殺戮の天使
もし、満天の星々に手があったとしたら万雷の拍手を送ったことであろう。
邸内を巡回する屈強な男たちが金鈴のような声に気づいたのは今際の際のことであり、それが歌であることに気づいたのは胴と首が離れた瞬間であった。
シャロンである。
今宵もナース服に身を包んでいる。
ピンクと緋色のだんだら模様である。
緋色はすべて返り血であった。
わざと浴びている。
気分は春雨じゃ濡れてまいろうである。
久しぶりの荒事に高揚している。
シャロンは重力を感じさせぬ軽い足どりで奥へ向かう。
紅唇が紡ぐ言葉は切なげである。
こちらの歌ではなかった。
有名なロボットアニメのオープニング曲である。
十握が小声で口ずさんでいたのを覚えたのである。それも、一発で。優れた聴覚を有する元暗殺者の面目躍如であった。
女性の歌だけあって彼女のほうがさまになっている。
気持ちがはいりやすいのであろう。
十握は石橋を叩いて渡る慎重派である。鼻歌を歌う時も用心してこちらにそぐわぬ概念と名詞は避ける。必然的に主張の強い歌はふるいにかけられてなんとなくの雰囲気ものが残る。口さがない俳諧師あたりが、情景がなにひとつ浮かばないと一刀両断する歌詞である。だが、しかし、陰気臭いことを安易に謳っていれば──失恋や死別など──高尚と見なす意識の高さを僭称する連中と不倶戴天の間柄の、本屋の手作りポップを眺めていると安中散が欲しくなる十握には、言論明瞭内容不明瞭の雰囲気もののほうが共感羞恥心を刺激されずありがたい。
これは贅言だが、十握は単眼派である。
不運にも鉢合わせしたメイドが恐怖にたちつくす。
「お願い、誰にもいわないから見逃して」
「下手ね。三十五点てところかしら」
「──?」
「いいこと教えてあげる。本当に怯えている人は刃物以外に目がいかないの」
艶然と微笑むシャロンと対照的にメイドは悪鬼の形相を浮かべる。
銀線が宙を薙いだ。
カランビットナイフがメイドの右腕を切り落とすと返す刀で声帯を裂いた。
まるで、レタスを切るような気さくさである。
贈り主の親愛の情が不可能を可能にしていた。
シャロンは床に落ちたかんざしを拾うと鼻を近づける。
「──アルカロイド系かしら」
うなじにかんざしが刺さった次の刹那、悪疫に罹患したみたいにメイドが震えだした。
激しかった。
双眸から流れる涙は──緋色だ。
無論、喀血もしている。
九穴から溢れている。
さぞや、つらかろう。
もし、声帯が無事であったなら断末魔が耳朶をつんざいたに相違ない。
体内でなにがおこったというのか?
輪郭がぼやけるほどの痙攣をおこす成分とは、一体?
十握なら後学のためと観察するところだが、元暗殺者は冷ややかだ。
「間違えたみたい」
舌をだすとシャロンは目的地をめざす。
毒がなんであれ結果は同じだ。
館の主──ルーピーが異変に気がついたのは、難しい話が終わって件のごとくアルコールで育んだ腹を前後に揺らしながら芸術について的はずれな演説をかまし、それを腹心二名がさも初耳であるかのように大仰に反応して雇い主の自尊心をくすぐっていた時であった。
自慢話にうんざりしたドアがシャロンを招きいれた。
不意に室内が明るくなった。
これは彼女と無関係である。
その美で周囲のものまで輝かせるは造形の女神に愛されし十握の特権だ。
雲に隠れていた月が顔をだしている。愛する男の大事な部下となればやはり特段の注意を払うか。
反射的に得物に伸びる手を阻んだのは妖艶な色香である。
返り血を浴びるシャロンの凄絶の美に三人は、束の間、塑像と化した。
「ノックもなしとは淑女らしからぬ不調法ですな」
心内の動揺を隠してルーピーは大物を装う。
「急いでいたもので」
「でしょうな。で、可及的速やかな用事とは?」
「ダーリン──じゃ、なかった。ボスからの言伝ね」
シャロンが背筋を伸ばした。
三対の粘ついた視線が強調される形の双丘を槍衾にする。
「ボスがいうには『わたしは子ども向け読み物の低脳主人公と違って、たかが娘をおもう情の一点で虐げられた人々の慟哭を帳消しになどしません』だって」
「それはどういう意味で?」
「ひらたくいうと、不誠実な──嘘をついてボスを利用しようとした人には地獄の獄卒も泣いて許しを請う罰をうけてもらうってこと」
「なるほど、そういうことですか」
ルーピーが舌の上で転がすようにいう。
「で、顔に泥を塗られた本人がこないのはどういった理由で?」
生まれてこのかたじぶんで服を着たことのないご婦人とデートの約束でもありましたか、とルーピーがあてこするようにいう。
「あなたの愛人と芝居見物に出かけているのかも」
「たしかに、あの尻軽なら誘われれば一発でなびくでしょうな」
ルーピーが肩を竦める。
「安心して。尻の軽い愛人だけとは限らない。女性ならだれでも──あなたの母親でもデートの誘いとあれば家族をほっぽりだして駆けつけるわ」
「想像したくもないが、そうなるでしょうな」
「殺る時はわたしにまかせる約束したの」
恨まれる覚えはないのですが、とルーピーは息を吐いた。
「仕方がありませんな──勇ましいお嬢さんの相手をしてさしあげなさい」
腹心ふたりがたちあがる。
関節の鳴る音はシャロンから向かって右の男の拳から聞こえている。
大柄な男であった。
麻のシャツ越しでも筋肉の隆起がはっきりと見てとれる。
強面する相貌は下卑た笑みを浮かべている。
屹立したものがズボンの布地を押しあげるのは、組み伏した後のことを想像したか。嗜虐心と性欲が満たせるとくればクズには願ったりかなったりであろう。
だが、そこまで自己主張をしてももてない男の悲哀で、シャロンの関心は左の中肉中背の男にあった。
大男など眼中にないといわんばかりである。
「どちらがやる?」
大男がシャロンを睨んだまま、同僚に声をかける。
「ふたりいっぺんに」
「情けねえことぬかすな。女相手にふたりがかりは姦る時だけで充分だ」
「なら、譲りますよ」
「殊勝だな」
「さっき、食ったピーナッツバターで胃もたれしていて──」
「後で、海に木の枝を突っこんでるみてえだって文句いうなよ」
「穴はふたつあるんですぜ、兄貴」
「違えねえ。足りなきゃ作りゃいいしな」
裂帛の気合を放つと大男は突進した。
腰だめに短剣を構えている。
ふたつの影が重なった。
「嘘だろ」
恐怖に心を殺されたのは大男のほうであった。
土手っ腹に新たな穴を開けるための刃はカランビットナイフに阻まれた。
弾かれたのではなかった。
よもや、切っ先同士が衝突して静止するなど──。
接地面は一ミリもない。
ほんの少しでも角度がずれたら刃は滑って台無しとなる。
シャロンの落ちつきはらった姿が、これが偶然ではなく恣意的に狙ったものであると物語っていた。
刃渡りの差から、失敗すると凶刃に倒れるのはシャロンである。
技量に絶大の自信があればこその芸当であった。
銀線が宙を貫いた。
大男の胸から生えた鉄製の剛毛はナース服の双丘を掠めた。
「こすっからいマネをするのね」
一歩後退して難を逃れたシャロンがつぶやく。
ルーピーがおもわず前のめりになる。
目を細めている。
小指の先ほどの穴から窺える緋色の布地は、金にあかせて女を玩弄する好色漢に尻の穴が排泄専門と信じて疑わぬ少年の心をおもいださせるに充分な魅力があった。
中肉中背の男がレイピアを抜くと大男は崩れ落ちた。
苦悶の表情で死を待つ大男に嘲りの一瞥をくれると、
「勝つためなら手段は選びません」
「目障りな上もいなくなるから?」
「さて」
中肉中背は不敵な笑みを浮かべる。
銀線が交錯した。
拮抗していた。
傍から見ればそうなる。
焦燥が中肉中背の全身をしとどに濡らしている。
息が荒かった
彼は攻めあぐねていた。
レイピアとカランビットナイフである。
どちらが有利かいうまでもない。
普通なら一合でシャロンの手が痺れるところだ。
なのに、斬撃はことごとく受け流された。
まるで、予知したかのような流麗な動きであった。
天井の低い室内で剣を振り回すとパターンが単調になって動きが読まれやすいということを中肉中背は失念している。封建社会のいやらしさで平民は制限がある。天井の高さもそのひとつだ。金がものをいうラウドでもこればかりはどうしようもない。大きいことはいいことだ。高さはわかりやすい権威の象徴である。力の誇示になる。独裁者が臆面もなく美化した巨大な像を建てるのはこれが理由である。
焦りが、疲労が、攻撃をより単調にしていた。
苦しまぎれに髪を掴もうと伸ばした手は宙を泳いだ。
シャロンの動きにあわせて左にステップした次の瞬間──。
中肉中背はバランスを崩した。
尻餅をつくと同時に緋液が噴水のように噴出した。
前衛芸術家がペンキをぶち撒けたみたいに壁が緋に染まる。
首は皮一枚でかろうじて繋がっている状態であった。
「兄貴分はあなたの出世を望んでないみたい」
そういうとシャロンは絶命した中肉中背を一瞥する。そのかたわらに寄り添うようにあるのは大柄の男の死体である。つまずいたのだ。
「拍手のひとつもないなんて無粋な観客ね」
シャロンが不平を洩らす。
ルーピーの姿は消えていた。
サファイアを嵌めこんだような青い瞳に映る壁の一画に黒孔が穿たれている。
秘密の抜け道である。
形勢が不利と判断するやいなや、逃げだしたのである。
「わたしの手にかかれば楽に逝けたのに」
紅唇が歌を再開する。
死体を跨ぐと部屋をでる。火照った体に冷気が心地よかった。
少女が待ち構えていた。
「やれやれ、乳母日傘も今宵限り、か」
明日からのことを考えるとブルブルと震えてくるぜ、と唇を尖らせたのはルーピーのひとり娘のマリーである。
「早いか遅いかの差でいずれはこうなるとおもってたが──ま、おれが憑いてりゃなんとかなるだろう」
赤貧洗うがごとしも一興よ、とマリーは強がりをいう。
「そんなあなたに朗報」
「なんだか、物売りの口上みてえだな。まな板でもオマケしてくれるってか?」
シャロンは軽口を無視して、
「ボスからの伝言。王都の隠し財産は見逃してあげるからそこで人生をやり直したらだって。で、見逃す条件に大人ふたりを連れてってほしいの」
「そりゃ、ま、文句をいえる立場じゃねえから構わねえが──お目つけ役か?」
「夢も涙も忘れて愛を求めた人たち」
マリーの口がoの字となる。
「なんだ、そりゃ? 哲学か?」
「詳しいことは道すがら当人に訊いたら。時間はたっぷりあるんだし」
シャロンは踵を返した。
遅くなりました。
さて、今回はなにをお話ししましょう。
映画の話でもしますか。
とあるリメイク映画についてです。武士の情けでタイトルは伏します。
ストーリーは丁寧に追っていて好感がもてました。
初見なら満足のできです、初見なら。
元をしっていると首を傾げる修正が多々あります。
名詞が変わるのは別にいいんです。より、英語表記に近づけただけですから。
だが、それ以外は承服しがたい。
中世ヨーロッパを彷彿させる封建社会なのに貴族らしさが薄まっている。
服装がシンプルなものに変わっている。
かろうじて貴族っぽいのが主人公くらい。
ただのアメリカ人みたいな短髪マッチョはいるわ、序盤のキーマンがなぜか男性から女性に代わっているわ、他人種が重要な地位にいる。
敵役がカルト宗教の教祖みたいになっている。
そして、一番、許せないのが色気のある女性がいないことです。
昔の映画は原作になくても視聴者サービスでキャスティングしたものです。
まったく、口はだすけど金は渋るマイノリティのために楽しみしているファンをないがしろにする風潮は嘆かわしいものです。ま、あれがヒロイン面の洋ゲーよりはましですが。
それでは、また、次回にお会いしましょう。
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邪神ちゃんドロップキックXを観ながら。