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明けの明星

 風が哭いている。

 絹を裂いたかのような声であった。

 潮風である。

 暴漢から逃げるか弱い女性のようである。

 少しでも海から逃れようと駆けている。雑木林の隙間を縫うように進む。追いすがる波は浜辺に乗りあげると、元いた世界の高校球児のようにくやしまぎれに砂をさらっていく。

 荒々しかった。

 嵐がきたみたいである。

 貿易港であるラウドは一年を通して穏やかだが、たまにこういう日がある。よくないことのおこる前触れといわれている。

 凶兆である。

 板子一枚下で感受性が麻痺した船乗りたちも、この時ばかりは娼館に避難して女性の肌のぬくもりで心の安寧を保つ。あるいは酒に溺れる。

 剣と魔法のファンタジー世界である。安易に迷信のひと言で片づけるのは難しい。信憑性の有無はさし置いて、これを嚆矢に人の住めぬ荒廃の地と堕ちた島が天と地の境界が曖昧だった神代の頃にあったと童唄にある。

 暗闇にランタンの明かりが揺らいでいる。

 輝度が高かった。魔力を付与した高級品である。

 灯台守とうだいもりのシェールである。

 真剣な面持ちであった。

 悽愴な気を放散している。

 筋金のふにゃふにゃしたチンピラなら、いや、金のためなら年端のいかぬ者でも躊躇なく凶刃を振るう極悪人ですら即座に目を逸らす凄みがあった。

 昼間の茫洋とした若者は世を忍ぶ仮の姿であったのだ。

 シェールは海岸沿いを歩いている。

 禁足地──立ちいり禁止区域である。

 元いた世界の役所なら面倒ごとを嫌って予防線を張ることはままあるが、ここではそれが面倒ごとになる。文字通り、危険な場所ということだ。

 夏場に脳が熱気で溶け崩れた連中が肝試しと称して侵入してはなん人かが行方不明となっている。人気ひとけがないのをいいことに死体を捨てにきた無頼の徒と鉢あわせした可能性は高いが、それだけではあるまい。

 波うち際に漂うブヨブヨの、得体のしれない腐敗物を家宝の三叉槍で突くと、握った手に伝わる不快感にシェールは顔をしかめた。親の跡を継いで十年になるが慣れとは無縁であった。駆けだしの頃にそのことで父親になじられたことは一度もなかったことから、克服は絶望的なのかもしれない。

 これも灯台守の重要な仕事である。

 漂着物はグロブスターと呼ばれている。

 正体不明の総称である。

 たいていはとるにたらない存在で、曙光が海原を緋に染めると同時に溶け崩れるが油断は禁物である。適応するものがあらわれたらことだ。過去に人に擬態したものがいる。背乗はいのりした者がいる。脳を啜って記憶を盗みとる。ああ、華燭の典で神父のお決まりのフレーズを首肯した幼なじみがなんの前触れもなく輪郭を失い、泥塊と化す姿を目の当たりにした新郎の苦悩といったら──。十年経過して、なお、酒と向精神薬が手放せずにいる。元いた世界と違って、反対しにくいことをいいことにあれもこれもとオプションをふっかけるウェディングプランナーはギムレット同様、まだ早すぎるので、挙式が質素であったのが不幸中の幸いであった。

 やっていることは寝ずの番と同じである。

 もはや、人の世に蛭子や夷子や二色人ニイルピトのような客人であろうと人智を超えた存在に用はない。諸手をあげて歓迎し、生殺与奪の権利を差しだすのはフードで顔を隠すシャイな邪教徒くらいである。免罪符のあがりでテーブルチャージのかかる飲み屋に繰りだす聖職者とて神輿は軽ければ軽いほどいい。せっかくの空位にそれを据えて、皮袋にはいった安ワインと黒パン生活などまっぴらである。

 不意に風がやんだのは、二十匹(?)ほど突くとシェールが左手の拳で腰を強く叩いた時であった。

 波も追随して凪となる。

 予兆が終わった。つまり──。

 シェールの相貌に緊張がはしる。

 視線は海のかなたの一点を凝視している。

 夜目の利く双眸は巨大な背鰭をとらえていた。

 それは二本の足で波うち際をたつ。

 シェールと十メートルほどの距離で対峙した。

 画竜点睛を欠くとはよくいったもので、なぜか嗅覚は春先の花粉症患者よりいくらかましなていどの十握でも鼻が曲がる異臭が周囲にたちこめている。

 鼻を押さえたいところをシェールはかろうじて踏みとどまる。

 弱味を見せるわけにはいかなかった。

 シェールは胸を張って闖入者ちんにゅうしゃを睨めつけると獅子吼した。

「古代の約定を破る気か」

 返答は、直接、脳にきた。

「ソレモマタ一興」

 テレパシーである。さもあらん。声帯がないのだ。コミュニケーションをとろうとすればジェスチャーかこれの二者択一となる。

 一応は、人魚になるのであろう。

 ベースは巨大な黒鯛である。

 鱗がぬらぬらとぬめ光っている。

 胸鰭のある場所から手が、尻鰭のある場所から足が生えている。エステで脱毛処理してきたかのような滑らかな肌が本体との対比でかえって不気味であった。

 各々が剣や槍や棍棒などの得物を手にしている。

 同じ人魚でもハイドラと異なり、醜悪のひとことにつきる容姿であった。

「案ズルナ」

 こういったのは他よりひとまわり大きい個体である。

 宝石を嵌めこんだ杖の動きでそうとわかる。

 同じく、大ぶりの宝石が目に鮮やかな王冠を被っている。

 彼だけがテレパシーを使えるのかもしれない。封建社会は階級差に拘泥する。貴人が下々と直答などマナー違反もいいところだ。目と鼻の距離にいても聞こえない振りをして従者を介するのが作法である。まどろっこしいとおもうのは元首を批判しても名誉毀損罪にも国家機密漏洩罪にもあたらない恵まれた者の感覚である。元いた世界でも、侍が台頭する前はそうであった。

「偉業デハアルガソノヨウナ面倒ナコト、我ノ代デナソウトハオモワン」

「─だったら、すぐに去れ」

「ソウモイカン」

 ハウリングでひずんだような音がシェールの脳裏に響いた。

 会話の展開から察するに嘲笑なのであろう。

「タマニハ陸ニ逃ゲタ柔弱者ヲ観察シヨウトオモッテノ」

「そのような世迷い言が通用するか」

「ナラバ、トメテミルガイイ」

 キン、と空気が凍った。

 シェールは三叉槍を構える。

 多勢に無勢の状況。だが、彼の双眸は烱々と光り、口許に不敵な笑みを浮かべているではないか。

 海のものなど怖るるにたらぬということか。

 願わくばそれが匹夫の勇であらんことを。

 ついに、半魚人が上陸した。

 存外になめらかな動作であった。

 声にならない気合いをあげて踊りかかる連中をシェールは三叉槍で迎え撃つ。

 相手の得物はシェールに触れることがかなわず、三叉槍の餌食となった半魚人がバタバタと倒れる。

 熟練冒険者もかくやの八面六臂の活躍である。

 三叉槍の石突いしづきを地に刺すとシェールは跳躍した。

 丸い目のそばを蹴られた槍持ちが後方にいる同僚を巻き添えにする。

 三叉槍で負傷した者はそこから白煙をあげている。

 もし、表情筋があれば苦悶の相を浮かべたことであろう。

 三叉槍は海のものを制するための特別製である。

 千人の妖術使いが建物をとり囲んで呪文を詠唱するなか、当代一の鍛冶屋が希少な隕鉄と、元いた世界の聖火ランナーのようにして運んだ火山の火と神経すら修復するといわれる──体系づけは今だしだか、切った張ったのやりとりでそういうものがあるという認識はあった──聖なる泉の水をガロン単位で用いて鍛造した名品である。神話に登場するような傑物が掃いて捨てるほどいた超古代文明だから成しえたことで、今、復元しようとしたら国家予算に匹敵する。

「雑魚がなん匹こようがものの数ではないわ」

 シェールが三叉槍を半魚人の王に向ける。

 半分が地に伏したことで動揺がシェールのいう雑魚に伝播している。

「かかってこい」

「大将はどっしり構えておくもんさ」

 ああ、まさか、背後から返答があろうとは。

 シェールは口を塞がれた。

 薬品の臭いを認識した次の瞬間、意識が遠のく。

「腕はたつが、経験不足が仇となったな」

 厚みのある手が放れると糸の切れた繰り人形のようにシェールは崩れ落ちた。

「なあ、本当に殺らなくていいのか?」 

 まるでコーヒーにミルクの有無を尋ねるかの気さくさである。

 シェールを眠らせたのはホセである。醜怪な人魚に全神経を尖らせているのをいいことに、気息を絶って背後から近づいたのであった。

 ハンカチに染みこませてあった麻酔の働きである。大枚払ってすずらん横丁で買い求めた品だけあって効果は覿面てきめんであった。

 返答も質問と同様に軽かった。

「捨テ置ケ。半日ホド眠ラセテオケバ問題ハアルマイ」

「ま、それなりの人物だしな」

 報告せにゃならん実害がなければ、わざわざ、じぶんから失態を公言はせんだろうて、とホセはシェールを一瞥する。

 ラウド採用の役人のなかではシェールは高位である。名目上の長官である皇太子が任命した形式は彼だけとくればあだやおろそかにはできまい。

「それに殺ったらバランスを欠くことになるかもしれねえ。そうなりゃ、神の見えざる手の補正で困ることになるのはあんたらだ」

 カラカラという笑い声が嫌に大きく聞こえる。

 半魚人側はおびただしい負傷者だが死んだものはいない。

 同じ理由でシェールが手加減したのであろう。

 再度、空気が凍りついた。

「詳シイナ」

「気になる相手のことは入念に調べたくなる口でね」

 ホセは泰然自若である。口の端に薄い笑みを浮かべている。

 殺しが日常に溶けこんでいる者ならではの反応である。

 殺しを楽しんでいる者の反応である。

 殺ることに躊躇いはないし、殺られることを怖れてもいない。

 シェールを経験不足と断定するだけのことはあった。

「いいのか? 早くしねえと、おれたちに明日はない、ってことになりかねないんだぜ」

 大粒の宝石が嵌めこまれた杖がシェールを向き──いや、もどる。

「陸ニ逃ゲタ矮小ナ存在ノナカニハ知恵ノ回ル者モイルトイウコトカ」

「おい、おい、ビジネスに思想信条を持ちこむのは愚の骨頂だぞ」

 半魚人の王が頭を少し傾げる。

 人でいうところの肩をすくめたつもりらしかった。

気楽にネットカフェで缶詰できた頃が懐かしい。加筆訂正に苦労しました。

今回は書き手ではなく読み手の視点からの考察というか私見です。

なろう読者なら一度は考えたことのある、もし、じぶんが異世界転生したらどうなるか、どうすべきかについてです。

どこかの子どもとして第二の生を授かったのでしたら問題はないのですが、いきなり放り込まれるケースだと慎重さが求められます。

やはり、相棒は女性が無難でしょうかね。

別に男性でもいいのですが、もし、ハニートラップにかかって寝返られたらことですし、意中の相手をめぐって恋の鞘当てになるかもしれない。

右も左もわからない世界の案内人は全幅の信頼がおける人にお願いしたい。

いくらチート能力を授かろうが隙を突かれたら元も子もない。

安全とはほど遠い世界です。

毒殺や寝こみに怯える生活はまっぴらです。

幸いなことに、男女の体格差はさほどないようですし、とびきり強くて、他の男など眼中にない──ヤンデレ気質が望ましい。

気疲れしそうですが、そこは、ま、生存戦略ですから甘受するよりない。

もちろん、美しいのは必要条件です。十握の域までは求めませんが。

わかりやすい例だと『オーバーロード』のアルベドさんや『姉なるもの』の千夜さんあたりでしょうか。

そうなると、定番のハーレムは厳しいかもしれません。

そちらは万槲の涙を飲んで悪役にゆだねるとしましょう(笑)。

それでは、また、次回にお会いしましょう。

もっと多くの人にしってもらいたいのでブックマークと高評価、感想とレビュー、さらに欲をいえば友人知人赤の他人への宣伝をよろしくお願いします。

さくふわさくらんを食べながら。

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