賢者の出立
「よくお休みになられましたかな?」
昨日から王城に滞在する賢者に、朝の挨拶を兼ねて問いかける。
「ああ、ぐっすりと」
「それは良かった」
ラファイエラスが首肯すると、シュタインゼン・ダイスヒルが満足げに頷いた。
「息子から聞いたことですがね、昨日、ライプニヒ家のご令嬢は大泣きしたそうですよ」
「大泣き?」
「貴方さまにお会いできなくなるのは嫌だ、と、ライナスバージにしがみついて、わあわあ泣いていたそうです。可愛いもんじゃありませんか、ねぇ」
「・・・」
情景が目に浮かぶようで、思わず笑みが浮かぶ。
「懐かれてしまいましたねぇ」
「そうだな。困ったものだ」
「お帰りになる前に、会ってはやらないのですか?」
「会ったとして、もう一度大泣きされるだけだからな」
「それはそうでしょうけれども」
ちらりと賢者の表情を盗み見るが、そこからは何も読み取れない。
「・・・ご出立はいつの予定で?」
「この後、シャールベルムに挨拶したら、すぐに発つ」
「もう少しごゆっくりなさればよろしいのに。皆、寂しがりますよ?」
「一緒にいて、これ以上情が移ったら敵わんからな」
淡々と言葉を返す賢者の様子に、シュタインゼンはくすり、と笑った。
「・・・また、お会いできると嬉しゅうございますがねぇ」
社交辞令などではない、気持ちのこめられた言葉に、ラファイエラスは微かに笑んだ。
「なにを馬鹿なことを。私に会いたくなるような事態に陥らぬよう、日頃からせいぜい気を引き締めて施政にあたれ」
「は、心得ましてございます」
あくまで深くは突っ込んでこないシュタインゼンに気安さを感じ、ラファイエラスは再び口を開いた。
「お人好しばかりが揃った国というのも、なかなかに面白かった」
「ふふ、そうでございましょう」
「あの優しすぎる国王に、いつか厳しい処断を下せる日というものが来るかな」
「そうですねぇ、そうなって欲しいというか、ならないで欲しいというか・・・。まぁ、どうしても困ったときは、ラファイエラスさまにお願いして雷を落としていただくとしましょう」
「ふ、そうか」
窓から王都の景色を眺める。
眩しそうに、眼を細めて。
「・・・ベルフェルトは・・・」
「はい?」
「ベルフェルトは、自分で決着をつけてみるそうだ」
シュタインゼンが、こてり、と首を傾げる。
「それは・・彼の父親とですかな?」
「うむ」
穏やかな笑みを浮かべながら、段々と活気づく眼下の街並みを眺める。
「ベルフェルトならば大丈夫だとは思うが、何かあれば補佐してやってくれ」
「・・・本当に面倒見のいい方ですねぇ、ラファイエラスさまは」
感心したように呟くシュタインゼンを、じろりと睨みつける。
「仕方ないだろう。この国の者たちは、人が良すぎて危なっかしいにも程がある。いい加減、自覚してもらいたいものだ」
「いやいやいや、お待ちください。それですと、どうして私めに頼むのかってことになってしまうんですがねぇ? ・・・まさか、私はお人好しの中に入ってないなんて事はありませんよね?」
とぼけた答えに、くく、っと喉が鳴る。
「何を今さら。リーベンフラウン王国の狸親父の名が泣くぞ」
渋面のシュタインゼンに、ラファイエラスが荷物を手にして振り返る。
「・・・後は頼んだぞ。狸親父」
「精一杯務めますとも。我らが賢者さまの仰せとあらば」
笑いながら胸を叩いてみせるシュタインゼンの肩にそっと手を置き「さらばだ」と別れの言葉を告げた。
「お達者で。御恩は一生忘れません」
「・・・忘れろ。そこまでの事はしていない」
その言葉に、普段は表情の崩すことのないシュタインゼンが、眉を下げて困ったように笑った。
それからラファイエラスは国王の待つ広間へと向かい、辞去の挨拶を述べる。
シャールベルムを始め臣下からの感謝をさらりと受け流し、更なる滞在を願う声をあっさりと辞退すると、偉大なる賢者ワイジャーマは、べトエルルの地へと旅立って行った。




