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壁なし

 鳥の鳴き声がかまびすしい。

 閑古鳥である。

 どこぞの家庭を壊したと得意気に吹聴しあっているのであろう。その業の深さから、たまさか霊性を獲得して返り咲きはあるまい。

 落日が木々を錦繍に色づく。

 またしても十握は狭隘な坂道を登っていた。

 今回は歩いている。

 違いはもうひとつある。

 随伴者は男だ。

 ラウドの北側──いわゆる壁なしである。

 林業と農業が主な産業の田舎である。

 今はカジノの付帯設備である病院の──名なしの付属病院では敬意が薄いと患者は十握記念病院と呼んでいる──一般病棟つきの看護師によると陰湿で営業時間なんかあってないようなもの、深夜に叩き起こされることはざら、村を二分する勢力争いの余波で生きた心地がしなかった。家の鍵をかけるとなぜかすましていると嫌みをいわれるクソ田舎など二度と足を踏みいれたくない、とのことだが、ラウドでもっとも厚待遇の反動もあるので──正当な報酬と十握のねぎらいがある──ほんの少しだけ差し引く必要はありそうだ。

「虫を気にしなくていい山歩きはいいもんですね」

 サボンが左手の甲で汗を拭いながらもの珍らし気に周囲を見渡す。

 利き手──右手は即座に短剣が抜けるように空けてあるのは熊や猪の出没に備えてのことである。十握に全幅の信頼を置くがあてにはしない。ラウドで長いこと体を張ってきた男の矜持であった。

「ラウドに住んで長いですがここらを訪れるのは初めてです」

「意外ですね。足で稼ぐがモットーのサボンさんらしくない」

「シノギとは無縁な場所なので」

「わたしの郷里では、裏社会の住人が死体を埋めたり、手が後ろにまわる薬品の栽培や製造で都市部近郊の山はそれなりに縁はあったようですよ」

「ここらは重要な水源です。そこに死体を埋めたのがバレたら石もて追われることになりますし、うちは、代々、薬は厳禁ですので」

「でしたね」

 十握は首肯する。

 アーチーらが恒常的に法に背いて利を貪る組織でありながら存外に地域住民に慕われているのは、不幸の連鎖を生む麻薬を嫌悪しているからだ。

 客を遊ばせてテラ銭をいただくのが博徒である。

 かたぎを食い潰すは外道の所行である。

 そのきれいごとで近隣勢力に押されて先細った。

 捨てる神あれば拾う神あり。そのきれいごとに十握が食指を伸ばした。

 エイリアのパン屋から二ブロックという近距離が幸いした。

 今や押しも押されぬ裏社会の顔役である。

 明日の小麦代にも事欠く貧乏所帯が三ヶ月たらずで、名にしおう有力者たちをごぼう抜きして二十日会の席次を得た快挙は、さしもの生き馬の目を抜くラウドの住民をして驚きをもって受けいれられた。

 本業の博打のみならず、表看板の口入れ屋やクリーニング屋も好調である。もっともうまみのある仲介と仲裁もひっきりなしに頼まれる。

「目的地はあれですか?」

 男の特徴を残しつつも、女のそれよりたおやかな指がしめす先──高台にあばら家がある。自己主張の強い色彩が所有者の職種を雄弁に物語っていた。

「ええ、あれが最後になります」

 ローラー作戦である。

 人里離れたこの場を好都合と捉える者は少数ながらいる。

 狂科学者(マッドサイエンティスト)や左道を嗜む魔術師が邪な研鑽に、教会に神がいないことを遅まきながら悟った僧侶が修行の場と庵を建てている。

 呪術を試す者もできれば隣近所の干渉から逃れたいと願うはずだ。

 ──見えてはいるのにいっかな近づかないのは山のあるあるである。

 十分ほど経っただろうか。

「実はちょいとややこしい問題を抱えていまして」

 邪魔な枝を避けつつ、サボンがおずおずと切りだした。

「わたし向きの話でしたら相談に乗りますよ」

「半分は旦那向きです」

「──と、いいますと?」

「不倫ですよ」

「それはトラブルシューターの定番では?」

 玉虫色の解決があちらの望みなんです、とサボンはいう。

「不倫には相応の罰を対貨を、が旦那のポリシーですよね」

「不倫に限りませんが、そうなりますか」

 すべての不義に血のあがないを。

 とはいえ、不倫への嫌悪感はことさらに強い。

 元いた世界で、疎遠になっていた高校の同級生がどこで情報を掴んだか押しかけてきて、プルーンだの鍋だの壷だのサプリメントだの浄水器だのを買えと迫り、当然のごとくねつけると、なぜか、三年間通して十分も会話したかどうか怪しいとり巻き連中に、魂のステージが低いだの情がないだのと散々になじられ、後に貧すれば鈍するで慰謝料捻出に作った借金返済に狂奔していたとしればそうなる。

 これは贅言だが、十握は慰謝料という言葉に懐疑的だ。低脳に画数の多い漢字は難しい。慰謝──なぐさめ労る気持ちが本当にあれば減額要請などしまい。

「ちょいと同情できる面がありましてね」

「別れさせ屋にひっかかったとか?」

「傷の舐めあいですよ」  

 よくある話です、とサボンは肩をすくめる。

「尻に敷かれて馬車馬のようにこき使われていた男が、同じく不幸な境遇の女と知りあって、つい、傷以外に尻まで舐めちまった、と」

「順番を間違えましたね」

「旦那のいう弱っている者は往々にして選択肢を間違える、というやつです」

「バレましたか?」

「それはまだ」

「でしたら、仕切り直しで離婚からはじめればいいのでは?」

「トラブルシューターらしからぬ科白ですね」

「あくまで世間話です」

「子どもができたそうです」

「それは困りましたね」

 まったくです、とサボンは腕を組んだ。

「旦那が相手にする不埒な連中なら、いったん、亭主の子ということにして折を見て離婚、浮気相手と再婚を狙うとこでしょうな」

「捏造の慰謝料と養育費に下駄を履かせてもらった幸せですか」

 窈窕ようちょうたる美貌が翳ったのも束の間。

「下駄というのは?」

「話を進めてください」

 久しぶりの羞恥に十握の相貌がほんのりと赤みがさす。

「女の亭主は猜疑心が強い。その両親も同じです。出産後の親子鑑定は免れない。そうなりゃ、詰みです」

「親子関係が立証できるのですか?」

 DNAどころか、染色体の発見もいまだしというのに。

「おや、ご存知ない?」

 訝し気な顔をするも、ああ、魔法に疎いのでしたね、とサボンは得心する。

「魔力は固有パターンがあります。どれひとつと同じものはありません。それは両親から引き継がれます。蔵した魔力の微妙な差異など一般人にわかりっこないんで専門の魔術師が担当します。後は身体的特徴を加味すれば」

「こちらの上流階級は浮気が嗜みとはいきませんか」

「保険に、魔力パターンの似た相手を選んで混同を誘うそうですよ」

「そこまで行くと病気ですね」

「不倫は再犯率が極めて高い心の病気です」

「でしたね」

「で、話をもどしますと、浮気して子どもまで作ったとなると分が悪い。表沙汰になれば死罪もありえる。子どもに罪はないから寛大な処分を、というのは他人事の外野と明日はわが身のクズどもの弁で、実体は不義の凝集体ですからね」

「功は世襲するが罪は拒否は通じません」

「三代前の先祖の不行跡が今なお尾を引く貴族がいるくらいですからね」

「ラウドから逃がすのが最善手では?」

 当然の提案である、が、しかし、サボンの表情は浮かない。

「それなんですよ。見かねた共通の知人から相談をうけたのですが、おれたちは地域密着です。顔が利くのはせいぜいが近在の宿場町です。そんなところにふたりを逃がしたって解決にはなりません。そのうち、バレる」

「ラウドから遠く離れていればどこでもいいのでは?」

「ラウドの住民は蝉だという比喩はご存知で?」

「いえ、初耳です」

「楽土から石持て追われて、尻を拭く紙にも難儀する片田舎で砂を噛む生活をするとなれば落胆を見かねた死神がフライングして大鎌を振るうってもんでさ」

 せめて、王都ならマシなんでしょうけど、あそこは堅苦しいから着の身着のままでとはいきません、最悪、不審者と見なされて炭鉱送りです、どうしたものかと呻吟するサボンを、天上におわす神は柄にもないことをと見ていられなかったのかもしれない。

 突如、茜色の空の一画に黒雲があらわれた。

 あばら家の煙突からたちのぼるそれは、コートの裾のみをはためかす風に抗い、十握と反対の方向に散っていくではないか。

「おれが見てきます。旦那はここにいてください」

 動かないでください、と念を押すとサボンは走りだした。

 ──あばら家に到着すると両膝に手をついた。慣れない山登りにへたりこみたいところを、待ち人がいるのでそうもいかず、軽く呼吸を整えると意を決して戸を開けた。

 一分ほどしてあばら家からサボンがもどってきた。

 相貌は紙のように白い。

「あたりだが、こいつは旦那には見せられないな」

 喉の奥からせりあがる不快感をかろうじて飲みこむと坂道をくだる。

 早歩きである。

 これが、今できるサボンの最大限の誠意であった。

 待ち人の前でガーリックシュリンプの残滓をぶちまける愚は避けたかった。

 

狂科学者にマッドサイエンティストとルビがふれないのは不便ですね。

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