女だらけのお茶会
波に揺られるその場所は甘い香りが充満していた。
旬の果物を贅沢に使ったフルーツサンドと元いた世界のアッサムに似たストロングティーで淹れたミルクティーと女性たちの匂いである。
屋形船である。
カジノで大勝ちした客を狙うスリを捕まえたお祝いが開かれている。
主賓のシャロン、パメラ、ソフィーに手が空いていたエイリアとカミーラ、それから、久しぶりにラウドの地を踏んだセシルが参加した(侯爵家令嬢らしく仰々しくも長ったらしい名はあるが、こちらの彫りの深い顔と名前を覚えるのが苦手な十握への配慮とお忍びということで簡易なあだ名で通している)。
レベッカは余人に任せられない重要な商談があるとかで断念した。
アッサムに似た高級茶葉は彼女の差しいれである。
誘えばおっとり刀で駆けつけるであろうアリアは十握が難色をしめした。記者のオフレコがあてにならないことは、元いた世界で密着などされたためしのない、凡庸極まる生活を送ってきた者でも、遺族にマイクを突きつけて、
「今の気持ちを教えてもらえますか?」
正気を疑う姿をワイドショーで目撃して身に染みている。
十握はプライバシーの切り売りはしない主義である。と、いうか、できない。恥の上塗りなどしたらただでさえ悪い寝つきがもっと悪くなる。
船内は賑やかであった。
めったにお目にかかれない高級な甘味に彼女らは双眸を輝かせている。
こちらでは砂糖を使った菓子は高値の花である。
ケーキと同等の甘味が手頃な価格で買えると十握が提案したフルーツサンドは好評を博している。ただし、購入は手軽とはいかない。現時点ではソフィーの両親が営む喫茶店の月一の限定メニューである。元いた世界の朔日の三重の老舗菓子屋のように暗いうちから人々が列をなしている。両親だけでは対処しきれない。が、さしたるトラブルもなくつつがなく終わるのは助っ人の働きによる。パン屋を休んだソフィーが睨みをきかす前で、転売目的の買い占めや肩がぶつかったぶつからないなどのいさかいは自傷行為に等しかった。
他にも試作品がならんでいる。
牛乳かんである。
無論、誰がこしらえたかいうまでもない。
テングサらしき海藻が手にはいったのでものは試しと冬の寒さを活かして寒天を作ってみたのである。
寒天の分量が多かったせいで牛乳かんはやや固めのしあがりとなってしまったが、女性陣にとって些末な問題であった。競うように胃の腑にながしこんでいる。十握が手ずから作った価値とこめられた膨大な魔力を考慮すれば、同重の金と交換を持ちだす粋人があらわれてもおかしくない。
事実、無理難題をいいかねないギルド長を黙らせるべく十握が餌付けしているギルドの窓口は差しいれで大きな変化があった。
元より容色がとびきりいいクレアを除いて肌艶がよくなっている。
食べる化粧品と珍重されている。
その主催者である十握はというと、両手に花どころでない眼福な光景を楽しむ暇はなかった。長火鉢を前に微動だにしない。
暦の上では春だが、吐く息は白い。
今回の冬は別れたことを受けいれられずにプレゼントされた服を着て最寄り駅で待ち伏せするストーカーなみに執拗であった。
「お茶のお代わりはどうですか?」
カミーラが訊く。
「いいですね」
「ミルクティーとストレート、どちらになさいます?」
「ストレートティーをお願いします」
高所から注がれる琥珀色の液体が猫板に置かれた大輪の花が目に鮮やかなカップを満たすのを待つと、
「落ち着きませんか?」
「お見通しですか」
カミーラは苦笑する。
「箸休めしたい気持ちはよくわかります」
あれですから、と十握はかまびすしい彼女たちを一瞥する。
カミーラは個性の強い面々に囲まれて萎縮している。
なまじ、生真面目なだけに庶民のように振る舞っていても随所に滲みでるセシルの品位に緊張している。十握でも気がついたのである。ラウド支部を代表する冒険者が貴族と見抜けないはずがない。そして、優秀な者ほど貴族と接することが多く、敬して遠ざけるべきという結論にいたる。ラウドでは猫を被る者が多いが、本来、上流階級の者たちは人材派遣会社の役員におさまるマクロ経済の学者と同じで下々の生き死になど歯牙にもかけない。エイリアはその生いたちから、シャロンは前職で培った警戒心から察してもよさそうなものだが──素知らぬ振りである。本来は感情の起伏に乏しいふたりのこと、十握が責任を持って招待した相手に綾をつけるのが億劫なのかもしれない。
「でも、ま、初々しいカミーラさんが見られたのは怪我の功名です」
「もう、からかわないでください」
「わたしはお金を生まない弄りはしない主義です。カミーラさんは、もっと、ごじしんの魅力を自覚するべきです」
「わたしは筋肉質で傷だらけの女です」
「だが、それがいい」
「──?」
ふたりが耳の裏まで緋に染めた時、なにか重い物が衝突して船が揺れた。
よろめくエイリアをソフィーが受けとめる。
「変ですね」
十握が首を傾げる。
船頭は急に腹がさしこんだとかで川宿のトイレに駆けこんでいる。
船は桟橋に繋がれている。
十握は窓を見る。
元凶と目があった。
それはアクアマリンを嵌めこんだような澄んだ瞳であった。
「シャチに追われて船に避難するペンギンは見たことありますが──」
十握はひとりごちた。
──甲板に女性が横たわっている。
しとどに濡れている。
全裸であった。
上の大事な場所はふた房のピンク色の髪が、下の大事な場所を隠しているのは──鱗だ。
「わたしは一介のパン屋の店員で、王子ではないのですが……」
王子という意味不明のフレーズの前に、一介のパン屋の店員といういいかたに大いに違和感を覚えた女性陣だが大事の前の小事と沈黙を選んだ。
彼女は人魚であった。
十握の発言からわかるように絵本にでてくるほうの人魚である。
猿と鮭をくっつけた醜怪なほうであったら──人魚の剥製は江戸期の輸出品で人気があった──問答無用で蹴り落としていたであろう。
世界を問わず、見てくれのいい存在は得である。
「あの、ご用件は?」
おずおずと十握が訊いた。
「ここはどこですか?」
「ラウドですが──」
「サルガンソーからどれくらい離れてますか?」
全員が他者に回答を委ねた。
生後一年未満の十握にしるよしもない。
女性陣も地理に疎い。
パメラは、昨日今日、やっと大海をしったカエルである。
エイリアとソフィーとシャロンはラウドの住民の悪い癖がでている。他領への関心が薄い。宗教施設が観光の目玉になる世界ではないし──魔法という奇跡が常態のこちらでは開祖が湖を歩いて渡ったところで求心力に欠ける──食事と演劇の質はラウドが一番である。加えて外は野盗やモンスターが出没するとなれば、わざわざ、僻地におもむくこともないという判断はむべなるかな。
カミーラは警護で外にでるが、もっぱら陸路である。海は疎い。
なにごとも従者任せのセシルは論外である。
「近くではないですね」
十握が言葉を濁す。
「そこにもどりたいのですが」
歯が鋭い以外は人と変わらぬ相貌に困惑がありありと浮かぶ。
「流されでもしましたか?」
「そんなところです」
六対の視線が十握に集まった。
十握は肩をすくめる。
「わかりました」
期待に応えた形である。目は口ほどにものをいう。異口同音に助けてやれと訴えていた。強くなければいきられない。やさしくなければ生きる資格がない、の精神である。十握の薫陶の賜物である。
「これもなにかの縁です。お手伝いしますよ」
泡になられたら夢見が悪くなりますからね、という蛇足は口中にとどまった。
「ありがとうございます」
「ただちにというわけにはいきませんから、時に陸にあがっていただくことになるとおもいますが、その──」
「それなら大丈夫です」
人魚の返事は快活であった。
「人の姿をとれば陸上も普通に動けます。ちょっと待ってください」
「それは船内でお願いします」
十握は慌てて背を向けると赤面もののシチュエーションを回避した。
今回は教訓です。
みなさん、夜道は気をつけましょう。特にしらない道はなにがおこるかわかったものじゃないです。
恥ずかしながら側溝に落ちました。
かなり深めです。膝まで濡れました。
暗いうえに眼鏡が曇っていて気がつきませんでした。
落ちた瞬間はちょっとだけ時の流れが遅くなりました。
「なに?」
「落ちる?」
「川?」
脳裏に浮かんだのはこれくらいです。
グラップラー刃牙の描写といえばわかりやすいとおもいます。
こんなもんですよ。
衣食足りて礼節を知るみたいなもので、安全な立場に身をおいていないと高度な論理的推察なんてできやしません。
生きるか死ぬかの瀬戸際で、それも時間に終われていながらあーでもない、こーでもないと思考するデスゲームの登場人物は過剰演出ですね。
ま、面白ければなにしたっていいのですが。
情けないおもいに押し潰されそうになりながら帰路につきました。
不思議と寒さはなかったです。
筋肉痛は翌日にきました。水深があったから軽くすみましたが、高さが高さですから空だと足首をやっていたかもしれません。
みなさんも夜道はくれぐれもお気をつけください。
眼鏡着用者は曇りどめをわすれずに。
それでは次回に、また、お会いしましょう。
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久々に「ランボー」のシリーズを順に観ながら。