接触
アヴリルに見送られて別荘を後にすると馬車が待ちうけていた。
なんの飾り気もない馬車である。
下級貴族でもこれに較べたら遊び心がある。
だが、よくよく目を凝らせばすべて上等な材質であることが見てとれる。十握はしるよしもないが魔法が施されている。牽引する二頭の馬が大柄なのは厚さ三十ミリのガラスをものともしない馬力を要するためだ。ガラスは歪んだ景色で乗車する者の気分を害さぬように色がついている。
外観からどこの家のものかわからない。それが狙いであろう。
御者が十握の前でうやうやしく礼をする。
こちらも中肉中背と特徴のない容姿である。
「主人がお会いしたいともうしております」
「遠慮します。わたしもラウドの住民ですので」
貴族の権威の一端を担う馬車だが、ことラウドに限ると風流のわからぬ野暮天よと通りがかった者たちの軽侮を集めている。
ラウドの住民は人力車を好む。
ところかまわずクソを垂れられてはかなわない。
放置すれば疫病の元になる。
清掃が馬車が行き交う通りに店を構えた者の雑役となっている。
飼い犬やライオンにオムツを履かせる酔狂はこちらはいまだしだ。
特段の事情を除いて、商隊の馬車はラウドにはいると目と鼻の先にある集荷所に寄ることになっている。住民感情を考慮してギルドが作った施設である。そこから、大八車や船に荷を積み替える。
「急ぎの用──観葉植物に水をあげないといけないので失礼します」
「仕方がありません、あなたの周囲のかたを介して一席もうけるとしましょう」
キンと空気が凍った。
悽愴な気にあてられた馬が浮き足だつ。
逃げださずにとどまったのは、造形の女神が作りし最高傑作から目が離せないからか、あるいは飼い主への忠誠心か、それとも逃げたことによる罰を怖れたか。
「脅しですか?」
「主人の熱意のあらわれととらえてください」
微笑を湛える十握と対照的に御者は無表情を貫く。
「ここは人気のない場所です。大きな声をだしても誰もこない」
「存じております」
「それが意味するところも?」
「勤め人のつらいところです」
「平和主義ではないので喧嘩ができないことは?」
「残念ながら、それも存じております」
「気が変わりました。麓への短い時間でしたら」
「ありがとうございます」
御者がうやうやしく一礼した。
息を吐くと、観音開きのドアの取っ手を掴む。
指が白い。
ドアには鉄板が挟んであった。
物理と魔法が交差する複合装甲である。
主人は相当な数寄者である。
元いた世界で例えると、エンジンは三千CC、ボディーは超高張力鋼で窓は戦闘機の風防ガラスの軽自動車を作るようなものだ。
既製の高級車を買うよりはるかに高くつく。
──内側も質素なものであった。
だが、華やかであった。
迎えたのはふたつである。
主人と甘い香りである。
こと匂いとなるとラブコメの主人公かホラーの主人公の家族かというくらい鈍感な十握なので甘いくらいの感想しかないが、それは薔薇をイメージした香水であった。レベッカの店の人気商品である。
そして主人は──。
「これは予想外です」
十握の視線は少女の頭上──猫耳にとまっている。
主人は猫人族である。
フリルを多用した服があどけない顔と相まっている。
「お気にめされたようでなによりです」
少女が弄うようにいうと耳をパタパタと動かす。
「ええ、たいそうなもてなしに感謝します」
十握は腰かける。
馬車は出発した。
「今度は守護霊ならぬ悪霊ときましたか?」
「──?」
「あなたはどなたですか?」
「素性を明かすことはできません」
「中身の話です」
十握はいう。
「わたしは魔法に疎い。おそらく、今もなにかしかけているのでしょうがそれはわかりません。ですが、仙道を嗜むことで気配読みは上達しました」
郷里で培っていれば麻雀でひと財産稼げたでしょうに──高レートなら税金をごまかせますし──残念なことです、と心の底から悔しげに独語すると、
「もう一度、お尋ねします。あなたはなに者ですか? どのような過去があろうと、年端のいかぬ少女がだせる気ではありません。異形のそれです。それと、これは些末なことですが御者の反応が初対面にしては淡白すぎます」
小さな唇から金鈴のような笑い声がこぼれた。
「気をつけたつもりでしたが──そんなに禍々しかったですか?」
「ええ、身の毛がよだつほどに」
「震えているようには見えませんが」
猫耳のおかげです、と十握は嘯く。
「あなたはなにものですか? 最初は禁呪? 左道? で時の流れに抗っているのかとおもいましたが──外観はどう見ても普通の少女です。いくつか浮かぶ推測のなかでもっとも蓋然性が高いのが憑依──精神生命体あたりかと」
平たくいうと人ならぬものです、と十握はいう。
「これは異なことを」
「おや、わたしの見当違いだとでも?」
「ええ。ラウドにはさまざまなかたが集まります。幸運にも霊性を獲得して高次の生物に返り咲いた猫や犬の末裔。植物のように光合成をする者や額の中央に大きな目を持つ単眼種。これらすべて人族です。ラウドで生をうけ、人として暮らし、人として終えればそれは人なのではないでしょうか」
ちゃんと税を納めてますし、と少女はつけ加える。
「郷にいれば郷に従うで価値観を遵守して、いざという時にラウドのために血を流す覚悟があるのならそうかもしれませんね」
十握の返答は投げやりな感じであった。
形而上のことに興味がない。
元いた世界で、みずからを虻と称して昨日の延長線上の幸せを望む一般人を啓蒙せんとヘルメット被って闊歩する活動家を見かけると、ペテシメシと同じ罰を与える多様性があってもいいのではと邪念が浮かぶ十握は、久しぶりに現金で支払いをした時にもたついたことに愕然とし、脳の活性化にと現金派にもどった少数派である。
「そろそろ用件をお願いします」
「ルーピーの娘、マリーのことです。あなたが助手を連れて訪れて、苦虫を噛み潰した顔で邸宅を後にしたのは調べがついています」
「調べたのでしたら、表現に虫を使うのは控えてください」
「最大限のお詫びをもうしあげます」
「で、彼女がなにか?」
「呪いのことです」
「守秘義務があります」
「義理の親にでも、ですか」
「──?」
少し昔話におつきあい願います、と少女はいう。
「仲間内で賭けをしたことがあります。酒の席のおもいつきです。クズにチャンスを与えたらどうなるか。結果はあなたもご存知の通り、わたしの勝ちで銅貨一枚を手にしたわけですが、それはそれ、これはこれ、ボランティアとはいきません」
「娘を所望したと?」
「大事なものをいただく契約です」
肉親の情があったのは驚きでしたが、と少女は続ける。
「問題は呪いです。意外におもわれるでしょうが、わたしたちは穢れに敏感です。呪い持ちを身内になどできません」
近づきたくもない、と怖気を震う。
「瑕疵が見つかったのなら破談にすればよいのでは?」
約束は大事なものである。なら、金を根こそぎ奪えばいい。
「呪いが本当と確認できれば──」
「ルーピーのハッタリだと?」
「ルーピー相手に疑いすぎるということはありません」
「ですね」
それは、一度の会見で嫌というほどおもいしらされている。
「彼女は本当に呪いにかかっているのでしょうか?」
「呪いは本当です」
「治る見こみは?」
「それは、まだ、なんとも」
十握は言葉を濁した。
解呪はすぐにでもできる。が、マリーの自称守護天使が捨て置けという。相手を挑発するだけの無意味な行為だという。
「呪いってのは未通女が男をしるのと同じさ。初手こそえらく手間だが、いったん、繋がっちまえば次からは簡単だ。下手に祓いたまえ清めたまえ守りたまえじゃ、そうか、このていどの刺激じゃものたりねえかってより強力なもんをぶっこんでくるぜ。呪術が効いてるとおもいこませといて──強い呪いは術者の負担も強いから必要に迫られなきゃやらねえだろう──気をよくしているうちにヤサを見つけてボラやハゼの餌にしちまうのが良策ってもんさ」
守護天使らしからぬ下品なものいいでわかりやすく説明する。
定番の呪詛返しはやめたほうが無難とのこと。稀に人間をやめる者がいるらしい。醜怪な不定形の妖魔が暴れだしたら犠牲者が増える。
もっとも、十握は方法をしらないからやりようがない。
ドラマや映画で見かける呪詛返しは、たいてい、やっつけである。
明瞭としない呪句を口ずさむと刀印(ひとさし指と中指で刀をイメージする)で水平に斬る仕草がなにを意味するのか皆目見当もつかない。
それで、なぜ、呪いが鳥に変化して送り主のもとへ帰ることができるのか?
わからない。
帰巣本能に特化した伝書鳩でさえ迷うことはあるというのに──。
不要な知識のために頭痛を覚悟する被虐趣味は十握にない。
シュプールの目玉のピアノの一件で懲りている。
なにもできずに退散では貫目を落とすので──十握は構わなかったが、シャロンが、断乎、反対した──抑えることに成功したとルーピーに報告した。
「やはり、金か腎臓のひとつが落としどころかもしれませんね」
少女は腕を組む。
親指を除いた八本の指が脇に潜る組みかたに、十握は、なぜか、高級車で犯人を追跡する刑事ドラマを想起した。そして、中身は男であると確信する。
──馬車が大通りの手前でとまった。
十握は降りる。うしろ髪を引かれるように振り向くと、
「ひとつ質問してもよろしいですか」
「なんでしょう」
「今の姿は仮の姿ですね?」
「ええ、頭巾の代わりです。十握さんの趣向にあわせました。──もっとも、ルーピー似の唾棄すべき男で十握さんの逆鱗に触れたところで、わたしの魂は七つあるので微々たる損失ですが──」
「命が複数あるとはうらやましい」
「いえいえ、造形の女神の寵愛を一身に集めたかたほどでは」
「怖れる必要がなければ頭巾は不要では?」
「あいつは酷い奴だとあなたがパンを買いにきたご婦人がたの手をとりながらつぶやくだけで風評被害は甚大です」
「なるほど」
陰口が披露宴と学園祭を混同した友人代表の次に嫌いな十握は想像だにしなかったが、たしかに、十握と敵対する者からすればそれは脅威である。
「彼女の負担は?」
「一時的に拝借しただけなので軽い運動ていどかと」
「そのていどで済みますか?」
下等な小動物を使役するのとはわけがちがう。強引に脳に干渉するのである。憑依された者が廃人となることもめずらしくない、というか、それが普通だ。
「昨日今日、学んだ新参者とは違って加減を心得ています」
「たしかに肌艶はよさそうです」
「わたしも女性を経済動物と見なす輩は嫌いですので」
「彼女にレンタル料を弾んであげてください」
「もちろんです」
「それと、リサーチをした者には叱責を。近頃は猫人族より狐人族の耳のほうがお気にいりです」
十握は踵を返した。
遅くなりました。
違うものを書いていたせいか、なんか調子がでなくて予想外に手間取ってしまいました。その違うもの──二次創作はビックリするくらい反応がないのに……。
ちなみにですが、今回もホラーは投稿するつもりです。
プロットが一本、浮かんでいます。