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煩悩と懊脳

 ラウド、ゲセリット侯爵家所有の別荘に続く急な坂。

 この坂も、また、実に走りたくなる坂である。

 奇しくも今日は第三木曜日である。

 まよいこんだウサギが眼福な光景に塑像と化す。

 枝にとまって羽を休める鳥は空を忘れた。

 百メートルを駆けあがると十握は軽く深呼吸して息を整える。

 変化はそれだけだ。

 元いた世界なら丸い溝が施される傾斜でありながら。

 四百二十本目だというのに疲弊感は薄かった。

 そして、浮かない顔のままだ。いや、より深刻なものとなっている。

 ストレス発散の行為がストレスを募らせている。

「どうせ悟りの邪魔をするならマーラさまのほうがいいのに」

 ミシャグジさま、平新皇さまとならんで信仰心が紙より薄いにもかかわらず敬称をつける三貴神のひと柱の名をだすと十握は息を吐いた。

 マラソンを走禅という者がいる。

 座禅と酷似した働きを脳に及ぼす。長時間走った苦しみの先にある高揚感──ランナーズハイがそれである。

 十握がトータルで走った距離はフルマラソンである。

 元いた世界の十握であれば脇腹の痛みに半分と保たずにへたりこむところだ。

 いかにこちらが健脚揃いとはいえ、これほどの長距離を走り続けることのできる者は伝令等の訓練を積んだ者か、狼人族ら強靭な種族に限られる。

 舗装されていない道は足への負担が強い。

 しかも、坂道である。 

 なのに、十握に疲労の影は薄い。

 額に浮かぶ汗は別の理由である。

 坂道を選んだのは気分である。珍しく、昨晩の寝つきがよくて張りきってみたくなったのである。

 これが悲喜劇のはじまりであった。

 造形の女神が全精力を傾注した肉体は、文字通り、神がかっていた。

 スタート地点まで歩いてくだった頃には呼吸はもどっている。

 これでは心地よい疲労からはほど遠い。

 ただの単純作業である。

 辺鄙な場所なので目の保養になるものもない。

 面白くもなんともない。

 さっさと中断してアールグレイに似たウィークティーを嗜みながら小鳥のさえずりに耳を傾けたいところだが、公言した手前がある。

 悪辣にも原子力と火力の充実で電力を賄おうとする環境破壊の手先に抗すべく、有志がたちあがり、山林を切り開いてソーラーパネルを設置してそこに生息していたムササビやイタチを駆逐する光景に首を傾げる十握は、公園すら鬼門の、街路樹と社会的距離をとる大の虫嫌いである。無意識の拒絶で虫は近寄らないと頭ではわかっていても、なんだか、落ちつかない。

 昔は悪かったと酒場で管を巻く、脳が栄養失調のチンピラの長口舌と同様の退屈極まりない時間である。

 雑念が湧く。小人閑居して不善をなす、ではないが、どうでもいいことばかり浮かぶ。あの時、なんとはなしに聞き流したが、あれは皮肉だったのではないか。あの時、こうしていれば。クソの役にもたたないヤブ医者など一回で見限って他所に移ればよかった。それと、肉食は控えれば体質改善するとかぬかしてきた連中。たんぱく質が不足したらかえって悪化するわ。オリンピックより短いスパンで法難◯◯年だ第◯子の得度式だ、耐震補強だ建立費だと嘴の黄色い雛鳥のように金をねだる売僧。もし、この姿のまま元の世界に帰ることができたらまとめて鳥居つきの舟におしこんで補陀落渡海ふだらくとかいさせてやる。たかが、ほうじ茶一杯で防げるていどの運勢で最下位にして朝から気分を害した占い師も同罪だ。

 苦い記憶が走馬灯のように脳裏を駆けめぐる。

 もし、風呂場であったらたまらず奇声をあげてたかもしれない。

「お疲れさまです」

 背の高いメイドがタオルをさしだす。

 十握が初めてゲセリット邸を訪れた際、セシルのダンスの相手を勤めていたメイドである。姫毛など夾雑物きょうざつぶつでしかない小さな顔は、なるほど、高貴な者に侍るだけあって精緻なガラス細工のように整っている。

「ありがとうございます」

 十握はタオルを受けとる。

「おかげさまで気が張れました」

 機嫌が悪いと誰彼かまわず強くあたる者が、スーパーであらかじめ惣菜を確保して割り引きの時を待つしみったれとならんで嫌いな十握は礼をのべる。

「それはよかった」

 背の高いメイドが──アヴリルと名のった──艶然と微笑む。

 場所を別荘に移す。

 別荘とはいえ、そこはラウドでもっとも序列の高い者が所有する建物である。一般的なイメージの丸太で作ったシンプルなそれではなかった。下屋敷といったほうが相応しい壮観なものであった。

「ここはどういう目的の場所ですか?」

 余計な詮索はすべきでないとわかっていても、柱に大型の獣が引っ掻いたような跡があったら好奇心が鎌首をもたげる。

「火事や地震に備えた保険ですか」

「もちろん、それもありますが」

 大輪の花が鮮やかなカップに紅唇が触れる。

 小さく喉が鳴った。

 十握だから茫洋としているが、他の男なら同時に生唾を飲みこむ艶かしさがそこにあった。

 アヴリルは同席している。

 しかも、上座にあたる場所に座っている。

 メイドらしからぬ非礼な振る舞いと謗るのは早計である。十握が望んだことである。身についた習慣は強固だ。慣れ親しんだというと語弊があるが、生粋の庶民の性で下座がしっくりくるのだ。

 アヴリルには郷里の作法とごまかした。

 こちらもイタリアンマフィアの首領ドンが会食の際に手下を同席させるように、細かいことは気にしない数寄者はそれなりにいて、下位の者になりきるコスプレを楽しむことがあり──元いた世界のホワイトカラーが女王さまにヒールで踏まれて喜悦の涙を流すのと同じ感覚か? ──疑われることはなかった。

「使用人の保養が主ですね」

「と、いいますと?」

「新月や満月にぼろがでるのを防ぐためです。屋敷にいる者の多くはなにもしらない人です。彼らの前で未熟なものがボロをだしたら大事になります」

「バレるたびに口封じしたら胃もたれしますか?」

「そんなことしてたら、あら探しに邁進する王家の間者に見つかって」

 たおやかな手が喉を掻き切る仕草をする。

「おや」

「最初からメイドではなかったので」

「ですよね」

 最初から色男ではない十握は大きく頷く。

「では、事情をしるということは、当然、あなたも? あ、ふたりきりですし、元の口調で構いませんよ」

「では、お言葉に甘えて」

 アヴリルは咳払いすると、

「セシルお嬢さまの遠縁っす。──やっぱり、泥臭いですか?」

「ぜひ、その口調で」

 ともすれば冷徹なイメージの外国人配信者が日本語を話した途端、かわいらしい声を発するような親しみやすさがあった。

 大人びて見えるが、それはあくまで擬態で、まだ、少女なのかもしれない。

「少々、やんちゃがすぎて地元に居づらくなってこちらに」

「やんちゃというおためごかしはどうかと」

「絡まれた火の粉を強めに払っただけで、誓って殺しはやってないっす」

「そういわれると妙に説得力がありますね」

 十握は苦笑する。

「で、正体は?」

「それを明かすのは生涯の契りを交わしてもらうことになるっすね」

 エメラルドを嵌めこんだような緑の瞳に大写しの十握がいる。

「魅力的な提案ですね」

 十握は微笑する。

 またぞろ、体が本人の意志を無視して気どったのである。

 二対の視線が空中で激しく絡みあう。もつれあう。

 これが昼でなによりだ。

 もし、夜であれば月がへそを曲げて隠れるところだ。予定外の闇夜にラウドに向かう商隊を困惑させてはもうしわけない。

「ですが、もう少し、交流を深めてからにしましょう」

「ドロドロに溶け崩れた醜い化け物かもしれないっすよ」

 アヴリルが弄うようにいう。

「すっぴんの女性で慣れてます──と、いうのは冗談で、背の高い女性は好みです」

 それに、路傍の石でもわたしが磨けば玉になりますよ、なかから作りかえてもいいわけですし、と十握はうそぶく。

「あなた、本当に人間っすか?」

「それは生涯の契りを交わした時にでも」

 じぶんが人なのかどうかわかりかねる十握はそう韜晦する。

 キザなことをした後は休憩が必要である。それは傾国の美にあてられたアヴリルも同様であった。

 ──紅茶のお代わりをすると、

「ひとつ気になったことがあります。質問してもよろしいでしょうか」

「わたしに応えられることでしたら」

「身構える必要はないですよ。お家の大事は──興味がないといえば嘘になりますが、それはおいおいの楽しみということにして」

 くだらないことです、と十握はいう。

「走っているさいちゅうに、ふと、浮かんだ疑問です。わたしの郷里には女性をしらぬ者は魔法使いになれるという俗説があります」

 これは、これは本当に贅言だが、モンテスキューの「ペルシャ人の手紙」を引用せずともこの発想は本邦に古くからある。

 室町時代、その絶大な権力から半将軍と呼ばれた細川政元は望めばAV男優もかくやの艶福家えんぷくかとなれる身でありながら、飯縄イヅナ使い(荼枳尼天の修法)で空を飛ぶべく女人を遠ざけて山野を駆けていた。

 さぞや、マーラさま(煩悩の化身)に誘惑されたことであろう。

「こちらはどうなのかと気になりまして」

「その発想はこちらもあるみたいっす。大成するために煩悩を断つ魔術師はそれなりにいます。逆に荒淫にはしる者もいます」

「人の営みはどこも同じですね」

 荒淫は宿敵北条家を潰したものの建武の新政という武家をないがしろにする政策で足利尊氏に吉野に追いやられた後醍醐帝が帰依した真言立川流がある。

 妙適清浄句是菩薩位。

 理趣教の一節にある。

 男女の交わりは清浄な菩薩の境地である。やはり、衆道だけではものたりなかったらしい。江戸期も隠し妻のいる売僧が捕縛される事件はしばしばあった。

「十握さんはどちらがお好みっすか?」

「男女の楽しみに余計なものをまぜるのは野暮天のすることです」

 そう締めくくると十握はカップを傾ける。

体調が優れないとダメですね。ダラダラと動画を見て、こんなことなら映画を一本観ればよかったと後悔しています。

で、ダラダラと見た動画のなかに浮気相手を制裁したという話があって、そこのコメント欄が実に興味深い。必死になって嘘だという人がいるのですよ。ドキュメンタリー番組だって盛ってあたり前で、ちょいちょい嘘が露見して怒られているのに、匿名の書きこみが元ですよ。真偽なんかわかりっこない。創作かもしれないし、フェイクで整合がつかなくなっただけかもしれないし、耳目を集めたくて大袈裟に書いたかもしれない。話し半分に聞くのが吉です。

大半のコメントはそれを踏まえた上です。

なのに、熱量が異常に高い人がいる。

あれ、なんなんでしょうね。

物好きのひと言で終わらせるのは簡単ですが、それではつまらない。

そこで愚考してみました。話のネタにでもしないとただの損になりますので。

一番高い可能性は気のきいたことをしているという意識でしょうか。

どんなことでもひと言指摘しなければ気がすまないという人はいます。

「ああ◯◯ね。及第点なんだけど△△が残念なんだよね」

半径三百メートル圏内にいてほしくない、いるならとびっきり不幸でこちらの溜飲をさげてほしいと願う人種です。

さすがに、誰も気づいてない様子だから利口なじぶんが嘘であることをいわねばならない、そんなことは九九が六の段でつかえる連中でもおもわないでしょう。

次点は嘘が許せないですかね。

エンターテイメントに疎いといいかえてもいいでしょう。

わたしが手軽に楽しめる娯楽のなかでもっとも重視しているのは小説です。

書き手をしてるのですからなにをいわんやという話でしょう。

ま、本は事前に確認できるのであまりないのですが、駄作だったら腹がたちます。

逆にネットカフェで読む漫画は気になりません。雑だなとおもうくらいです。ノンシュガーのコーラを飲んで気分転換して終わりです。

許せない人はそれが最上位の娯楽なのでしょう。

だがら、出来不出来に敏感になる。もの申さずにはいられない。

娯楽は学校で教えてくれるものではないからじぶんで開拓することになるにしても、いくらなんでも不勉強がすぎますよ。

生活に追われてそれどころではない人はそもそも見ませんし。

FBIの警告からはじまる映像作品の半分でいいから他にも興味をもってもらいたいものです。話題のお嬢さまとか、ちゃんとアクションしてるなろうとか。

それでは、また、次回にお会いしましょう。

よろしければ高評価、ブックマーク、感想とレビューをお願いします。

焼きしめんを食べながら。

追伸

あの手のものはあまり見るもんじゃないですね。サレた側の苦悩はつらつらと描写するのに肝心な制裁があっさりしてて消化不良をおこします。

やっぱり、復讐譚を読むほうが面白い。事実は小説より奇など嘘っぱち。木の根っこが女性を襲ったりしませんもの。

すみません、遊び心で他所に投稿してたので、ちょっと遅れます。

──第三の可能性がありました。

否定することでじぶんが偉くなったと錯覚したい。要はマウントです。

否定したところで立場が変わることなど絶対にありえないし、そんなことは半ズボンで冬を耐える子どもでもわかりそうなものですが──過度のストレスでまともな思考ができなくなっているのでしょうね。

コメント欄の妙に居丈高なそれを見ると不快感より先に憐れみをおぼえます。ま、すぐに、だったらすぐに寝ろ。余計なブルーライトなんか浴びるなと腹がたちますが。

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