狐狩り
人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んでしまえという慣用句があるが、その肝心の馬が見惚れてしまってはいかんともしがたい。
夜の装いとなった噴水広場は静けさが岩に染みていた。
化粧と香水で武装した女性は商売にならんと早々に河岸を変えている。
ふたりだけの世界に浸るはずの恋人たちは気もそぞろで月明かりが露骨に贔屓する先にチラチラと視線を送っている。これは仕方がない。おたがいさまである。凝視しないだけ克己心があるというもの。だが、ピンクのナース服に心を奪われるのはよろしくない。彼女の悋気を刺激してあちこちでピシャリと頬を張る音が聞こえる。
「恋路の邪魔をしてもうしわけないとおもう反面、少し溜飲がさがりますね」
恋人たちの悲喜劇を見て十握がひとりごちる。
「なんで溜飲がさがるの?」
不思議そうにシャロンは十握を見る。
「嫌がらせが楽しいならわからなくもないけど。――わかる?」
話を振られたパメラは困惑げに首を横に振る
虐げられた者にわかることは慟哭で、雑事に追いやられて友人すら持てなかったパメラに恋愛感情はギムレット同様、早すぎる。
「トラブルシューターという仕事柄、もてない男の悲哀はよく熟知しています。彼らの側にたってみたということです」
「もてる男の最上位なのに?」
「昔から色男だったわけではないので」
と真実を吐露したのは胸の内。
「相手の立場になって考えることは大事なことですよ」
「それならわかる。狙う相手の行動や思考のパターンを読むのは仕事の基本だった」
さらりと物騒なことをシャロンはいってのける。
「ご理解いただけてなによりです」
いわずもがなだが、もてない男の心情を慮ったなど嘘だ。
ネロとパトラッシュの冥福を祈る手合いよりはマシだが――五十歩百歩といわれたらそれまでだが――部屋の彩りとつけっぱなしのテレビから流れてくる素人の不幸話に耳を傾けながら、そういえば大蛇に絞め殺されそうになった因業金貸しの名前はなんていうのだったっけ? と考える、凪のように穏やかな気持ちで聖夜をすごしてきた十握からすると、定時に退社して独り寂しい同僚に追い討ちをかける性獣はこちらの世界の魔獣より相いれない存在であった。
「お待たせしました」
あらわれたのはサボンである。
「例の狐ですが間もなくこちらにきます」
「意外と時間がかかりましたね」
「見かけよりは動けたみたいです」
まだ違和感があるのか、サボンはしきりに腹をさする。
「さ、おもいっきり尻を叩いてやってください」
「目だつのは気がすすみませんね――今からでも内密に処理するのは?」
「客人の名誉のためにつまびらかにする必要があります」
その客人――ルーベンスから医療費を差し引いてもたんまりと残る報酬を得たサボンは乗り気だ。
「ですので、街一番のインフルエンサーである旦那に大衆の前で謎解きをしていただく必要があります」
「わたしはドイルよりチャンドラー派なのですが」
十握は肩をすくめた。
――噴水の音が聞こえる。
「きませんね」
「追いこむ側も疲れてグダグダになってるのかもしれませんね」
「では、待ち時間に質問しても? しらなくても困ることではないのですが、ちょっと気になることがあります」
「どうぞ、遠慮なく」
「冒険者とトラブルシューターでそれなりに唾棄すべき人物と遭ってきましたが、刺青をした人をとんと見かけなくて」
「そういえば、少ないですね。十年前はそれなりにいたのですが、彫り師が高齢で軒なみ引退したなんて話は聞いたことがないし」
なんなんでしょうね、とサボンは首を傾げる。
「シャロンさんはわかりますか?」
「うん、単純な理由」
シャロンはいう。抑揚に乏しい声だが、小鼻が膨らんでいることから得意気なのがわかる。
「――高くて痛いから。威圧感がほしければ大振りの剣を持ったほうが安くつく。そんな割にあわないことを嬉々としてするのはそれがないと身の証が難しい秘密結社の構成員くらい。ラウドは未曾有の好景気だけど、大きなイベントに伴う締めつけで裏はかんばしくないって元同僚は嘆いてた」
なんとも即物的な理由にふたりは得心した。
表の稼業――クリーニング屋や口入れ屋を除いたアーチーの部下が追いたてた狐は、なるほど、女性に寄生するに相応しい容姿を備えていた。
元いた世界の数と事務所を強みと活躍するアイドルのような甘いマスクに頬のひきつれがアクセントになっている。野性味と粗野を混同する女性たちの好物である。
「どうです?」
十握はパメラを見る。パメラは小さくうなずいた。
「決まりですね」
玲瓏たる美貌に薄い笑みが広がった。
「ようこそ、ジョンさん」
十握は帽子をとるとうやうやしく頭をさげる。
苦手といったのが嘘のような堂々たる態度であった。
小心者の悲哀である。引きうけた以上はまじめにとりくむ。安請けあいして荷が重いとわかれば尻をまくるお調子者のようにはいかなかった。
「その様子だとベティさんを手にかけたことを後悔してはなさそうですね」
「ちょ、待てよ」
追いたてられた狐──ジョンが叫んだ。
「待ちますが、どうも、その科白は違和感がありますね」
十握の相貌が曇る。
「おれは殺しなんかしてねえ」
「簡単な引き算ですよ。ベティさんの家に足繁く通う者は三人いました。これは臭いで裏がとれています。ひとりは通いのお手伝いさんでもうひとりはパトロンのルーベンスさん。残るひとりはあなたです。あなたは水商売の女性に代わって客のツケや小口の借金をとりたてています。ベティさんは囲われる前はシルバー通りの店で酌婦をしていました。面識のあるあなたがこんな好機を逃すはずがない。甘い言葉で近づいてヒモになった。旦那の目があるから頻繁に会うことは難しい。少ない労力で金がたんまり手にはいる。うまくやったものです」
「たしかにおれとベティは面識はあるが仕事絡みだ。前の男が貧乏人で一括で返せねえっていうからコツコツとりたててただけだ」
「探偵が長口舌の時は静かに傾聴するのがマナーです」
興を削がれて、白磁のように滑らかな頬が少し膨らむ。
今宵の観衆は幸いである。
十握の珍しい姿を垣間見れるのだから。
「ルーベンスさんは几帳面なかたで訪れる日は決まっている。それをしるあなたは帰った頃を見計らって顔をだす。一番、金のある時を逃す手はない。意気軒昂と乗りこんだあなたは、さぞ、驚かれたことでしょう」
十握の笑みが深くなる。
「ベティさんが倒れている。情交の余韻に浸っているのかとおもいきや、首に絞められた痣がある。あなたはルーベンスさんの趣向を聞いていたからついにその時がきたとおもったはずです。で、死なれてしまっては仕方がない、機会損失はルーベンスさんを脅して補填しよう。だが、その前に行きがけの駄賃と家捜ししているとーーなんということでしょう、ベティさんが息をふきかえしたではないですか。こそ泥行為を見られたのですから、当然、揉めます。口喧嘩してる時の女性は容赦ないですからね。カッとなったあなたは顔を殴って黙らせると首を絞めてとどめの真犯人になった。おおよそ、こんなところでしょう」
「いいがかりだ。証拠はあるのか?」
「残念ながら証拠は」
「話にならないな」
「証人はいます」
「おれだよ」
サボンが十握の背後から顔をだす。
「残念だったな。おれはそこらの連中よか丈夫なのさ」
「くそったれ。ナイフを突っんだ時に捻りゃよかったよ」
「語るに落ちるとはこのことです」
今の彼の発言を聞きましたね、という十握の確認に恋人たちは水飲み鳥のようになんどもうなずく。
十握は平然を装っているが心内は動揺していた。
子ども騙しもいいとこである。相手が九九が六の段でつかえる低脳だから通用しただけである。それをさも策士のように称えるサボンの視線が気恥ずかしかった。
十握はシャロンを一瞥する。
こちらは怪訝な顔だ。
それはそうだろう。彼女に殺しを強いてきた側にも狙われた側にもじぶんから情報を開示して墓穴を掘るマヌケはいまい。初めて会う人種にとまどっている。
狼狽している者がいるとかえって落ち着くことがある。
気をとりなおした十握はジョンを見る。
「観念してご同行願えますか。ついでにいっておきますが、あなたは一週間前に破門されています。孤立無援です」
「謀ったな」
「無条件で足抜けできたのですからよかったじゃないですか」
「ふざけんじゃねえ」
ジョンが剣を抜いた。
観衆の声が耳朶を打った。
それは歓声であった。
彼らは生き馬の目を抜くラウドの住民である。チンピラが剣を振りかざしたくらいでおたつく柔弱者はいない。蜘蛛の子のように散ったのは邪魔になってはもうしわけないという配慮である。
面白いものが見れそうだと胸を踊らせている。
「ボス」
シャロンの双眸がけいけいと光る。
「腕がうずきますか?」
「最近は患者もこないから体がなまってる」
「リハビリの最中ですが、ま、いいでしょう。未来の犠牲者を減らすためにシャロンさんの腕前をしっていただくのも一興です。それではシャロンさん、現状回復できる範囲でこらしめてやってください」
「ありがとう」
シャロンが前にでると、ジョンは哄笑する。
「おいおい、あれだけご託をならべといて色男は嬢ちゃんの後ろに隠れるのかよ」
「ボスは弱い者いじめが苦手。だから、気にしないわたしが相手する」
「おれが弱いと?」
「うん。隙だらけ」
キンと空気が凍った。
なるべく短くしようと努めましたが会話が長くなってしまいました。
会話と説明は長いとだれますからね。
当初は由緒正しいミステリーの伝統に従って謎解きは海を考えましたが、港ですから崖はないし、目撃者が大勢いることが条件でしたので噴水広場を選びました。
エルフの血がはいったことで先天的に感情が抑制されがちのエイリアと生い立ちで感情を表すことが苦手となったシャロンの違いがわかるように言葉づかいに気をつけました。
シャロンがたどたどしいのは十握に全幅の信頼を置いているからだとおもいます。
気のおけない相手だから素をさらす。警戒していたら、仮面を被って別人を演じているでしょう。
次回はようやくアクションがメインです。
こうご期待ください。 麺屋はなび監修の台湾まぜそばを食べながら。