邂逅
あちらこちらから怒声や罵声、悲鳴が聞こえる。
悄然と肩を落として店にはいる者から、傲然と肩をそびえさせて店からでてくる者、作り笑いを浮かべて追従する店員から泣いて許しを請う者とさまざまだが、どれも半径五キロ以内にいてほしくない厄種は共通している。
マリクトは目抜き通りから一本奥まったところにある店の前で足をとめた。
金貸しや骨董店などいかがわしい業種が林立する一画である。
元いた世界の企画や興業のような得体のしれない業種も多かった。
要するに恒常的に法に背いて利を得る連中である。
マリクトは嘲りを浮かべる。
「木の葉を隠すには森のなかとはよくいったものだ。亡八の溜まり場であれば、九九が六の段でつかえる連中でも悪目だちはせんですむ」
ひとりごとだが、よく響く声なので丸聞こえである。
「なんだ、てめえ」
柄にもなく店先の花壇に水をやっていたチンピラが三白眼でマリクトを睨む。
学がなくともマリクトの態度で侮蔑ととらえたようだ。
亡八とは仁義礼智忠信孝悌の八徳目を失ったろくでなしをさす。そこから転じて娼館の主人をさす。これは誓言だが、その八徳目をマクガフィンに使用した作品が滝沢馬琴の里見八犬伝とそのアレンジ版の新・里見八犬伝である。
だが、異世界に儒教? 孔丘がこちらに転生したのか?
いや、どこにいっても仕官が叶わず、あまつさえ、人違いで命を狙われた奇人である。教えを広めたのは弟子たちである。受けいれやすいように大幅に変えたことは想像にかたくない。よくあることだ。オーガスト・ダーレスが手を加えなければ、這いうねる混沌や千の子を孕みし森の黒山羊が人口に膾炙することはなかったであろう。その孔丘がこちらで周公の理想を説いたところで耳を傾ける者はいまい。こちらの住民は行動力がある。無知の知だかしらないが、目障りな虻など即座に叩き落とされて終わりだ。
やはり、無難に人の考えることなどどこも同じということか?
あるいは、八徳目はこちらの概念でそれが元いた世界に伝わった?
最後の説は魔法を目の当たりにすると荒唐無稽と笑い飛ばすことは難しい。モンスターや亜人もそう。
──答えのないことに頭を使っても腹が減るだけである。
異世界に順応するコツは考えるな、感じるな、そういうものと受けいれろである。事実、メタよりベタを好む十握はそれで心の安寧を保っている。
閑話休題。
ニキビ面の若造である。マリクトの指が届く範囲に平然と目をさらす時点で力量がわかるというものだ。ここが人気のない路地であればうつむいて石畳のすき間から生える健気な雑草にエールを送るところだが、ひと声かければ仲間が参戦するという気安さからチンピラは強気であった。
チンピラの威嚇などマリクトはどこ吹く風だ。
「ビクトルはいるか?」
「どちらさんで?」
チンピラがおずおずと誰何する。
どちらさまとせずに中途半端なのは歓迎すべき相手か石持て追い払う相手かはかりかねているからだ。
「古いしりあいだ。マリクトがきたといえばわかる」
「少々、お待ちを」
チンピラが消えると──三十秒ほど経過しただろうか──ドタドタと大きな足音をさせてマリクトに勝るとも劣らずの巨駆があらわれた。
仏頂面のマリクトと対照的に人好きのする笑みを浮かべている。
それが威圧感を減じさせていた。
「久しぶりだな、兄弟」
丸太のように太い腕から逃れて武骨な抱擁を免れると、マリクトは上から下へ眼前の男──ビクトルを一瞥する。
「鍛練は続けているようだな」
「あたぼうよ」
ビクトルは胸を張る。
「体が締まってねえと指を折らなきゃ数を数えられねえ低能に舐められるし──ぱっと見は爽やかな好青年に見えるからな──なにより、女にモテねえ」
「ひと言多い癖も健在らしい」
「この街は美のインフレが酷くてな。ちょっといい面の男が両手に花といくには話術も必要になってくるのさ」
とんでもねえ比較対象がいるんでね、とうっかり想起したらしく頬をほんのりと緋に染める。ビクトルは頭を振って雑念を追いやると、
「で、ここへは? 観光ならおれが案内するぜ」
「オンデンの御前の命令だ」
庭先でマリクトに殺人を強いた老人の通り名がオンデンである。地名からちなんだものか愛称かは不明である。
ゆえんをしる者はいない。
訊く者もいない。
御前は秘密主義者であった。
黒液を満たしたカップが湯気をたてている。
テーブルを挟んでふたりが対峙している。
応接間である。
と、いっても、パーテーションで仕切っただけだが。
「存外に質素だな」
マリクトが周囲を見回す。
「質実剛健ってやつさ」
タバコは? と進めるとマリクトは手を振る。
「そんじゃ、ま、おれだけ吸うとするか」
舌の根も乾かぬうちにとはまさにこのことである。ビクトルは銀製のシガーケースから葉巻を取りだすと先端をちぎって火をつける。
火は石と金属を打ちあわせてできた火花を消し炭に移したものだ。
火をおこすのに一分弱かかった。
この場合は礼儀であるから、魔法が苦手とは限らない。
敵意がないことをしめすためである。
紛らわしいことは避ける。武家の礼法と同じである。ビクトルは遠方よりやってきた旧友に敬意を表している。
紫煙を吐きだすと、
「まさか首のすげ替えにきたんじゃねえよな」
「それは報告しだいだ」
「なら、しっかり接待させてもらいますか」
揉み手するビクトルにマリクトは苦笑する。
「リグルドという名に聞き覚えは?」
「懐かしい名だ」
「ほう、しっていたか」
「十年ほど前だったかな。オンデンの御前の女にちょっかいだした。逐電するにあたってかなりの額を持ち出したらしいな」
「それを御前が探れという」
「なるほど」
ビクトルは頷く。
「不要になったおもちゃでもそれを捨てる前に横からかっさわれるのは面白くねえ。たまには突っこまれる側の気分を味あわせてやらんとな。で、恐怖が金になる商売だ。諦めたとはいえねえ。御前の勘気に触れた者に時効も安住の地もねえとあまねくしらしめる必要がある」
「望みの薄い事案に振りまわされる身としてはたまらん」
「それだけ優秀なおまえさんに期待してるってこったろ」
細長い灰皿に葉巻を置くと、
「仕事の話はここまでだ。ちょうど昼時だしな。飯を食いに行くぞ。王都じゃ、まず、お目にかかれない山海の珍味を食わせてやる」
おい、人力車を呼べと部下に命令する。
「──人力車? 馬車じゃないのか?」
これだから頭のかたい王都者は、とビクトルは苦笑する。
「ここで馬車をありがたがるのは権威主義の貴族くらいだぜ。道端にクソをたれるもんを嬉々と乗りまわしてたらラウドの雀に無粋な奴だと嗤われる」
「ところ変われば品かわるということか」
「ラウドにとっていいことは王国にとっていいことさ」
軽口を叩くと、今度はビクトルがマリクトの全身を値踏みするように見る。
「飯の前に服屋に寄ったほうがよさそうだ」
孔丘は孔子の本名です。
儒教も宗教みたいなとこありますからね。主人公が宗教嫌いですから、尊称の子はつけられませんよ。
それでは、また、次回にお会いしましょう。
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「見える子ちゃん」を観て、あの、不快な幽霊の造形いいな、こちらの作品でも活かしたいなとおもいつつ。
追伸 一部、ビクトルとリグルトがごっちゃになっていました。うっかりしてました。普段は一日置いて見返して訂正してから投稿するのですが、あまり間をあけるのもよろしくないと急いだのが裏目にでてしまいました。