母と娘
羅の国ー辺境の地、イラ。
「たまら様ー」
遠くから私を呼ぶ声がする。
「はーい」
草の生い茂る中からひょっこり顔を出して返事をする。
私の名は珠羅。
羅の国、イラ領主が娘。
城の外れに薬草苑があり、身体の弱い弟の為に薬草を摘みに来ている。
弟は病が重くなり、明日にも専門の療養所に行くというのだ。
私を呼んだのは、乳母のハマ、頼れる存在である。
「ああ、もう!また、こんなに泥だらけになられて!
三日後には、裳着の儀が、その翌日は祝言を挙げられる姫様が、まったく。」
「ごめんなさい、ハマ。どうしても“パイリ”を持たせてやりたくて。」
パイリ、とは、イラ特産の薬草で、煎じて飲むと腹痛や解熱に効く万能薬である。
「わかりました。さあ、そちらをお持ちいたしましょう。」
腰に手をやったハマがため息を一つ吐くと、薬草が山積みになった籠を取り上げる。
「ありがとう。」
私はにっこり微笑んだ。
「早くお着替えになってくださいね。奥方様がお呼びです。」
「母上が?わかったわ、あとを頼むね。」
なんだろう?胸騒ぎがする。
私は、はしたなくも裾を絡げると、走り出した、後方で喚くハマを残して。
城の中が慌ただしい。もしや弟に何か?ー
先ずは母上の部屋に向かってみる。
一転して静かである。
「母上? 珠羅、ただいま帰参致しました。お呼びと伺いまして…」
扉を開けると、脇息に持たれこちらを向いている女性ー長い水色の髪に縁取られた白い肌、けぶる睫毛に囲まれた琥珀色の瞳、我が母、麗羅である。
王都三千年の流れを汲む血筋である麗家の類稀なる美姫は、三年前に亡くなった父ー羅斗と恋に落ち、駆け落ち同然で父の領地に来たらしい。
薄紅色の唇が婉然と微笑むと、鈴の転がるような声で、声を掛けられた。
「珠羅、まあ!おてんばさんねぇ、ほほ。」
手招きされて進み出ると、衣服をパンパンと払われ、近くに座るように命じられる。
「御髪もこんなに…。」
鏡台から櫛を取り出し、乱れた髪を梳かし始める。
「父様譲りの濃緑の髪…大事になされよ。母はもう梳かしてやれぬ故…」
梳る手がぴたりと止まる。
「母上?」
「大事ない。そなたに話しておくことがあります。
」
そう言うと、母上は櫛を置いて私に向き合った。
「本当に祝言を挙げて良いのかえ?萩斗様と。」
萩斗さま。
従兄にあたり、小さい時から兄と慕って来た存在だ。
四つ年上で十八歳になる。
小さい時に決められた許婚である。
「私はまだ恋を知りませんが、萩斗兄さまとなら、穏やかな生活が送れると思います。」
ほうっと、母上は嘆息し、
「そなたの幼さを思えば、祝言など出来よう筈がないものを…」
私の両頬に手を当てて、呟いた。
「今から話すことは、口外罷りなりません。」
「はい?」
母上の双眸が潤みながらも強い光を放っている。
明後日の夜、騒ぎが起こります。そなたは、その騒ぎに乗じて城を抜け出すのです。」
「は?」
何を唐突に言われるのだろう?