたしとしてはホテルで優雅にティータイムなどおすすめしますが」
「ティータイムはいい案ね」
「恐れいります」」
でもね、とジェシカは弄うように上目遣いで十握を見る。
「せっかくのラウドだし、いろんな店を回ってみたいの」
十握は肩をすくめた。
最近、夏バテで筋トレをサボりがちです。
これはいけません。せっかく、夜のディスカウントストアやスーパーなどで三人集まればうるさくてかなわないがひとりだと借りてきた猫以下や、やさぐれていた頃の気分が抜けきらない老人が遠慮するていどの見た目にはなれたというのに。
あの手の人たちってなにげに観察してるんですよね。
運動とまったく縁がなく、荒っぽいこととも無縁の──小説や漫画もその手のものは一切読まない──知人はいまだに痩せたことに気づいていないのに(友人でもない相手にわざわざこちらからいうことでもないので)。
コバエを払うていどの筋トレならそう難しいことではないのでみなさんもとり組んでみてはどうでしょう。少なくとも、汗をかく習慣は体臭の軽減になりますし。
では、また、次回にお会いしましょう。
よろしければブックマークと高評価をお願いします。
カップのスガキヤを食べながら。
追伸
たぬかなさんがVのファン──高額スパチャする人たちに苦言をていしたらしいですね。
コメントを読むだけの見返りに高額スパチャはバカげている。
Vはあこぎな商売だ。
ざっくり要約するとこんなところでしょうか。
あこぎはいいすぎとしても、高額スパチャについてはおおむね同感です。素敵な歌のお姉さんのとこみたいな801円くらいなら、文字通り、投げ銭の範疇ですが、赤が飛び交う光景を目のあたりにすると不思議の国に迷いこんだ気分になります。好きでやってるんだから放っておけという意見はもっともですが、悪貨は良貨を駆逐するという言葉があります。娯楽はほどほどが肝要です。生活に彩りをもたらすはずの趣味で生活が苦しくなるようでは本末転倒です。
趣味に前のめりの人はたいてい横の比較が雑になりがちです。
縦の比較──夜光蟲のようなパソコンを買ったとか、穴も開いていない抱き枕と添い寝してるとか、同類のファンと比較してお金をかけたことで優越感に浸るのはさぞや楽しいでしょう。ですが、たまには立ち止まって横の比較──そのお金を他に回していたらなにが得られたか考えることも必要です。
高額スパチャの一万円でなにが食べられる? 漫画がなん冊買える? 映画がなん本観られる? あだやおろそかにしていい額ではないと気づくはずです。
服を新調するのもいいでしょう。小旅行もいい。
ちょっといい歯みがき粉や洗顔剤、シャンプーを買うのもいいですね。
応援もなにもVのかたのほうがたいてい裕福なんですから、こちらが爪に火をともす生活をしてスパチャ代を捻出することはないんですよ。
あ、牛丼やカップラーメンは優秀すぎるので基準にするのはやめておきましょう。