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嫌われるもの

 その邸宅の特徴をひと言でいいあらわすならばそれは荒廃であった。

 特段、ぼろいわけではない。

 頻尿持ちには嫌がらせ以外なにものでもない、左右対称の屋敷と迷路のような庭木は手いれがいき届いている。

 雰囲気の話である。

 おそらく、業者に一任したのであろう、まるで三代続く名家と錯覚させる伝統的な家具調度品をもってしても住人たちの放つ荒んだ気を中和するには役者不足であった。

「ボス、ありがとう」

 シャロンがドアの前でたちどまる。

「感謝されるようなことをした覚えはないのですが」

「ボスが手を握ってくれたから我慢できたけど、そうじゃなかったらたるんだ顎の肉を引きちぎってたとおもう」

「だいぶ、苛ついてましたからねえ」

 十握は頷く。

 冷静沈着なシャロンがめずらしく貧乏揺すりをしていた。

 脳裏でいくどとなく殺害シーンをおもい浮かべていたに相違ない。

 惨事を防ぐためである。咄嗟にしたことだ。気がついたら白魚のような手を握りしめていた。今回ばかりは本人の意思を無視してキザな言動をする体に感謝したい。願わくば、画竜点睛を欠くことなく手を離す際もやってほしかった。男女の機微は夜半にペンションを抜けだすカップルくらいしか興味のない、精肉工場のフックに双眸を輝かせる純情派に恋愛映画の主役然は荷が重い。

 上目使いで十握を見るシャロンの相貌がほんのりと上気しているのは、今になって十握と手を繋ぐという女性なら日がな一日をお手玉で潰せる少女から義理の娘の悪口に終始する老婆まで憧れる僥幸ぎょうこうを噛みしめているのであろう。

「もし、殺ることになったらその時はわたしに任せて」

「半殺しくらいでしたら」

「死が救済におもえる生を、ということね」

「あっさり逝かせたらこっちが恨まれてしまいます」

 それもそうねと、シャロンが得心する。

「煮え湯を飲まされた人たちからしたら、ちょっと関わったていどの連中がなんでさっくり殺るのよ、って話になっちゃうか」

「足を骨折したら頭の位置が低くなって彼らも蹴りやすいでしょうし」

 前後に巨体を揺らして捲したてる館の主──ルーピーを想起して十握の眉根が寄る。シャロンが不快感をあらわにするのもむべなるかな。

 ルーピーは顕示欲とハッタリを煮詰めた存在であった。

 依頼で呼びつけたにも関わらず──つまり、深刻な事態に見舞われていながら話が脱線して、いかにじぶんが大物で、芸術に造形が深く、芸術家を公私に渡って支援して、時になにげなく呟いたひと言が彼らの創作意欲を掻きたてたことか、そして、感謝の印にじぶんをモチーフにした人物をカメオで登場させることがある、それも好人物で、と臆面もなく自慢する俗物である。

 極めつけは、とあるホラー作品についての考察である。

 あのシーンは幼少期の──肛門期の性衝動リビドーがどうたらこうたら、あの登場人物はエディプスコンプレックスの発露でモチーフは母親だと断定するわ、まるでその作家と竹馬の友のような口振りである。

 十握はひきつった笑みを浮かべて拝聴した。

「あなたとは初対面のはずですが」

 なんど、その言葉が口をつきそうになったことか。

 流言飛語が飛び交うのは人気者の宿命である。苦にするだけ無駄である。いちいち、目くじらをたてていたらただでさえ悪い寝つきが悪化する。

 元いた世界で、珍説を唱える創作マナー講師や浅学評論家を見かけると手にしていたペットボトルをディスプレイに投げつけたい衝動と戦っていた十握は、こちらでも忍耐力を試されるしがないトラブルシューターである。

 そう、十握はじぶんを律している。

 こちらに送りこんだ存在の不興を警戒している。

 前にも述べたが神は秋の空より移り気だ。猫かわいがりもするし、意向に反する行為をちょっとでもしようものなら途端に手のひらを返すのは神話が証明している。目だったばかりに旧約聖書のヨブの二の舞は勘弁願いたい。

 ドアが開くと出迎える冷気に十握は身震いする。

「メイドに石を投げたこともあるという噂の癇癪持ちもこうなったら形なしね」

 天蓋つきのベッドに鎮座まします少女は生気が乏しかった。

 相貌は紙のように白い。

 十握の白さと異なり、こちらは不安を掻きたてるそれである。

 長いこと日に背いた生活を送った証左であった。

 枯れ枝のように痩せた手が十握を指す──いや、シャロンを向く。

 病魔に蝕まれていようと、造形の女神が全精力を傾注した美の結晶を指さすなどという冒涜が許されないことは理解できたらしい。

「失せろ」

 ハウリングでひずんだような声であった。

 調度品が呼応した。

 ダン、という床の抗議はシャロンが蹴ったことによる。

 首を傾げて化粧箱の襲来をかわすと、オットマンを蹴飛ばし、年期のはいった犬のぬいぐるみに刃をいれる。

 その首根っこを掴んで剥がすと床に叩きつける。

 白いものが宙を舞う。

 裂けた腹からこぼれた綿である。

 シャロンはカランビットナイフを手に構える。

 対する十握は棒たちである。

 寒さに身を震わせている。やはり、美しい者は得だ。窈窕たる美丈夫ともなるとこんな仕草ですらさまになるのだから。

 格好の的である。

 誰しもがかくありたいと憧れ、次にふた目と見られぬ姿に堕としてやりたいとたぎらせる暗い衝動が、今、成就しようとしている。

 部屋が暗さを増したのは見ていられないと月が雲隠れしたせいか。

 絶体絶命のピンチ。だが、しかし、殺到した調度品は一メートル手前で突如として推進力を失って落下したではないか。

「とんでもねえ野郎だ」

 部屋の主──マリーが感嘆を洩らした。

「桁違いの魔力でおれの術を無効化しちまった。やり口は幼稚だが、誰にでもできることじゃねえ。やっとまともな者を連れてきたか」

「あなたは? いわゆる多重人格というものですか」

 質問する十握が浮かない顔なのは形而上のことは面倒くさくてかなわないという苦手意識のあらわれである。

「知的で老賢人オールドワイズマンに見えなくもないが違う」

「それは重畳」

 十握は安堵に胸を撫でおろす。

「細かく定義しても仕方がねえ。ま、守護天使みたいなもんだとおもってくれ」

「見えませんね」 

「なら、外国語を喋ってブリッジでもしようか?」

 この娘にそんな知識も体力もねえぞ、と自称守護天使はいう。

「天使というには品性が感じられない」

 あたぼうよ、とマリーが昂然と、

「スキットルに一ガロンのウィスキーがはいるとおもうか? ラッパを吹いて悦にいるサディストなんか憑いたらなみの器はすぐに壊れちまう」

「なるほど」

「では、自己紹介もすんだことだし話をすすめるぞ」

「その前に、ひとつお願いが」

「ウェルカムドリンクならそこの水差しを飲んでくれ」

「寒さをなんとかしてもらえませんか」

「仕方がねえな」

 よっこらせ、と呟くとマリーはあぐらをかいた。

 パチン、と指がなった。

 室温が廊下と同じになる。

「あの、できればもう少し、温度をあげてもらえると」

「スクワットでもしろ」

 と、マリーはにべも──いや、順当な対応か。

「この不可解な現象はあなたの仕業ですか?」

「呪いだよ」

「あるのですか?」

 またしても、十握が浮かない顔をする。ラウドにきて多くの出会いを重ねてきたが呪いの「の」の字も聞いたことがなく、図書館で渉猟した魔法関連の本にも、大通人の随筆にも見あたらなかったことから、てっきり、存在しないものとおもっていた。白装束を纏い、頭にのせた五徳から垂れる蝋に声がでそうになるのを堪え、夜中にこそこそと神社の古木に藁人形を打ちつける、それも七日間連続などという陰気臭いことこの上ない手法は十握の忌み嫌うところであった。

「懐疑的なのは無理もない。呪術ができるなんていってる連中が百人いたら九十九人はふかしだ。手間がかかるし、術者の負担も大きい。それに、よしんば対象者がくたばったところで、依頼人がしみったれなら事故や突然死ということにして成功報酬を値切ってくる。そうなりゃ、実力行使でもぎとるわけになるから、腕っぷしも普通の魔法の技量も優れてなきゃならん。そんな有能な野郎は川砂を浚って金の粒を見つけるようなもんさ」

「ですね」

「それに、そこまで優秀なら普通は剣や魔法で稼ぐ。リスクの高い呪術を請け負うなんざ、性格のねじくれた変わり者くらいだ」

 マリーは一拍置くと、

「この娘もいろいろやらかしちゃいるが、ここまで恨まれる覚えはねえだろうから、親の因果が子に報う、ってとこだろう。父親がクソなのはしってるな?」

「ええ、重々、承知しています」

「大事なことだから操りかえすがルーピーはクソ野郎だ。娘のプラスになること──例えば、習い事はあれがいいだ、これがいいだと口を挟む癖に、マイナス──交遊関係のトラブルは子どものすることに親がでしゃばるのはよくないとかぬかして手間を嫌う。怪我や病気は使用人にあたらせてそれっきりだ」

 関わるとじぶんの失敗を認めるみたいで嫌なんだろうな。身につけた教養以上に財布が重くて反り腰の野郎にありがちな発想だ、とマリーは辛辣だ。

「呪いもマイナスですね」

「だから、匙を投げた医者の代わりにきた野郎はろくでもなかったぜ。当人は、禍祓いとか気どったことをぬかしてたがな。三流野郎にいじくり回されたらかえって悪化するから、おれが出ばって追いだしたって寸法よ」

「それでわたしの出番ですか」

「金を生まないことに金を突っこむのはバカのすることだと公言して憚らねえ、酒席でもじぶんは上等な酒を飲むが部下に安酒を強いる、あげくの果てが、お通しが野菜の酢漬けだとこんなもん頼んでねえと突っぱねるしみったれだが──世間体や親族の声が無視できなくなったってところだろう」

「で、呪いというのは?」

「おれが抑えこんでいるから今のところは問題ない」

「では、とっとと解くとしましょう」

「できるのか?」

「ええ、なんとなくですが、できる気がします」

「余人なら舐めた口を叩くなと怒鳴るところだが、とんでもない色男がいうと信憑性があるな」

 しかも、薔薇より棘が鋭い女を従えやがる、と下卑た笑みを浮かべてシャロンを見る。

「愛人に妙な格好させて連れ回すとはあんたも相当な好き者だ」

「彼女はわたしが出資している病院の看護師です。依頼人が誤解しているだけで病気の可能性もあるから同伴を願った次第です」

 それと、道案内を兼ねている。

「コスプレの説明は? 露出はねえのにでるべきところはでててひっこむところはひっこんで裸よりエロいなんて凡夫の発想じゃねえぜ。デザインもさることながら、生地といい、縫製といい、ありゃ、金がかかってる」

「ナース服は看護師の制服です」

 元いた世界で愚にもつかない治療を延々と続けた苦い経験が揺曳して、FBIの警告から始まる映像作品の看護師と女医のチャプターはスキップする十握に特段の意図などない。偶然、ソフィーが肉感的だったというだけだ。ペラッペラの衣装に追加料金を払って鼻息荒くベニヤ板で仕切られた小部屋に向かう猛者たちと不倶戴天の間柄の十握は、裸になるなら服に無頓着な──同衾相手が、うっかり、パンツを重ね着していたところで黙って二枚同時におろすおおらかな男である。おそらくは。幸いにも日常生活に支障がでるレベルのおっちょこちょいとの邂逅はいまだしだ。君子でなくとも凪のような生活を望めば危うきに近よらず。敬して遠くから愛でるのが正しい対処法と十握は心得ている。これには既存の概念に波風たてることでたつきを得る創作マナー講師も異論はあるまい。下手になつかれてこれ幸いと周囲に世話役をおおせつけられようものならアニサキスもかくやの活躍にロキソニンが手放せなくなる。こと人に限れば天然ものより養殖のほうが上だ。いや、正確を期すとマシというべきか。もっとも、女性の参加率が極めて少ないマニアックな世界で持て囃されて錯覚した、身の丈に釣りあわない気位の持ち主など野ざらしで錆びついた放置自転車一台の価値もないが──。

 閑話休題。なにもないところで転んですり傷だらけの変わり者でもわたしは一向に構わん食指を伸ばす悪食グルメの士気をさげるのはよろしくない。

「ま、そういうことにしとこうか」

 十握が抗弁するも、マリーはどこ吹く風だ。

「シャロンさんからもいってください」

「わたしは愛人でもいいけど」

「ややこしくなるからそういう冗談は……」

「もちろん、本音は違うけど──ボスを独り占めは無理だから」

 そういうとシャロンは顔を伏せる。肩が小刻みに揺れているのは涙を堪えているのでは、当然、違う。笑いを糊塗しているのだ。

 優秀な助手だが、一本気なパメラと異なり、シャロンは雇い主をからかう癖がある。暗殺者として育てられた暗い生いたちゆえに感情表現が苦手で、数少ない積極的なのがそれとなると十握もあまり強くいえずにいる。

「健気だねえ」

 惚れた弱味だな、と事情をしるよしもないマリーが軽口を叩くと、親指と人さし指で輪を作る。それを口に運ぶ。

 かん高い音が室内を席巻した。オルゴールが呼応して踊り子がくるくると舞う。

「これが酒場で絡む酔っぱらいなら目にもの見せるところですが──」

 十握は嗟嘆した。

この物語はフィクションです。実在の人物、団体とは関係ありません。

常に周囲を警戒していたシャロンにとって、気のおけない相手に軽口を叩けるということが新鮮なのでしょう。特定の人にだけ陽キャのごとくウザ絡みする陰キャみたい──いや、初対面だろうと強面相手だろうと関心が薄いだけで臆したわけではないのですから似て非なる存在となりますか。

それでは、また、次回にお会いしましょう。

追伸

そうはいっても、天然ものは惹かれるものがりますね。

無作為の美とでもいいましょうか。




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