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曲線が目を引くベッドとゲーミングチェアは要注意

 その女性はなりふりなどかまっていられなかった。

 髪を振り乱している。

 呼吸が荒かった。

 白銀の路上を裸足で駆けている。

 一般人より毛深かった。青みがかった灰色の毛である。

 耳は頭上に生えている。

 狼人族である。

 かわいそうに。まだ若いのに、苦労がそうさせたのであろう、やや面長の顔は幾重もの深い皺が刻まれている。

 彼女は救いを求めていた。

 神はクラップスの大負けでふて寝している。

 村の連中はあてにならなかった。

 莫迦は加害者の肩を持つ。クズは被害者を利用する。

 井戸の中の蛙であるから、当然、前者である。

 煩わしい揉め事が沈静化すれば世はこともなしと彼女に泣き寝いりを強いた。

 絶望の淵にたっていた彼女に一条の光を射したのは窮状を見かねた行商人の助言である。

 ラウドに行けばいいという。

 もっとも有名なパン屋に駆けこめば、切々と窮状を訴えれば、そこにいるおかたが手をさしのべてくれる、と行商人の男は武骨な相貌をなぜか上気させながら、簡単な地図を書いてくれた。

 そして、こうもいった。

 金の心配は、多分、大丈夫だろう。

 人助けは趣味みたいなものだから。強くなければ生きられない、優しくなければ生きる資格がないというのがあのおかたのモットーだからね。

 ただし、これだけは肝に銘じておくんだ。

 無料ただより高いものはない。

 その意味をよく考えて行動してほしい。

 なんども念をおす行商人に反して彼女の決断は早かった。

 現況から脱けだす対価になにを要求されようと今よりはマシなはずである。

 水を汲みに行くとみせかけて村をでた。

 それから夜を徹して走っている。整備された道などない暗闇のなかをである。凡夫なら迷っている。五感と体力に優れた狼人族ならではであった。

 家を飛びだしてからなにも口にしていない。極度の疲労が逆に食欲を奪っている。喉の乾きは朝露を舐めてごまかす。

 ぼろぼろの靴はすぐに穴があいたが休んでいる余裕はなかった。

 体力で勝るならとっくに抗っている。

 ぐずぐずしてたら追いつかれる。

 木の葉を隠すなら森のなかという。ならば、逃げる先は人の多い都市部しかない。田舎では寝床の確保すらおぼつかない。と、なると、常人離れした体力の持ち主とはいえ、着の身着のままで行ける距離となるとラウド一択となる。九九が六の段でつかえる低脳でもそれくらいはわかる。

 件のパン屋を視認した途端に疲労が彼女の両足に重くのしかかる。

 パンパンに膨らんだ膀胱を宥めつつなんとか家に到着した者が、トイレのドアノブに手をかけた次の瞬間にズボンやスカートに黒いシミを作るのと同じ感覚である。緊張の糸が切れたのだ。

 小夏日和の反動でならんでいる者は少ない。

 その狼人族の女性がなに者かに腕を掴まれて地べたに叩きつけられたのは、寒さに身を震わす最後尾の女性が足音に気づいて振り向いた時であった。

「こんなところにまで出張りやがって、ほら、帰るぞ」

 同じく狼人族の男がいう。

「嫌よ」

「なんだと」

「もう、あんたたちのいいなりなんかならない」

「舐めた口を叩くんじゃねえ」

 憤怒が男の満面を緋に染める。

「こちとら酒が残ってるのに走らされて気分が悪いんだ。それがどういうことかわかってるのか? てめえの肋骨の十本もへし折らねえと気がすまねえっていってるんだよ」

 と、くびれた腰に置いた足に体重をかける。

 女性は苦鳴を洩らす。

「その辺にしろ」

 諫めたのは遅れてやってきた狼人族の男である。顔が似ていることから兄弟であろう。体格は先の男のほうがいい。後のほうが冷めた目で彼女を一瞥すると、

「嫁入り前の大事な体だ。傷ついたらあちらの不興を買う」

「なるほど、金のなる木は大事にしろって、か」

 むんずと頭を掴むと持ちあげる。

「帰るぞ」

 唾が先の男の顔にかかった。

「なあ、これでも我慢しろというのか? とめるなら、相手が兄貴でもおれは容赦しねえぜ」

 後の男――兄と呼ばれた狼人族が肩をすくめる。

「減額されたぶんはおまえのとりぶんから引くからな」

「顔とあそこが大丈夫なら問題ねえだろう」

 先の男――弟が空いた手を振りかぶる。

 ゴウゴウと風が唸る。

 狼人族の女性が目を瞑る。

「やめなさい」

 金鈴のような声に兄が目を見張る。

 ああ、まさか、背丈が弟の胸ほどの女性が満腔の一撃をとめるとは。

 ソフィーである。

 顎を蹴り飛ばされた弟は糸が切れた繰り人形のように崩れ落ちた。

「店先で騒がれたら迷惑なのよ」

 ソフィーは唇を尖らせる。

 これでも客の手前ということで配慮している。生き馬の目を抜くラウドの住民とはいえ、朝っぱらから流血沙汰は勘弁願いたいはず。これが、冒険者などの感覚が麻痺している者たちの前なら即座に腕を折りにいっていたし、人の目がなければ追撃で睾丸のひとつも潰している。

「お騒がせしたことはお詫びします」

 兄は意外や頭をさげる。

「――パメラ、帰るぞ」

 そう裸足の女性に告げると、夢の世界に逃避中の弟を蹴っておこす。

「これは家族の問題です。口出しは無用に願いたい」

「義を見てせざるは勇なきなり」

「――?」

「同僚の言葉なんだけどわたしも同感。弱い者いじめをして悦にいる卑怯者を見ると、つい、手をだしたくなる」

「おれが卑怯者だと?」

 声音が低くなった。

「あら、自己認識ができているのはいいことよ」

 キンと空気が凍った。

 物見高い通行人が慌てて距離をとる。

 兄が腰を落とす。

 対するソフィーは悠揚迫らぬ態度で両手をダラリとさげている。

 構えるまでもないという意思表示か。

「犬っころらしく四つん這いになればいいのに」

 禍鳥のような咆哮をあげると兄は突進した。

 ソフィーは口の端に冷笑を浮かべて迎え撃つ。

 ふたりのパーソナルスペースが重なる寸前……。

 清澄な声が水を差した。

「いい雰囲気を作ってますね」

 緊張が瞬く間に溶けた。

 老若男女を問わず居合わせた者が蕩然と頬を上気させる。足の力が抜けてふらつく者が隣人の支えでかろうじて転倒をまぬがれる。

「――早いわね。今日はギルドじゃなかったの?」

「つまらない用を押しつけられそうになって逃げてきました」

 十握は肩をすくめる。

 それから、狼人族のふたりを一瞥すると、

「朝っぱらから恋の鞘当てとは羨ましい」

「違うわよ」

「そのようですね。いくら、ずぼらのソフィーさんでも目ヤニをつけたまま好きな男に会おうとはしないでしょう」

「誤解が解けたのはいいけど――失礼じゃない」

「わたしは自然体のソフィーさんを好ましくおもってますよ」

 勝手が狂うわね、とソフィーは独語する。

「さて、冗談はこれくらいにして」

 まだ薄暗い早朝ということで十握はサングラスをはずしている。

 オニキスを嵌めんだような黒瞳に浮かぶ兄は狼狽している。当然である。無知蒙昧な浅葱裏でも傾城の美を前にすれば畏敬の念を抱くものだ。

 誰しもがかくありたいと憧れ、恋い焦がれ、かなわぬならば顔を潰してやりたい、墜ちる姿を堪能したいと暗い衝動に駆られる、造形の女神が全精力を傾注した傑物が十握である。

 数多の無法者を返り討ちにしてきたことは想像に難くない。

「待ってくれ。あんたとことを構えるつもりはない」

「だったら、そこな女性を諦めてお帰りください」

「家庭の問題だ。妹は――パメラはマリッジブルーになって家を飛びだしたから心配して連れもどしにきたんだ」

「だ、そうですが、あってますか?」

「心配なんて嘘です」

 狼人族の女性――パメラは叫んだ。

「お金のため。わたしと同い年の子のいる相手と結婚なんて嫌よ」

「それはたしかに嫌ですね」

「それでも家族の問題です。口出しは不要に願いたい」

「なるほど」

 十握の冷笑が深くなった。

 パメラを見る。

「あなたはわたしに助けをもとめますか?」

「――助けてください」

 パメラは即答した。

「対価は金銭とは限りませんよ。その覚悟はありますか?」

「なんでもします」

「依頼人の身の安全は保証しないといけませんね」

 十握はパメラの前にたつ。

「そういうことです。お帰りを」

「でるとこでるぞ。おれたちにだってつてはあるんだ」

 殷賑いんしんを極めるラウドの周囲は国策で下級貴族の領地になっている。まともな行政組織などあるはずがなく、なにか揉め事がおこればラウドの役人を頼ることになっている。

「不都合なことになってもいいのか?」

「不都合な真実が明るみになって困るのはそちらでは?」

 歯噛みする兄に罵声がとんだ。

「さっさと失せろ、浅葱裏の犬っころ風情が一丁前に吠えるな」

「しつこい男は嫌われるぜ」

「病犬は殺処分だ」

 喧騒になにごとかと表にでてきた本屋の親父を皮切りに、全方位から罵声が、石つぶてや線香花火ほどの火球が、果物が野菜が、狼人族の兄弟に殺到する。

 多勢に無勢である。

 いかに身体能力に優れた狼人族でもこれは分が悪い。

 火事と喧嘩は江戸の華ではないが、騒ぎを聞きつけたお調子者が酒瓶を投げる。

 もうしわけていどに琥珀色の液体を底に湛えるガラス瓶は図体の大きいほう――弟の額を直撃した。

 割れた額にアルコールが追い討ちをかける。これは痛い。

 周囲の称賛にお調子者は照れ笑いを浮かべている。

 ふたりがほうほうの態で退散するのを見届けると、

「くわしいことはなかでうかがいます」

 十握はパメラを店内に誘う。

「お疲れのようですから、依頼内容を聞く前に食事にしたほうがいいかもしれませんね。それとサウナも。失礼なことをいいますが、その格好でよく役人に呼び止められることなく街にはいれたものです」

 裸足に加えて、継ぎ接ぎだらけの服は摩り切れ、木々をすり抜けたからであろう、緑や紫のまだら模様と個性的なファッションとくれば、テーブルに足を乗せてなぜか萌え絵調のあぶな絵鑑賞に忙しい役人でもさすがに重い腰をあげる。

「山を越えました」

 ソフィーの口がOの字になる。

「なるほど、山の神でしたか」

 十握は得心する。

 ラウドの北側は峻厳な山である。

 なるほど、そこなら誰何する者はいない。

 お尋ね者でもそのルートは避ける。ラウドは物流の一大拠点である。すべてをチェックなどできるわけがない。自殺志願の修験者が登るような山を越えずとも、ゆるい監視の目をくぐって潜りこむ方法はいくらでもある。それゆえの盲点であった。

「狼人族って噂以上にタフみたいね。まともに戦ったらいい勝負になったかも」

 ソフィーがひとりごちる。

「ソフィーさんなら赤子の手を捻るようなものですよ」

「目だちたくないの」

「そうでした」

 荒事の後だというのにまったく緊張や興奮のそぶりがないふたりにパメラは目を見開いている。

サブタイトルはわかる人ははたと膝を打つことでしょう。

莫迦は加害者の肩を持つ、クズは被害者を利用するは持論です。

前者をいじめが露見した時の校長や教頭、執拗に再構築をすすめる浮気した側の友人など、後者をNGOマフィアや、日頃の鬱憤ばらしに加害者を叩きたいだけの被害者のことなど微塵も考えていない人と考えたらしっくりくるとおもいます。

あ、もっと莫迦は両者の違いがわからないというのもありますね。

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