甘酸っぱい記憶
ラウドの住民の享楽的な気質が端的にあらわれるのが祭りである。
杉が人々の顔を汚して悦にいるには、まだ、肌寒い陽気であるというのに子どもたちは半袖短パンで駆けまわり、それと競うように妙齢の女性がすらりと伸びた素足をさらして男たちの熱い視線を集めている。
祭りは盛況であった。
エイリアの屋台はいうにおよばず、大道芸人や天と地の境界が曖昧だった神世の昔におもいをはせる吟遊詩人に人の輪ができている。
時折、聞こえる怒声は短気な者が威嚇しているのであろう。
元いた世界と違ってこちらの住民は人の間を縫うように進むことになれていない。山出しは特にそう。肩がぶつかっただの足を踏まれただのは頻出する。
当然、揉めるのだが、荒事に発展するのは稀だ。
他人の目がある。
それも生き馬の目を抜くラウドっ子の──。
「見世物じゃねえぞ」
好奇の視線に堪えかねたチンピラが訛り剥きだしに喚こうものなら、
「たしかに、あんたじゃ金はとれないね」
「夜の営みじゃねえんだ、そう恥ずかしがるなや」
「ごたくはいいからまずは川にでも飛びこんで溜まりに溜まった汚ねえ垢を落としてこい。田舎者は芋臭くて鼻が曲がりそうだぜ」
野次が飛ぶ。哄笑が耳朶を打つ。
トラブルを祭りの余興と歓迎している。
だから、この街で面白おかしく生きていける。
笑う門に福きたるは世界を問わぬ金言である。
死んだはずの魚が強力な魔力にあてられて息を吹き返し、一矢報わんと料理人の喉笛目がけて襲いかかることがあるのがラウドだ。
少々のことは笑い飛ばす気概がなくてはとっくに胃に穴が開いている。
喧嘩っ早い者たちは得物に手をかけたり、小声で呪文を詠唱と臨戦体勢である。合法的に人を壊す機会を窺っている。子どもの小遣い銭から剣が買えるこちらは正当防衛の基準が緩い。剣は脅しの道具ではない。激昂して抜けば殺意ありとみなされる。剣が人を殺すのではない。人が人を殺すのである。ならば、不埒な使用者を厳罰に処すのがこちらの常識である。
郷里では強面で通っていたであろう山出しもここではおもちゃに堕ちる。
彼にできることは地面を掴むように足の指に力をいれて震えをごまかしながら虚勢をはるだけだ。
そうこうしているうちに騒ぎを聞きつけた地廻りがやってきてお開きになる。
騒々しい場所である。だが、元いた世界の陰陽五行説でいうところの陽中の陰のような静謐が一ヶ所あった。
その中心にいるのは──十握だ。
不可視の糸で唇を縫われた者たちの反応はさまざまであった。
メデューサに睨まれたかのように塑像と化した者がいる。
滂沱の涙を流す者がいる。
奇跡を目撃したかのように手をあわせる者がいる。
造形の女神が全精力を傾注した美の頂点を脳裏に焼きつけんと目を見開く者がいる。──もっとも、視界に紗がかかっていて朧げではあったが。
悪疫に罹患したみたいに戦慄くのは──足元を見られて小指の治療費をふんだくられた憐れな子羊か。
「やっぱり、あなたにしてよかったわ」
ジェシカの声は弾んでいる。
「誰もわたしのことなど気にもとめない。みんな、あなたに釘づけ。人ごみを気兼ねなく歩けるなんて駆けだしの頃以来よ」
「それは重畳です」
「そっけない反応も久しぶりだわ」
「わがことのように喜ぶべきでしたか?」
「阿諛追従する冒険者は信用ならないわ」
繊指が口の端についた白いものを拭い、紅唇へ運ぶとジェシカは恍惚の笑みを浮かべる。白いものはクリームである。舞台の中央に陣どるだけのことはある。もし、見るものがいればおもわず息を飲む艶かしさがあった。
「それと、出展しているあなたのお店の──」
「エイリアさんのお店です」
「訂正するわ。あなたが自由意思による清貧だとか柄にもなく意識の高いことをいって──本当は引っ越しが面倒なんでしょうけど──居候し続けているパン屋の牛乳パンというの? 画期的で驚いたわ」
「お気に召していただけたようでなによりです」
「今度はちゃんと感情がこもってる」
誰が発案したのか訊くまでもなさそうね、とジェシカが弄うようにいう。
「クリームの質が高いことは当然だけど、決め手は柔らかくてほのかに甘いパンね。ちゃんとケーキのスポンジ代わりになっている」
「普通の固いパンでは食感がいまひとつですので」
牛乳パンは長野県の名物でたっぷりのクリームを挟んだレンガのような形のパンである。屋台の出し物としては、季節柄、フルーツサンドは高価なこともあり、当初はクリームパンにするつもりであったが、試食をした女性陣の──特にソフィーのクリーム増量を求める声に押されて菓子パン枠は牛乳パンに決まった。いうまでもないがバタークリームである。バタークリームは日持ちする上に常温でも形が崩れにくい。冷蔵庫のない世界にホイップはギムレット同様に早すぎる(魔法で日持ちは可能だが、それは上流階級の特権である)。
「さすがはラウドでも指折りの甘党の面目躍如といったところかしら」
「よく、ご存じで」
「身辺調査は基本よ。破格の報酬を払うのだから」
「給料ぶんの働きはしますよ」
ジェシカは腕を掴まれた。
引き寄せられた格好だが、傍目にはみずから十握の胸元に飛びこんでいったように映ったことであろう。それくらいスムーズであった。
ジェシカが厚い胸板に顔を埋めた次の刹那、紅蓮の炎が残像を焼きつくした。
それは火吹き男の放ったものであった。
ポップロックキャンディーを舐めていたおさげの少女のリクエストで吹いた不死鳥を象った炎が、突如、旋回してジェシカを急襲したのだ。
火吹き男はすでに周囲にいる有志の手でとりおさえられている。
運のいい男である。
もう、三十センチほど炎がずれていたら離乳食から仕切り直しは確実であった。十握を敵にまわすということはラウドを敵にまわすことを意味する。
「お怪我はありませんか?」
ジェシカが頷くまで間があった。
さすがにとりつくろうのは難しかったらしい。
オニキスを嵌めこんだような黒瞳に映るジェシカの白磁のようななめらかな肌はほんのりと赤みがさしている。
「意外と大胆なのね」
男のそれでありながら女性よりたおやかな手がくびれた腰にまわっている。
「女性と接する時は踊ることが多いので、つい」
ゲセリット侯爵家の紋章がはいったコートをよこした相手──セシルがラウドにたち寄った際は社交ダンスの練習につきあうことになっている。
「では、リードしていただけるかしら」
「ワルツでよければ」
ふたりは見つめあう。
シャロンは体が火照っている。
吐息が面貌を掃く距離から十握を仰ぎ見ることで。
意中の男と初めて手を繋いだ少女のように震えている。
無理もない。
相手はラウドでもっともスカートに耐久性を求める女性たちがひと目見た途端、とうに磨耗したはずの感情が甦って見悶える稀有な存在である。
十握の相貌も上気している。
気恥ずかしさから。
ふたりだけの時間──だが、現実は常に野暮天だ。
「失礼します」
嫉妬した月に代わっておしおきならぬ、牛乳パンより甘い雰囲気に水をさしたのは地廻りのひとりである。
リーダー格であろう。恰幅のいい男だ。
白のブラウスを着ている。こちらではありふれた格好だ。元いた世界でもブラウスは中世ヨーロッパだとユニセックスの普段着である。
膝に手を置いて頭をさげる珍妙な挨拶からアーチーの身内であることがわかる。今回はアーチーの仕切りらしい。月に一回の祭りに縄張りはない。持ち回りで二十日会の月当番が警備を担当することになっている。
「旦那のお連れを狙った不埒な野郎の処遇をどういたしましょう? 旦那が後で直々に尋問なさりたいというのでしたら納屋にでも押しこんでおきますが」
「彼はなんといってます?」
「なに者かに石かなんかをぶつけられて手もとが狂った、と」
「信憑性は?」
地廻りは肩をすくめる。
「いかんせん、目撃者が不在で」
「あなたの見立ては?」
「嘘をついているとはおもえません。あの怯えが演技だとしたら王都の審問官だって騙せますぜ」
一応、素性は洗いますが、と地廻りはつけ加える。
「では、おまかせします。火遊びはお祭りでも特に人気のある演目ですので、あまり、手荒なことは控えるようにお願いします」
「わかりました。来月も参加できるていどにすませます」
地廻りは一礼するとたち去る。
その光景を少し離れたところから見る者がいた。
「たいした女狐ね」
感想をのべたのはソフィーである。
「ええ」
相槌をうったのはシャロンである。
連れだつふたりを見かけて矢も盾もたまらず店を抜けだしてきたのだ。
今頃は、ポウルが額に汗して穴埋めに追われていることであろう。エルフの血が濃いエイリアは蒲柳の質で、時間をかけて丁寧にパンを焼くことにはたけているが、せわしない接客は苦手としている。
「顔を焼かれる瀬戸際だったのにまったく動じていない」
「あ、そっち」
「──そっちというのは?」
怪訝な顔をするシャロンにソフィーは説明する。
「わたしがいいたいのは魔性の女ってことよ。体の中心は十握さんのほうを向いているのに──明白な好意があるのに──あえて、一歩引くことでそこらの猪突猛進の女たちとは違うとじぶんを売りこんでいる」
「──やっぱり、女優というわけか」
「ま、芸術活動は支援するけどその担い手とは関わりたくもないと公言して憚らない、トレントの根っこよりひねくれた十握さんのことだから、あざとさが鼻について逆効果かもしれないけど」
近くで観察しているだけあってソフィーは十握の為人を熟知している。初対面の相手が会話の速度や口調を露骨にあわせてくると舐められたものだと反発心が鎌首をもたげる十握は、元いた世界のバラエティ番組で水に落ちたグラビアアイドルがみずから服をずらす健気な姿に胸を打たれる変わり者である。
「逆効果かどうかはわからないけど──」
シャロンがいい淀む。
「なにか気になることでも?」
「これは勘なんだけど──あのふたり、なんとなく馬があいそうな気がする」
「しょせん、勘でしょう、と笑い飛ばせないのがツラいところね」
ソフィーは肩をすくめる。
幾多の死線をくぐり抜けてきた元暗殺者の発言は重みがあった。
遅くなったお詫びではないですが、ちょっと、お役にたつ情報を。
わたしもリラックスしたい時があります。とはいえ、瞑想ですか──内なるじぶんと見つめあうだなんてけったくそ悪いことはしたくない。座禅はただ見つめるだけですのでわたし向きではありますが、いかんせん、結跏趺坐がキツくて長くはできない。そこで、足は腰幅くらいで立って床を掴むイメージで指先に力をいれて、座禅と同じ目を開けたままで手を後ろに軽く振るリラックス法をしています。
後は呼吸音に意識するもよし、丹田──へそ下9センチあたりを意識するもよし、足の裏から正中線を伝って頭頂部へ各部位を順に意識するもよし、細かい方法はお好みにおまかせします。まずは、カップ麺を待つ間くらいからはじめてみてはどうでしょう。気持ちが落ち着きますよ。
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では、次回にまたお会いしましょう。
岐阜タンメンを食べながら。
追伸
なんとはなしにたぬかなさんの切りぬきを見ました。いやはや、口が悪いという前評判は本当ですね。ただし、面白い。超常現象の番組にでて宇宙人に姦られたとぬかす女性と同じで顔出しで変なことをいわれると普通はドン引きするのですが、なぜか、たぬかなさん相手だとそうはならない。舌禍で堕ちる前の、テレビ番組に出演した時の映像だと本人はごまかしているつもりでも嫌な感じがひしひしと伝わるのに。干されたことで適度に脂っけが抜けて見やすくなったのかもしれませんね。
もうちょうい、毒を控え目しにてVにでも転生すれば受けそうな逸材ではあります。
なんか、憎めない、愛嬌があります。
あ、だからといって、実はいい人じゃないかと擁護するつもりは毛頭ないです。そんなのちょっとやそっと触れたくらいでわかりませんよ。悪党が面白おかしく生きようとしたら人たらしの才能は必須ですから。
──さらに余談ですが、本当はよくないことなのでしょうが──あんなにおおっぴらにやってて問題にならないのが不思議なくらいです──サンドリの切り抜きを見ていて違和感を覚えました。
Shortsの川越達也氏の水の回だけ異常にコメ欄が荒れている。
自業自得だ、いや、貧乏人のやっかみで潰されたとバチバチにやりあってる。
令和の時代にわざわざ蒸し返しすことですかね?
じぶんとしてはそんなこともあったなくらいの感覚なのですが──。
ことの詳細を書いているかたのコメントを読んだうえでじぶんでも当時の記事をいくつかあさってみましたところ、結論は川越さんの軽挙妄動といたりました。
勝手に水を注いでメニューに載ってもいない料金をとっちゃ駄目ですよ。
水の高い安いは論点のすりかえです。テーブルチャージの代わりとは違う。テーブルチャージならその名目でとればいい。夜のお店だってホステスチャージにチャーム代とあわせてテーブルチャージをとります。大半がアルコールに弱く、かつ、飲酒運転の取り締まりが厳しい日本で、欧米のような酒の提供を前提としたレストランのシステムは違和感があります。料理店はすべてその国の味覚風土にあわせて変化するものです。現にチップの義務はありません。
コンプライアンスが厳しい今だったらもっと問題になったことでしょう。
そういった経緯を無視して執拗に擁護する人がいる。煽る人がいる。
度がすぎるので、某掲示板にありがちのじぶんを盛りに盛ってマウントとろうとする鼻つまみ者(サンドリのコメ欄で文章がどこかの活動家そっくりの威勢のよさと内容が反比例とくればほぼほぼハッタリでしょう)のみならず、川越さんを表に引っ張りだして、またぞろ、金を稼ぎたい連中が火消しというか過去を改竄しているのではないかと勘繰ってしまうくらいです。
そんなことに情熱を注ぐより他にもっと有意義なことがあるでしょうに。夏休みだったら九九が六の段でつかえる坊やが暇潰しと飛蝗のように群がっただけの可能性もありますが、ギムレット同様にまだ早いからまったくもって不可解です。
ああ、そうそう。
「それってあなたの感想ですよね?」
お約束のクレームをしたくなる人がいるかもしれません(ひねくれた文章におつきあいいただける忍耐力があって聡明なみなさまのことですから軽く聞き流すていどで目くじらをたてるかたは皆無と信じていますが)。
前もって反論すると、
「もちろん。後書きは筆者が感想を書く場です」
他に書くことなんてありゃしませんよ。
とにもかくにも、コメ欄の熱量が尋常ではないのは揺るぎない事実です。
疑心暗鬼にもなりますって。