おせっかいなふたり
もし、星や月に目があるとしたら、久々の賑わいに星は目を細め、月は血眼になって愛しき人を探したことであろう。
すごしやすい陽気となったことで夜の流謫民が街に溢れていた。
長い忍従の時を経たのである。
どの顔も多幸症患者のように頬がゆるんでいる。
その彼らを天国にも地獄にも誘う夜の水先案内人──客引きもようやく訪れた好機に演技でない笑みが貼りついている。
それだけ、今年の冬は執拗であったということだ。
例外はふたりいた。
「悪いな、嬢ちゃん。急に呼びだして」
と、いったのはサボンである。
「心配性の旦那が二人一組、それも恋人を装ったほうが無難だろうといいだしたものでな」
「十握さんらしいわね」
と、いったのはソフィーである。
「で、当の十握さんは? まだ、肌寒いから近場の店に避難してミルクたっぷりの紅茶で暖をとってるってわけ?」
「野暮用で金持ちと会うといってたな」
「パーティーとはいいご身分ね」
「どうだかな。金持ちのしょうもない愚痴につきあわされてるだけだとおもうぜ。──それとも、おめかししてエスコート役を務めたかったか?」
「狐と狸の化かしあいの輪にはいるのは気が重いわ」
ソフィーは肩をすくめる。
「おれたちも似たとこあるだろう」
「いっしょにしないで。わたしは口を動かしたぶん、腹もうごかす」
「たしかに、あんたは口より手がでるタイプだ」
「だとしたら、とっくの昔にあなたは石くれを枕に寝ているはずだけど」
「沈黙は金とはよくいったもんだ」
サボンが両手を広げる。降参の仕草らしい。
「おれたちにスプーンに天使がなん羽とまれるかシラフで語るなんて酔狂はできねえ。他人の尻を追いかけてるのがお似合いさ」
「その追いかけてる青い尻のことなんだけど」
アクアマリンを嵌めこんだような青い瞳に若い男が映っている。
くせ毛らしく金色の髪がゆるくウェーブしている。
愛玩動物のような大きな瞳に細い眉はさがり気味である。唇は薄く紅を引いたかのように鮮やかだ。地面に足を置くような歩きかたといかにもな優男である。
体にぴったりあっている洗いざらしのシャツが生活水準を物語っていた。
ご多分に漏れず、彼も浮き足だっている。
シラフだというのに頬が上気している。
見るものすべてが珍しいようだ。
常夜灯ですら食いいるように眺めている。仕組みが気になるらしく、ひとしきり強くなったり弱くなったりと安定しない灯りに目を細めていたかとおもえば、下を向いて柱に刻まれている紋様を指でなぞる。まるで、元いた世界のおもちゃの広告を飽きもせず凝視する子どものようであった。
同じ紅潮でも鼻の下を伸ばす連中と違ってこちらは好感が持てる。
「なにやらかしたの?」
「まだ、なにも」
「──?」
「素行調査を頼まれたのさ」
紅唇が半開きになった。
「そんな優先度の低いこと、よく、引きうける気になったわね」
十握を頼みとする者は多い。情に訴えて安くすませようとする不埒な連中は当然として、ない袖は振れぬで困窮する依頼人からは彼らが用意できるギリギリの額で手を打ち、不足分はトラブルの元凶から補填する──つまり、十握でなければ解決がおぼつかない事案であろうと十に九つは断っている現状である。普段であれば、単なる素行調査など他を当たるか、もしくは、地味な服を着てごじしんで後をつけてみては一顧だにしない。
「好奇心は猫をも殺す、というやつさ」
「細かいことが気になったわけね」
「依頼人が使用人なんだと」
「家の者が表にでたくないからじゃないの」
ご令嬢やご婦人が十握の顔見たさにエイリアのパン屋に足を運ぶほうが異常であって、面倒ごとは家人にやらせるのが貴人の嗜みである。
十握は平民である。商人が幅をきかせるラウドゆえに忘れがちだが、貴族が平民の元へ出向いて懇願するなど、封建社会として望ましいことではない。
「当主の代理をするには服装がみすぼらしくて──ま、そこらの一般人よか清潔だったそうだが──前金が少額貨幣の寄せあつめだったそうだ」
「使用人がお坊ちゃんを気にかける、か」
たしかに変ね、とソフィーは客引きと会話している若い男を見る。
「彼──名前は?」
「そういや、まだ、いってなかったな。パイターだ」
「いい名前ね」
「まあな」
その若い男──パイターが元いた世界でならさしずめ蛍光色の法被がよく似合ったであろう客引きに背を押されるように店にはいるのを見て、
「弱ったな」
サボンの眉根が寄る。
「あの店、なにか問題でも?」
「大ありだ。あそこはぼったくりだ。尻の毛までむしりとられる」
「それは災難ね」
「ちょっと、行ってくる」
「高い授業料を払うだけでしょう? 暴力沙汰になりそうだったら助けてあげてもいいとおもうけど、尾行の基本は不干渉よ」
そう、情れないこというなや、とサボンがいなす。
「あの、心底、嬉しそうな笑顔を見てるとな、なんだか、昔のじぶん──ラウドにきたばかりの頃をおもいだして他人事とおもえねえんだ」
ソフィーはまじまじとサボンの顔を覗きこんだ。
「ねえ、どうして裏社会の住人なんかになったの?」
「ぼったくり店で法外な金なんか払わねえって暴れたはいいが多勢に無勢でしこたま殴られて、あわや、ドジョウやタニシの餌になるところを親っさん──アーチーに拾われた縁さ」
「なんか、女性を引っかける時に使う身の上話みたい」
「引っかかる点があったか?」
「池か沼に沈めようとしたというのがちょっとね。ボラやハゼの餌になるだったら信憑性が増すんだけど」
池や沼と海、どちらが露見する可能性が低いか──つまり、死体の遺棄に適しているかは考えるまでもない。
「朱に交われば赤くなるで旦那に似てきたな」
アリアの情報を頼りにお洒落とグルメを楽しむ普通の嬢ちゃんはそんな細かいこと聞き流してるぜ、とサボンは苦笑する。
「ヤクザ者のいうことなど話半分で聞いてりゃ充分さ」
──客引きがサボンに気づいて頭をさげる。
「景気はよさそうだな」
「ええ、ようやく息をつけます」
ふたりは旧知の間柄であった。
「さっき、おまえがとっ捕まえたカモだが、あれはおれのしりあいなんだ。こんなことを頼むのは筋違いとわかっちゃいるが、見ちまった以上、放っとくのも寝覚めが悪くてな。適当なところで切り上げて無難な料金で解放しちゃくれないか?」
「気持ちはわかりますが──」
客引きがいい淀む。
ぼったくり店のバックとアーチーは縁戚関係にない。
「そう四角四面に考えることはねえさ」
サボンは柔和な笑みを浮かべる。
「商売の邪魔をするつもりはない。損失は補填する。金貨二枚でいいか?」
「そういうことでしたら」
客引きは手のひらの金貨を凝視しながらいう。
「よかった。円満解決でなによりだ。ごねるようならおまえが身の丈以上の金をシルバー通りのホステスに貢いでることをしかるべき筋に耳打ちするつもりだった」
「変なこというのはよしてくださいよ」
「十握の旦那がいうには時は金なりらしいぞ」
客引きは血相を変えて階段をくだった。
ブクマ100の壁は高いですね。
こちらの世界に時は金なりという考えはないでしょう。
電報が早く情報を伝達できると重宝されていた時代より人と物の流れが遅い世界ですから、急かすだけ野暮というものです。