生かさず殺さず
時の流れは公平であるというのは嘘っぱちだ。
小学校の登校に徒歩で二時間かかる者と、地球の裏側の光景が――それこそ、スリが観光客のナイロンバッグをカッターナイフで切り裂いて財布をひったくる瞬間まで――家にいながらにして見られる者が同じ時間感覚であるものか。
時の流れにも厳然と格差はある。
それは、こちらでも同じである。
ハルコン王国ではめずらしい唐草模様をあしらった真鍮の装飾が目を引く馬車を牽引する二頭の悍馬はその場の時間軸に呼応したのであろう、ラウドを出発した時より鈍重な歩みとなっていた。
ラウド近郊の水村である。
農業と狩猟が主な産業で、今なお、物々交換がまかり通る寒村である。
馬車にいるのは三人の男たちである。
ラウドを出発した時に、偶然、いあわせた通行人が驚愕に目を見開いた面々であった。ラウドを代表する有力商家五家の筆頭であるグロッグのところの三番番頭と胸元の銀バッジが曙光を浴びて鈍く光るギルドの幹部職員、それとアーチーがである。財界ギルド暴力の大物が連れだってラウドを離れねばならない用事とは一体? 元いた世界でいうところの、繁華街の雑居ビル前にズラズラとならぶ黒塗りの高級外車を見かけた時のようないいしれぬ不安に、背筋が薄ら寒くなった通行人は目覚めて間もないというのに早くも酒を欲していた。
御者は紅一点の女性である。
カミーラである。
なるほど、一騎当千の彼女がいれば、供もつれずに外出したところで軽率の謗りは免れる。アーチーもそこらの冒険者よりはるかに腕がたつ。──もっとも、用心にこしたことはないと、十握の意向を組んだポウルとパメラがつかず離れずの距離で馬車をつけている。実地訓点である。
本人たちはうまく隠れているつもりだが、カミーラはお見通しだ。だから、要所要所でさりげなくスピードを落として尾行の手助けをしていた。
ラウドの貧民街よりはいくらかましな家々のなかで異彩を放つ焼き煉瓦と巨大な石からなる堅牢な屋敷が目的地である。
「ここはわたしが」
馬車が手前で停まると、三番番頭が代表して馬車を降りる。
「なに者だ?」
いきなり敵意剥きだしに槍を向ける門番の誰何に、
「ラウドのグロッグ商会の者です」
三番番頭は臆した風もなくうやうやしく挨拶する。
「ラウドの商人がなんの用だ」
「ご当主さまか、それに準ずるかたにお目通り願います」
「アポイントメントはあるのか?」
「火急の用ですのでアポはございません。ですが、ラウドの有力商家五家筆頭のグロッグ家の者がきたとお伝いしていただればお会いになられるかと」
「話にならんな」
「ラウドを敵に回しても?」
門番は呵々大笑した。
「大袈裟な。商人ばらがなにをほざいたところで当家がおたつくものか。ええい、さっさと去ね。去らぬと牢にぶちこむぞ」
門番は犬を追い払うみたいに槍をけしかける。
「仕方ありませんな」
さすがに、憮然とした面持ちで馬車にもどると、
「これだからものをしらぬ山だしは」
三番番頭は久しく忘れていた感情をおもいだして口の端をゆがめる。
荒々しく腰をおろすと、しまったと相貌が蒼ざめたのはめずらしい装飾を好む所有者の癇気を怖れたとみえる。馬車はカジノに付帯する病院の救急車の代わりである。借り物で緊急時に遅れをとった反省から特注したのである。十握の代理でアーチーないし手の者が遠方に赴く時は三台製作したうちのもっとも手間と金を注いだ一台を利用する決まりになっている。
孫の命の恩人とアーチーに次いで十握に心酔するグロッグの過剰な反応が仇となって、家中の者には強面のイメージが定着していた。
「まあ、まあ、ラウドに近いという地の利を活かせずに借財がたまった領主の部下に人なみの知性を求めるというのが酷というものです。地を這う生活に堕ちればわれわれを神のごとく崇めたてるようになるでしょう」
なぐさめたのはギルドの幹部である。
慇懃な態度と線の細さが担当部署を物語っていた。クレアを始め、冒険者たちが心内で銭勘定だけがとりえの腰抜けと軽侮する二階の住人である。
「むしろ、ことがうまく進んだと喜ぶべきでは?」
「ですな」
三番番頭はうなずく。
「領主と息子どもはボンクラでも家宰が有能で平身低頭されたらこちらも一定の譲歩をせざるをえない状況に追いこまれたでしょうな」
「低脳のお陰で尻の毛まで毟れるというものです」
「では、余った時間は敵情視察と村を回りますか」
村をぐるっと一周お願いします、といわれてカミーラが手綱をとる。
格式は劣るが領主のそれより金がかかっている馬車の登場に、村人たちは畝をたてる手をとめて、まるで離れた場所にいる鹿のように凝視する。
かけよろうとする幼子を血相を変えた母親が腕を掴んで引きとめる。
未知の存在に彼らも、また、いいしれぬ不安を覚えていた。
下々の反応など三人はしるよしもない。
三番番頭は冷えたワインに舌鼓を打ちながら、
「仕事をやりやすくするために、もう、ひとりかふたり、綾をつける者が欲しいところですな」
「それでしたら酒場にでも寄りますか?」
「いいですね。牛乳を注文すれば、さぞ、クズが釣れることでしょう」
「この廃れ具合です。領民は握った豆スープで空腹をなだめるのに手一杯で怒鳴る気力もないのかもしれませんよ」
車内を席巻する嘲笑に咳払いが重なった。
「ご両人、十握の旦那の意向を忘れてもらっては困ります」
「もちろん、覚えておりますとも」
穏やかな支配がお望みですね、と三番番頭はいう。
「まず、領民の生活を向上させる。そして、それがわれわれの手によるものであって気が変われば即座にとりあげることができることをしらしめる。これで、税をとる時だけ存在感をしめす領主をさしおいて実質的な支配者になる、と」
「笛吹けど踊らず、では抗う術はないでしょう」
ギルドの幹部職員が同調する。
「ギルドは十握氏とグロッグ氏の両名の要請に応じたという形でここに出張所を開きます。物々交換の愚民に貨幣経済を啓蒙します」
ギルドの二階は銀行である。民業圧迫に配慮してかなり抑制的ではあるが、ここの住民なら全財産預けたところで限度額には達しまい。
「われわれは材木を一手に扱わせていただきます。──アーチーさんは?」
「農業試験場を。まずはもやしの栽培ですね」
予想だにしない返答にふたりは目を丸くする。
「──もやしというと……ええと……豆が発芽した? 失礼ですが儲かるとは──」
「利益は二の次です」
アーチーはいう。
「十握の旦那が所望とあらば従うのがわたしの役目です。旦那は冬の食料事情に辟易しているんですよ。ありとあらゆるものが集まるラウドとはいえ、注文したものが届く前になにを買ったか忘れる大金持ちでもない限り、どうしたって酢漬けや塩漬けの野菜に頼ることになる」
「それでもやしを?」
十握もその大金持ちの末席の加わるのではないか、ちょいとおねだりすれば歓心を買いたい有閑マダムがいくらでも生野菜をつけ届けするのでは、というまぜっかえしは狂信者然のアーチーの前では憚られた。
「ええ、旦那がたっぷりと魔力を注いだ焼け石とここの豊富な湧き水を使って冬にもやしを栽培します。郷里の温泉もやしといってましたか。それを参考にするとか。もやしは足が早い野菜ですが、ここならラウドに近いので供給地となりえます」
「それはいい。ぜひ、こちらにもお譲り願いたい」
「市場の混乱は旦那の望むところではないので、当面は雇い主のパン屋と同僚の喫茶店とお情けでうちのレストランと炊き出しに留めるそうです」
「貧しき者を優先するとは十握さんらしい」
「それと、ここに孤児院を設立するといっていました」
アーチーの弁にふたりは顔を見あわせる。
表情をとり繕うプロらしからぬ困惑が見てとれる。
十握の意図をはかりかねていた。
孤児院はラウドにもある。
十握は先のモンスターが減って肉不足に陥った街の一助になればと豆乳を廉価で販売して以降、繋がりのできた孤児院を支援している。
慈善活動がしたいのであればそこを手厚くすればいいのでは?
なのに遠く離れた地で新たに設立する意図は?
かき集めた子どもになにを教える?
凝り性の十握のことだ。通りいっぺんのことで満足はしまい。
それは彼が手がける商売が立証している。
彼の下に集うシャロンやパメラのような有能な人物を見いだすつもりか?
あるいは──。
荒唐無稽ともいえる考えがふたりの脳裏に浮かんだ。
才ある者を作るのであれば。
凡夫を優秀な人物に作り変えることなど十握の手にかかれば造作もないのでは。
ふた目と見られぬ醜女を施術者には遠く及ばないにせよ、女性よりもたおやかな手と銀を含んだ特殊な針で社交界の寵児に変貌させるなど、美と造形の女神が全精力を傾注した最高傑作にかかれば赤子の手を捻るようなものであろう。
実験なら人の目の多いラウドを離れるのも頷ける。
ああ、悪魔のように優しい言葉で聴衆に生きる希望を与え、天使のように不義なす者に果断な処分をくだす十握よ。汝は彼の地でなにを求める?
「すばらしい考えです」
「われわれも協力は惜しみません」
彼らは沈黙は金という格言に従った。
実のところ、十握に深い意図などなかった。
収入が増えたぶん、福祉活動に割く金額を増やしただけのことである。
ノブレス・オブリージュである。
十握が上にいれば、風通しの悪い上下関係が明瞭な場所におこりがちの悲劇が減らせるのではないか、そう考えたのだ。
だから、多くは望んでいない。
子どもたちが元気に育てばそれで充分である。
子どもたちには──。
養育するだけならラウドでことたりる。優秀な人材が揃っているし、体育の授業の代用と第三道場に通わせて身体能力の底上げができる。魔法の手ほどきつきだ。
ラウドと同等のサービスを寒村でとなると問題は多い。
だが、しかし、十握はここに孤児院を欲していた。
孤児院の誘致は布石である。
山吹色の輝きは歓迎すべからざる者を引き寄せる。
厨房に忍びこむ害虫のようにどこからともなく湧いて福祉を餌に橋頭堡を築く──善意の敷石を歩かせて地獄に誘導する宗教勢力への牽制であった。
三番番頭とギルドの幹部職員が理解に苦しんだのは無理からぬことである。
宗教勢力とすすんで対峙するなど酔狂にもほどがある。
一般的な感覚であればともに禄を喰む道を選ぶ。
こちらの売僧は天文法華の乱や加賀の一向一揆をおこした時のような荒々しい気風と兵隊を抱えている。敵に回すと厄介な相手である。
だから、十握が率先して動く必要があった。
深層組の二次創作を書いていて遅れました。
並行しての執筆は難しいですね。作風が引っ張られる。
売僧が嫌いでことあるごとに批判していたら、まさか、ワイドショーが同調するように連日特集を組むご時世になるとはおもってもみませんで驚いています。
宗教は遊興費です。坊主に払うのも水割りを作る小粋なお姉さんに貢ぐのも極論すると大差ない。どちらも自己満足です。実利はないですからね。霊験もアフターからのホテルも期待するだけ野暮です。ご利用は無理のない範囲でお願いします。