魔法や魔術とよばれるもの
このまま聞き役に回っていると長くなりそうなので十握は話の腰を折った。
「その大事なエイリアさんを待たせているので要件は手短にお願いします。前もっていっておきますが妹に手をだすなというのでしたらご安心を」
「エイリアに魅力がないというのか」
「雇い主に粉をかけるような身のほど知らずはしないという話です」
嘘である。好意はあるが恋愛感情はない。深窓の令嬢という正統派ヒロインは十握には眩しすぎた。
身分違いの恋など疲れるだけである。ジェット団とシャーク団という名前だけで噴飯もののチンピラの抗争から得た教訓は面倒くさい兄を持つ女性は避けたほうが無難ということである。
どうせ逆玉を狙うなら妾腹より本妻のほうが価値がある。
そして、これはもっとも重要な要素のひとつだが、エイリアはエルフの特徴を色濃く受け継いでいて胸が薄かった。
「それならいい」
エルルードは落ち着きをとりもどした。
「とにかく、あれだ、きさまは見てくれがいいだけでなく腕もたつ。忠勤に励め。ご婦人がたに媚を売り、パンを売れ。そして灯りに群がる蛾のように寄ってくる匹夫下郎を叩きだせ。存分な働きをした暁には余から褒美をやろう」
功を積めば当家に連なるそれなりの家格の養子ということにして、どこぞの婿養子を欲している貴族に押しこんでやらんこともない、とやけに気前がいいのはエイリアへの牽制か。
「褒美は結構です」
「――?」
「二重どりは主義に反します」
「そ、そうか、褒美はいらんか。ほう、冒険者のくせに忠義に篤いとは感心だ」
予想外の反応に勝手が狂う。夜も更ければすごしやすい陽気だがエルルードは額に汗を浮かべている。
「他にいい忘れたことはありますか?」
「これはどうでもいいことだが」
「終わらない物語?」
「――?」
「続けてください」
勝手に口をついた科白に十握は戸惑っている。
「なぜ魔法を使わない。火でも水でも唱えればかような小者など遠くから一発で片がついたものを」
「魔法ですか。使えたら便利でしょうね」
「とぼけているのか?」
「使えたらいいというのは本心です」
「くだらぬ嘘はよせ」
エルルードは昂然と、
「棒たちで大剣を受けとめて刃こぼれひとつなし――魔力による身体能力の強化とその奇妙な剣をコーティングしたとしか考えられん」
「はあ、そうでしたか」
「まさかだが……人なみはずれた魔力を蔵していることに気づいていなかったと?」
「ええ、まったく」
エルルードは振り返る。
「この者、嘘はついておりませぬ」
魔女の声は存外に可憐であった。
「さきほどの魔法は無意識に発動したものとおもわれます」
「無意識はわからんでもないが、魔力を消費して気づかぬことなど――」
危機的状況におかれて魔法の才能が顕現するということは稀にある。だが、魔法を使用すれば術者は疲弊する。身体能力強化と刀の補強を同時に発動したのである。初歩的な魔法でも複数を同時に発動するとなると負荷は途端に重くなる。なみの魔術師なら翌朝はベッドからでられまい。それを魔法の魔の字も知らぬ者が行い、涼しげな顔でたっていられるなど。
「魔力量が桁違いなら造作もありませぬ。コップの底に残る水をスプーンですくえば減少は明白ですが、海でそれをして気づく者はおりますまい。これほどの魔力を蔵していれば肉体の負担は最小で抑えられます。このていどなら蚊の痛痒ほどのダメージ以下かと」
「規格外ということか」
ただし、と可憐な声は一拍置いて、
「この者はどういう理由かさだかではありませぬが、魔法に苦手意識――とりわけ詠唱に強い羞恥心を抱いております。これでは一般的な魔法は初歩も難しいかと」
「治るのか?」
「さて、このようなケースは初めてでして」
「詠唱が恥ずかしいとは珍妙な奴だ」
エルルードがあきれる。
十握は曖昧に頷いた。
科学万能の世界に生きた者がオカルトに違和感を抱くのは当然の帰結である。
魔法で炎がだせる。
超スゲー。
そう手放しで喜べるのは尻の穴が排泄専門と信じて疑わない坊やか、九九が六の段でつかえるかわいそうな手合いである。
名称だけですむならまだしも、灼熱の業火や、闇より黒しとか、深淵がどうたらこうたらいうのは気恥ずかしいものがあるし、詠唱と結果の相関関係が理解できない。
「まあ、よい。火や風がおこせんでも身体能力の強化に秀でてれば目的は果たせるだろうて」
いや、とエルルードは反芻する。
「教養をかなぐり捨てて金を得た輩が高ランクの魔法使いを雇って洗脳してきたら――蔵した魔力があるていどは抵抗になるがすべてを防ぎきるとなると心もたない。――剣の腕を磨くとともに魔法も使えるように精進しろ。余も方法を探ってみよう。――だが、勘違いするな。これはエイリアを守るために仕方なくであって貴様のためではないからな」
と早口でまくしたてて指をさす姿はツンデレのヒロインみたいである。
岡惚れする連中から溺愛する妹を守るために十握の活躍は不可欠。しかし、十握の活躍はもろ刃の剣で藪蛇になりかねない。懊悩がエルルードの眉間に深い皺を刻んでいた。
これでエイリアが個人でパン屋を営んでいられる説明付けができました。
後ろ盾がなかったら、警備員のいない銀行みたいなもので狙われて当然ですからね。
エイリアとソフィーの個人技が優れていても権柄ずくな態度で迫られたら封建社会だと難しいですし。