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裏切りは血であがなえ

 その日の夜。

 ビクトルはマリクトをもてなした店にいた。

 シャンデリアの明かりがきらびやかな世界を演出している。

 今回も人払いをしている。

 まるで欠けた茶碗で紙パックにはいった酒を飲むかのように上等なウィスキーを無造作にあおると空のグラスを叩きつけるようにテーブルに置く。

 チャームのナッツに手を伸ばす。

 ちまちま食べるのがもどかしいとばかりに皿を傾けて口中に流しこむ。

 力強く砕く音が店内に響き渡る。

「まさか、ここまでうまくいくとはおもわなかったぜ」

 上機嫌で頭巾で顔を隠した同伴者に声をかける。

「王都の切れ者もラウドじゃ青っ洟たらした餓鬼も同然ということか」

「辛辣だな」

「同郷の仲だろうが邪魔だてすりゃ敵だ」

「てっきり、金で懐柔するものとおもっていたが──」

「そんなことしたらおれのとりぶんが減る」

「強欲な男だ。だが、それがいい」

 同伴者はスパークリングワインを嗜んでいる。顔がわからずとも、フルートグラスを持つ指のつけ根の隆起を見ればどういう人種か想像はつくというものだ。

「オンデンの御前への報告はどうする?」

 同伴者が訊いた。

「気になるか?」

 ビクトルが弄うように訊くと、同伴者は昂然という。

「あたり前だ」

「安心しろ。マリクトの野郎がよせばいいのに王都民の悪い癖で、権高なものいいいでラウドで手をだすと厄介な相手のひとりを怒らせて」

 首を掻き切る仕草をする。

「それで納得するか?」

「あの因業爺が他人ひとの話に素直に耳を傾ける玉かよ」

 信じられるのは金と死体と愛猫だけだって公言して憚らねえクソ野郎だぜ。だから、ちっともボロをだしやがらねえ、とビクトルは唇を尖らせる。

「おい」

「調べれば、いかにマリクトとて分が悪い相手とすぐにわかる。そうなりゃ、リグルト──おまえがラウドにいないという報告の信憑性が増すってもんよ」

「捨てた名だ」

 頭巾の同伴者──リグルトは不快げに口の端をゆがめる。

「誰も聞いちゃいないさ」

 ビクトルは意に介さず、

「ラウドを代表する乾物屋の主人がこんなことでうろたえてどうする。どっしり構えてろ。陰気臭い面してると客に逃げられるぜ」

「ならず者に説教くらう日がくるとはな」

 リグルトは肩をすくめた。

「ラウドに平和がもどったことに乾杯だ」

 グラスを掲げるとビクトルは急に真顔になる。

「いろいろ裏から手を回したんだ。──わかってるな?」

「金は後で届けさせる」

「まいどあり」

 ビクトルは揉み手する。

「今後ともよろしく頼むぜ」

 ビクトルとリグルトは共生関係にあった。

 名を捨て顔を変え、オンデンの御前から奪った金を元手に乾物屋の主となったリグルトにとってビクトルは話のわかる相手であった。

 素性がバレるやいなや、ビクトルは金を要求した。

 御前に報告する気はさらさらなかった。

 報告したところで得るものがない。

 お褒めの言葉では腹は膨れぬ、猛ったものは鎮まらぬ。

 事実上の左遷である。点とり虫に徹したところで返り咲く目はない。

 彼もまたラウドの住民で気位だけの王都のそれを心内では下に見ている。

 即物的な理由もある。

 借金のとりたてと保険を手がけるだけの、ラウドに縄張りを持たないよそ者がどのような因縁があろうと正業に綾つけるのは穏やかでない。

 リグルトがしらばっくれたら困ったことになる。

 こちらの世界にDNAや声紋の鑑定技術は今だしだ。

 揉めればリグルトはどこかの組織を頼るか、冒険者や傭兵を掻き集めた自前の兵隊で抗すこととなる。

 四面楚歌である。

 最悪、石もてラウドを追われることになりかねない。その末路はカリギュラも嫉妬にほぞを噛む凄惨な拷問を経ての死だ。

 今ではミカジメ料に加えて、リグルトが寄越す情報を元手に投機で荒稼ぎしている。せこせこと裏金をこさえずとも豪遊できるいい身分である。

 その掌中の珠であるリグルトをとりあげようとするマリクトは不倶戴天の敵であった。同郷のよしみがはいる余地などない。

「これはどうでもいいことだが」

 リグルトは前置きすると、

「おれのひと粒種ということにしたデブ、あいつはなに者だ?」

「さあな」

 ビクトルは手を振る。

「身なりからしてどこかのボンボンだろ。くたばってたらうるさくなったかもしれねえが、かすり傷ひとつねえというから世はこともなしさ」

「かくして平和は訪れる、と」

「金儲けに邁進できるって寸法よ」

「はたしてそうでしょうか」

 会話に割ってはいったのは穏やかな声であった。

 愕然とふたりは声のした方向を向いた。

 ケンがいる。

「わたしを利用したことは高くつきますよ」

 柔和な笑み。だが、心胆が底冷えする凄みがあった。

「しゃらくせえ」

 酒瓶に手をかけた次の瞬間、リグルトの首が胴と別れた。

 天井近くまで達した緋液の噴水が視界を遮る。

 ビクトルはテーブルを蹴った。

 ケンが横に避けた先に右八双に剣を構えたビクトルがいる。

 銀線が宙を薙いだ。

 ケンの左胸から右の脇腹へ緋色の線がはしった。

「デブはデブらしく脂身でも喰って太ってろ」

 哄笑が驚愕に変わるのにさほど時間はかからなかった。

 金創から噴出したオレンジ色の炎がビクトルの面貌を掃いた。

 ケンの輪郭がしぼむ。

 余った皮を脱ぎ捨ててあらわれたのは──金髪の女性だ。

 下着姿である。

 そこらの朝市で二束三文で売られている安物だが、中身とあわせれば価値は大粒のダイヤモンドを優に上回る。火傷を免れた左目で視認したビクトルが痛みを忘れておもわず唾を呑み込むほどの艶かしさがあった。

「てめえは」

 ビクトルは唸った。やや面長の品のいい顔だちに見覚えがあった。

「仕事で敵味方にわかれて命をとるのは仕方がない。ですが、私利私欲のために同胞をおとしめるのはブエル村の掟に反します」

 作るのをやめた声は金鈴のようであった。

「ただの腰かけがしったような口を叩くな」

「たしかに家のゴタゴタで疎開してたわけですから腰かけといわれたら反論はできません」

「──だったら」

「わたし、おしゃべりでして。──そろそろ、早馬が到着してあなたの悪行に村長がおかんむりの頃だとおもいますよ」

「万事休すというわけか」

「いい残したことは?」

「あるよ。──クソったれ」

 妖しく鈍い光を放つ剣が脳天から股のつけ根を駆け抜けた。

 ケンは店をでた。

「後片づけをお願いね」

 外で待っていた部下の男に声をかける。ボーイとホステスは四肢を拘束して楽屋に押しこんである。今頃は悪夢にうなされているだろうがそれは甘受してもらうよりない。なにもしらないから明日がある。

「報告はどうします?」

「そうね」

 部下から受けとった薄手のコートを纏うとケンはいう。

「眠れるドラゴンの尾を踏んで起こすのは愚策だ、と」

「捨て置けと?」

「宮廷魔術師が子どもにおもえるほどの膨大な魔力を蔵していながらそれを活かせずにいる。わたしが挑発的に魔力を放出しても気づきもしない。惰眠を貪らないと疲れが残る体質のようだし、なぜか、匂いに疎い。普通に考えたらつけいる隙はいくらでもありそうだけど戦えば地にまみれるのはわたし。冒険者以外は真面目で、なぜかはわからないけど自制的な生活を心がけていることだし──十握さんのことは放っておくのが得策だとおもう」

「惚れましたか?」

「合理的判断の結果よ」

 部下は疑わしげにケンを見るが──沈黙を選んだ。

「じゃ、わたしは寝るから」

 ケンはあくびをする。

「キャラにあわせた暴飲暴食で疲れてるのよ」


「面白い結末になったのう」

 長生きはするものだ、とオンデンの御前はくぐもった笑い声をあげる。

「どうかなさいましたか?」

 訊いたのはケンと違って上等な下着姿の女性だ。

 その女は先のブエル村の者にガラクタを売りつけた罪を命であがなったプシュケーの炎の魔法で亡くなったひっつめ髪と瓜ふたつであった。数少ない違いは耳の形状である。こちらのほうが耳たぶがやや薄い。御前は女性をじぶん好みに染めあげないと気がすまない性分のようだ。

「マリクトが殺されたらしい」

「──?」

「しかも、ビクトルもものとりに遭って命を落としたとある」

 と、読み終えたばかりの報告書を顎でしめす。

「にわかには信じられません」

「やはり、そうおもうか。王都の民の悪い癖でラウドを田舎と嘲笑ってトラブルに巻きこまれる。さもありなんな話だが、ビクトルが押しこみ強盗に撫で切りにされる訃報が重なると裏を勘ぐりたくもなる」

「どなたか、派遣なさいますか?」

「寝た子をおこす必要はあるまい」

 御前は奇しくもケンと同じ結論にいたる。

 老人班の浮きでた手が下着のなかに潜った。

「当座は繰りあがった者に──トマスとかいったか──その者にやらせておく。たまさか転がりこんだ地位を失いたくない一心で身を粉にして働くはずだ」

 こちらから催促せんでも上納金を増やしてくるだろうて、と御前はいう。

「マリクトのほうは──万斛ばんこくの涙を飲んであきらめる。有能な人材を失ったのは痛手だが、おかげで枕を高くして眠ることができる」

「調べごとに不向きなマリクトさまを派遣すると耳にして不審を抱いておりましたが、そういう意図でございましたか」

「わしは欲張りでな。ひとつの行為にひとつの目的では満足せん」

 老獪な手つきにひっつめ髪の息が荒い。

い奴だ」

「──ああ、わたしがいただく寵愛にも別の意図が?」

「趣味に実益を求めるほどわしは野暮ではない」

 御前の舌がひっつめ髪のうなじを這った。

 蛇のようであった。

 事実、赤黒い舌の先端は二股になっている。

 焦らしながら秘めやかな部位を目指して下る。

 もし、壁に手があったとしたら恥ずかしさのあまり耳を押さえるか、それとも、情欲に駆られて屹立したものを握りしめるか。

 嬌声はやすやすと壁を突き抜けて隣室に控える書生の股間を直撃した。

 書生はまだニキビ面の若造である。女をしってまだ日が浅い者にギムレットと変態は早すぎる。

 こんな破廉恥極まりない行為がまかり通っていたら、リグルトのような造反者がでるのもむべなるかな。

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