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スラム

 そこは陽光に忌避された地であった。

 地面がぬかるんでいる。

 雨が降ったのは二日前だというのに。

 建て替え時期をとうに逸した建物がならんでいる。ちぐはぐな外観はありあわせの材料とペンキで延命処置してきたからである。その煙突や窓の隙間から水蒸気や白煙があがっている。毒々しい七色の煙は在野の狂科学者が研鑽を積んでいるのであろう。すずらん横丁には劣るがここも毒物はお手のものだ。

 スラム街である。澄ましたいいかただと開発地区となる。

 そこかしこから漂うすえた臭いにマリクトは辟易しながら、ボロい建物のなかでも特に痛みの激しい酒場に入店した。

 スイングドアが軋む音をたてると卑俗な話で盛りあがっていた客がいっせいに振り向き、値踏みするような視線がマリクトを槍ぶすまにする。

 どいつもこいつも生死を問わずのただし書きがにあう面構えである。

 さしものマリクトも不快感から口の端がゆがむ。

 原初のギルドがそこにはあった。

 と、いっても、依頼内容は犯罪のみだが。

 グラスを磨いていたバーテンダーが小さくうなずく。

 手配ずみというわけだ。

「予定より少ないな」

「吠えるなよ、浅葱裏」

 手近にいた小太りが嘲弄する。

「尻を拭く紙にも事欠く田舎者が依頼人とくりゃ疑ってかかるのは当然ってもんだぜ。──そんなことより、金は持ってきたんだろうな」

 マリクトは丸テーブルに麻袋を置いた。

 開いた袋の口から覗かせる山吹色の光が見る者を魅了する。

 金はビクトルが用だてた。


 昨夜のことである。

「すまん、兄弟」

 席料テーブルチャージとホステスチャージとチャーム料金がかかる飲み屋で人払いするとビクトルが手をあわせる。

「どうした? 御前にとりなしてほしいことでもあるのか?」

「リグルドのひと粒種が見つかった」

「──?」

「あの野郎、弱点になるからって妻帯してたのを隠してやがった」

「それの、どこに謝る必要がある?」

「加勢ができねえからさ」

 おれたちがここにいるのはあくまで企業としてだ。気にいらねえから殺っちまえとはそう簡単にはいかねえのさ、とビクトルはいう。

 封建社会に広域指定暴力団はなじまない。

 オンデンの御前がラウドに橋頭堡を築けたのはこれが理由であった。

 御前は縄張りを持たない。

 したがってカスリもない。

 王都は行政都市である。

 役人が多い。彼らだけでは回らず、公共事業を仰せつかった貴族もいる。重要な儀式の段取りを仰せつかった者もいる。

 オンデンの御前は彼らに食料や消耗品などを卸して利を得ている。

 一般的な相場より割高は、無論、いうまでもない。

 政商である。

 元いた世界でいうところの、児玉誉士夫こだまよしおや笹川良一のような存在である。──もっとも、身分の壁があるので彼らが陣笠議員を自邸に呼びつけて一喝するような、貴族を顎で指図とはいかないが。

 とはいえ、貴族の多くが彼から賄賂や金を借りていて慇懃無礼な態度を甘受せねばならないのである。大物中の大物であった。

 ラウドの支部はその借金のとりたてと保険業の二本柱でなりたっている。情報収集も兼ねている。

 保険は裏の組織専用である。

 信用がタンポポの綿毛より軽い業界である。

 百回、取り引きが成功しようと百一回目が安心とはいかない。

 短絡思考の者は多い。

 隙あらば喉笛に牙をたてんとする。

 そのための保険である。

 不義理をこうむった側を支援する。金銭に留まらない。兵隊の斡旋や情報の提供もある。裏社会の大物が集う二十日会が動きだす前に圧倒的な戦果をおさめれば調停が有利に運ぶという寸法である。

 充分な抑止力になる。

 大きな決め事は彼らを噛ませるのが通例となっている。

「揉め事をおさめる側が揉め事をおこしたら商売を畳むしかない」

 ここからはひとり言だとリグルトは前置きすると、

「吹きだまるなら都会ラウドと浅葱裏が、毎日、ごまんとやってくる。身のほどをわきまえてクリーニング屋で肌荒れに悩んだり、腰をさすりながら荷車を押してりゃかわいげがあるんだが、いざとなりゃトンズラこけばいいという気安さで犯罪に手を染める低脳がでてくる。それも急ぎ働きときた。犯して殺して奪うとろくでもねえことをしやがる田舎者にわがもの顔で歩かれたらこっちは死活問題だ。見つけ次第、魚の餌にするんだが、いかんせん、数が多くて手を焼いている」

「よそ者が行きずりで罪を犯したという体裁にしたいと?」

「ひとり言を盗み聞きとは悪趣味だぞ、兄弟」

「おれに韜晦趣味はない」

「おおむね、そういうことだ」

「──おおむね?」

「リグルトの息子は枝葉だ」

 ビクトルは下卑た笑みを浮かべる。

「考えてもみろ。餓鬼を──と、いってもいい年だが──捕らえてなんになる? 息子の命が惜しかったらこいといってほいほい面をだす玉か? 逆にリグルトのやさに向かわにゃならん。手ぐすね引いて待ち構えてるとこに行くんだぜ。骨折り損のくたびれ儲けなんざやってられねえよ。面倒の種になる野郎はさっさと殺るに限る」

 怒り心頭なのは御前だけで、おれたちはリグルトに恨みはねえ。餓鬼のひとりで手を打つのが順当ってもんだろう、とビクトルはいう。

「たしかにな」

「そこで提案だ。リグルトの餓鬼を庇護してる奴もついでと殺ってもらいたい。こいつがえらく目障りな野郎でな」

「街の大物を殺れと? それも骨の折れる仕事だ」

「だが、こいつは金になる」

「旅の恥は掻き捨てとはよくいったものだ」

「任せろ、ひと目で田舎者とわかるクソダサい服を用意してやる」

「精神的苦痛の慰謝料は高くつくぞ」

「今夜は前祝いだ。パーっといこう」

 ビクトルは手を叩くと大声で女たちを呼んだ。

 

 マリクトは用件を告げた。

「アーチーの賭場を襲う」

「こいつは大きくでたな」

 長髪をひとつ結びにした男が口笛を吹いた。

 肌荒れがひどく、無精髭とむさ苦しい男である。人相から卑しさが滲みでている。装備は年期がはいっている。値のはる物であった。元は格闘家か冒険者か? 怪我か年齢で引退したが、それまでの傲慢な態度が災いして第二の人生がたちゆかず転落したというところであろう。恵まれた体躯にあぐらをかく者にありがちな話だ。元いた世界であれば、このようなしょうもない者でも恥しらずの強みを活かして売名行為でひと財産築くことも可能だが、封建社会は世知がらい、騒動に便乗して目上の者を揶揄することはいかにおおらかなラウドといえどリスクが高かった。

「濁った豆スープばっかで栄養が偏ったもんだから、目を開けたまま寝言をいう癖がついちまったか?」

「臆したのなら帰ってかまわん。足手まといは不要だ」

「おい、親の目を盗んで家畜に突っこむくらいしか楽しみのねえ田舎者に口の利きかたに気をつけろっていうのも酷な話だが──置かれた状況がわかってるのか? てめえを殺って金を奪うことだってできるんだぜ」

「他も同じ考えか?」

 マリクトは周囲を一瞥する。

「あいつの一存さ」

 小太りが肩をすくめる。

「おれたちは金になる仕事があるからって集まっただけだ。小銭欲しさに八百長試合がバレて闘技場を追いだされたマヌケとは違う。──とはいえ、あんたがどう立ちまわるかは興味ある。静観させてもらうぜ」

「上にたつ器を見せろと?」

「おれとしてはあてがはずれないことを願ってるよ」

「てめえの味方は誰もいないってことさ。田舎者は田舎ものらしく……」

 銀線が悪罵の洪水を遮った。

 マリクトの投擲したナイフが長髪の喉に刺さっている。

 一瞬、信じられないという顔をすると長髪は崩れ落ちた。

 念には念をいれて? いや、明らかにやりすぎだ、靴の裏でナイフの柄を踏みしめると、マリクトは金貨を一枚、バーテンダーへ放った。

「掃除屋のヘラを頼む」

「よくご存じで」

 バーテンダーがうわずった声をあげる。

「名前だけだ。二流に任せて露見しては安物買いの銭失いになる」

 あまりの手際のよさに声をあげることすらできずにいる静観者をマリクトは満足げに一瞥すると、

「話をすすめるぞ」

「わかった、あんたがボスだ。楽しくいこうぜ」

 代表して小太りが追従した。 

主人公以外の視点の場合は書きこみの加減に悩みますね。

大雑把なのは論外ですが、細かく描写しても蛇足なような気がして。

それでは、また、次回にお会いしましょう。

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