冗談
第三道場は熱気が渦巻いていた。
慣れない正座をする少年少女たちの瞳に大写しの十握がいる。
比較的純真無垢な瞳である。
当然である。
尻の穴が排泄専門と信じて疑わない、元いた世界でいうところの小学校にあがるかどうかの年頃の少年少女たちが、酸いも甘いもしりつくしたような濁った目をしていたら世も末である。
虚弱体質から脱しつつある──要するにいいとこのボンボンたちだ。
相貌は元いた世界のおもちゃ売り場で興奮を抑えきれなくなった同年代のように紅潮している。少女のほうが色味が濃いのは、やはり女性ということか。色恋の感情が芽生える前の幼子であろうと造形の女神が全精力を傾注した美となれば惹かれざるをえないのであろう。
先に動いたのは十握であった。
ゆっくりと歩きだした。
もし、一般の道場生がいたら賛嘆の声を漏らしたに違いない。
ブレのない、重心バランスのとれた歩法であった。
歩く──誰でもできることだが、この領域までたどり着く者は少ない。
イメージは御殿手である。
手は琉球の言葉で武術を意味する。
元は上流階級のみが習得を許された門外不出の武術である。
姿勢を正した、膝の伸びた姿勢を基本とする。王者たる者、匹夫下郎風情にぶざまな姿は晒せぬという矜持のあらわれか。
アクション好きの十握は漫画や動画でその勇姿を目に焼きつけてあった。
対峙するはピラトである。
こちらは半身に構えている。
額に大粒の汗が浮かんでいる。
これが初めての手あわせだが、高位の者ともなれば拳を交わさずとも相手の力量が窺えるというものだ。
ふたりの距離が二メートルほどに縮まった。
裂帛の気合いが耳朶を打った。
ピラトの放った前蹴りは残像を貫いた。
斜め前にでることでかわした十握がピラトの足を掴む。
もう片方の手を胸元にあてる。
これが実戦であれば喉を狙っている。
床に叩きつける腹積もりである。
だが、後方に飛びすさったのは十握であった。
「やりますね」
繊指が顎をさする。
ピラトが自由なほうの足で蹴ったのである。
苦し紛れとはおもえない、呵責のない一撃であった。
コンマ一秒遅れていたら顎は砕かれていたであろう。それを美の女神が看過できずに介入はありそうだが──。さしもの十握も緊張で顔がこわばっている。
「そちらこそ」
ピラトは右足をかばうようにたっている。
女性のそれと見紛うようなたおやかな手のどこにそのような力が秘められていたのか。万力で締められたかの圧搾であった。
凡夫なら塑像と化している。
裾を捲れば手の跡がくっきりと確認できるはずである。
それを見た者は伴う痛みを想起して顔を背けるか、はたまた、ラウドでもっとも美しい手形に恍惚と魅いるか。嫉妬に身を焦がす者もいるやもしれない。
「続けますか?」
十握は訊いた。
「消化不良ではありますが、やめときましょう」
ピラトは構えを解いた。
「これ以上は子どもたちの情操教育によろしくないかと」
「ですね」
観客は健康増進が目的の子どもたちである。冒険者や傭兵、用心棒などの切った張ったの世界に身を投じる予定はない。ならば、楽しいおもいでだけ持たせて修了するべきというのが十握の方針である。元いた世界で、子どものスポーツの指導員が否定的なことばかりいっているのを見ると、匿名掲示板に常駐する、褒めると損した気分になる陰湿な荒らしみたいだと肩をすくめる十握は、ちょっとした言葉のいい間違えは見逃すし、時間に余裕のある時はどんなにつまらない話でも相槌を打つことにしていたので、同僚のどうでもいい愚痴や痴話喧嘩につきあわされて安中散を服用するはめとなったマヌケだ。
俗物的な理由もある。
子どもが喜べば親も喜ぶ。財布の紐がゆるむ。彼らにとってひと晩の飲み代にも満たぬはした寄付金でも第三道場には大金である。
潤沢な資金があれば、屋根の修繕や備品の破損などの不意な出費で一般の道場生の懐が痛むことがない。
大事なお客さまは丁重に扱うべきである。
元々、門下生の大半が魔法職なこともあって、変に武張ったところはなく、サービス業に徹することに抵抗感はなかった。
今の試合もサービスの一環である。
モチベーションをあげるためである。
初心者向けの講習などちょっと愛想のいい門下生でも務まるが、どうせなら高位の者──トップに教わりたいというのが習う者の心情である。
家から五キロが大冒険の彼らに十握の武勇(蛮行?)は届いてこない。親がどういおうが外聞では信憑性に欠ける。横の繋がりのない複数の外野の反応から当事者の力量を推し測る腹芸は十年早い。
柄ではないが、武を誇示する必要があった。
これでも、一応、パフォーマンスの範疇である。
本気であればピラトは得物を手にしている。魔力をこめる。眼球や金的などの急所を狙う。十握も針を飛ばす。糸を張る。魔方陣を描く。篤信深い者なら痩せた男の名をつぶやくと同時に十字を切らずにはいられない凄惨な光景はギムレット同様、年端のいかぬ者には早すぎる。
「普通は表情や足や肩の動き、息づかいなどからなんとなく先が読めるたりするのですが──十握さんは兆候がないからやりづらい」
ピラトが痛む足をさすりながらいう。
「なんにも考えてませんからね」
文字通りの意味だったが、
「無我の境地というやつですか」
ピラトは好意的に解釈した。
──興奮冷めやらぬ子どもたちが退出すると十握は首を傾げた。
「ソフィーさん、遅いですね」
合流していっしょに体を動かすことになっている。
ソフィーは義理がけで出払っている。
とっくに終わっていていい時間である。
「トラブルに巻きこまれているのかもしれませんね」
「彼女がですか?」
鬼神も三舎を避けるラウドの傑物である。
面識のない低脳でも悽愴な気にあてられたら逃散する。
「トラブルに首を突っこんで引っ掻きまわしてるといいなおしましょう」
「その可能性は充分にありますね」
もしかすると、新郎側の友人代表が酔った勢いで洒落ですまない悪事を暴露したり、異議のある者があらわれて新婦を連れだして揉めたのかもしれない。
ソフィーは図太い。そして、好奇心旺盛である。
親類縁者がばつが悪そうに退散するなか、アルコールでつまみを胃の腑に流しながら、いくらか侮蔑をこめた笑みを浮かべて悲喜劇を観察する姿が容易に目に浮かぶ。
そして、その不遜な態度に憤懣やるかたない者が、
「見せ物じゃねえぞ」
と、歯を剥けば、待ってましたとばかりに、
「たしかに、こんな茶番じゃお金はとれないわね」
食後の腹ごなしをリクエストする姿は想像に難くない。
──銀髪の少年がもどってきた。
「忘れ物ですか? アレンさん」
十握が訊く。基本的にこちらの人物の顔と名前を把握するのが苦手な十握だが、失望させてはもうしわけないと頑張って覚えた。名札をつける案はたかが十人たらずとピラトが却下した。
「これ、渡すように外でおじさんに頼まれて」
「それはご苦労様さまです」
封を破り、手紙を一瞥すると、
「ひと足早いエイプリルフールですかね」
十握は独語する。
もし、この場に女性がいたら手紙の差出人を親の仇も同然と憎んだに相違ない。十握の眉間に皺などという無粋なものが刻まれたのだから。
「下手な字でソフィーさんを誘拐したと書いてあります」
「春の訪れを感じますね」
世界を問わず、木の芽時は奇矯な振るまいをする者があらわれる。
「もっと美しいもので感じたかったですが──人生はままならないものです」
「それを十握さんにいわれるとヤスリをかけられたみたいに心がざらつきますね」
「すぎたるは、なお、およばざるがごとしですよ」
「そういうものですかね」
「そういうものです。わたしの名を騙る詐欺師が多くてひと苦労してます」
「それは──ご苦労なことで」
「せっかくのお誘いですし、顔をだしてきます」
「面白そうだから同伴しても?」
「それにはおよびません。臆したとおもわれても癪ですし」
「九九が六の段でつかえる低脳風情にどうおもわれても気にする必要などないのでは?」
「わたしも消化不良でして。本格的に体を動かしたいところです」
「低脳に同情したくなってきました」
巻きこまれたら大変ですので留守番してます、とピラトは苦笑する。
──十握が踵を返した十分後に大きな足音をたててソフィーがあらわれた。
「ごめんなさい、道に迷ったお年寄りを送ってたら遅くなって……あれ、十握さんは?」
ピラトは弄うようにいう。
「白馬の王子さまは破天荒なお姫さまの救出に馳せ参じました」
ようやく、念願だった台湾産のパイナップルを買うことができました。
前回はどこも品切れで、せっかく台湾を応援したい気分だったのに、なんか代わりになるのはないかなといろいろと探して、なぜか、台湾の動画サイトの会員になって、それはそれで収穫でしたが、やっぱり、一度は食べてみたかったので。
人気になるわけです。
甘いし、芯までやわらかい。
これが普及したら従来品が苦労するだろうなと余計な心配してしまう出来です。
みなさんも機会があればご賞味ください。
それでは、また、次回にお会いしましょう。
『映像研には手を出すな!』のアニメと実写を交互に観ながら。