愚直に生きた少年傭兵が、王女を守る騎士となるまで
アダム・コールが、驚きのあまり身を竦めたのは初めての事だった。
それは、誇りあるマクブライド傭兵団の団員が誘拐という非道に手を染めた事だったのかもしれないし、その誘拐された少女のあまりの美しさのせいだったのかもしれない。
「パガニーニ、これは一体全体、どういう事なんだ?」
猿ぐつわをされたまま目を閉じている、できのいい人形のような見た目の金髪の少女を見つめながら、黒髪黒目の少年アダムは、そう聞くのが精いっぱいだった。
「ああ、やってはなんねぇ事をした。わかってる。わかってるんだ、アダム。だが、このままでは俺たちは終わりだったって事は、お前もわかってたんだろう?」
パガニーニと呼ばれた男は、こけた頬を隠すように垂れていたぼさぼさの髪をかきながらぽつぽつと答える。
「なぁ、アダム。俺たちが敬愛したニコラス・マクブライド団長が死んで4ヶ月。たった4ヶ月で俺たちはだめになっちまった。依頼も失敗続きで、戦場働きどころか、盗賊の討伐だって失敗しちまう始末だ。今日食う飯も心許ない。このままじゃあ、みんなくたばっちまう事ぐらい、わかってんだろう?」
パガニーニの昏い色をした目が、じっとこちらを見据えていた。
その目が「だから、しょうがないじゃないか」と訴えているようで、アダムは腹立たしくなった。
「でも、俺たちはマクブライド傭兵団だ。誇りを胸に、戦場を駆けて来たじゃないか!これまでのように、また戦場に出れば……!」
パガニーニがゆっくりと首を振る。わかってないなと諭すように。
「戦争が終わって一ヶ月、もう残党狩りの依頼すら出てねえよ。それに、盗賊退治すら失敗する俺たちが駆けれる戦場なんて、もう残ってないのさ」
パガニーニが、アダムの頭に手をおき、ゆっくりと髪をかき乱す。
「お前さんは若いし、特にマクブライド団長を尊敬していたのも知ってる。孤児であるお前さんが団長を実の親父のように慕っていたのもな。だが、俺らは故郷の家族を飢えさせない為に働かなければならないやつだっている。だから、賭けに出るしかないんだよ」
「賭け…?」
頭におかれた手を払う事もできず、そう聞き返す。
「そうだ、これがマクブライド残党団の最後の仕事さ。この、ヴォイツェク王国の第三王女を人質に、王国に身代金を要求する。その金を持って、俺たちは解散だ」
有無を言わせないような、射抜くような視線がアダムを貫く。
アダムはそれ以上、何も言えなかった。
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パガニーニは「すまねえな」、と呟くと、振り返らずに部屋から出ていった。
何も言わずに置いて行ったところを見ると、この第三王女の面倒は俺に見ろ。という事なのだろう。
床に転がされていた彼女を遠慮がちに抱えると、そっとベッドに横たえた。
街から外れたところにひっそりと佇む大きな屋敷。それがマクブライド傭兵団のアジトであり、その屋根裏部屋、そこがアダムの部屋だ。
今でこそ、アダムは6年以上団に在籍する古参メンバーの1人だが、当時10歳の戦災孤児だったアダムは、戦場で弓拾いや荷物運びといった下働きが主だった為、不便な部屋が割り当てられるのはごく自然の事だった。
もっとも、部屋を移すのが面倒でそのまま移動していないのだが。
入り口とベッドの両方が視野に収まるところまで椅子を引いて行き、腰かける。
(パガニーニがあんな目をしているのを見たのは、初めてだ)
パガニーニは、アダムよりも古参の団員だ。
俺をこき使う事を一番多かったのも彼だが、ナイフ投げや料理のような"小技"を教えてくれたのも彼だった。その彼の目が、後ろ暗さに染まりながらも、決意したような目だったのだ。
(そういえば、パガニーニは田舎に、俺よりもいくつか下の子供がいるって言ってたっけ)
団長マクブライドの死後、マクブライドと志を同じくしていた奴のほとんどは団を抜けて己の道へ進んだのだが、パガニーニだけがその責任感によってこの団に縛られていた。
残り少なくなった30人近い団員は、アダムと同じような根無し草や、根が腐ったような奴らばかりなのだが、パガニーニはついぞ見捨てる事ができないまま下手くそに団を運営し続け、追い込まれ、誘拐という恥ずべき犯行に手を染めたのだ。
解散すれば俺たちはどうすればいいという、泣き言ばっかり言う残った屑達のために、ここまでやれば十分だろう、と言い訳するために。
(馬鹿なパガニーニ。残った屑どもの為に、そこまでする必要なんかなかったんだ)
正直、アダムも気乗りはしない。誇りあるマクブライド傭兵団として生きた俺にとって反吐の出る行為だ。だが馬鹿な仲間の為に、今回だけそれを手伝おう。アダムはそう心の内で決意した。
懐から革紐に結ばれたペンダントを取り出す。鈍い色に光るアメジストが、窓から差し込む夕陽に淡く反射した。
「団長……」
ぽつりと呟くアダムの言葉に反応したかのように、ベッドの王女がもぞもぞと動き始めた。
目をやると、寝返りを打ってこちらを見つけた王女が、青色の目を極限まで開き、横たわったまま、怯えを伴ってコチラを見てる。身体も震えているようだ。
(普通の怯え方じゃねえ。パガニーニ、どんな捕え方しやがったんだ?)
できるだけゆっくりと、椅子から立ち上がる。
もしかしたらゆっくりと立ち上がってじわじわと近づかれた方が恐怖を煽るのではないかと思ったが、後の祭りだった。
一歩離れた距離で止まると、目線を合わせるために腰を落として問いかけた。
「おはよう、誘拐された気分はどうだい、王女様?」
自分の口から出た、あまりにも悪役な台詞に、我慢できずについ口角が上がってしまう。
更に怯える王女様を見て、「しまった」と思う。
これではまるで、誘拐された事を笑いながら伝える狂人野郎だ。
少し後悔したアダムだったが、これもまた、後の祭りだった。
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怯える王女様に状況説明をするためにできるだけゆっくりした口調で声をかける。
「王女様、あんたは誘拐された。ここは俺達のアジトだ。窓の外を見ても森しか無い事はわかるだろう?叫んでも人は来ないし、逃げ出そうと暴れれば、それを諫める為に痛い目にあってもらわなきゃならない。俺だってそんなことはしたくない。わかるかな?」
震えたまま、こちらを見続ける王女様。
ここで頷いてくれれば楽だったのだが、まだ状況を呑み込めていないのか、うかつにアクションを起こそうとしないらしい。
(よっぽどのびびりか、それとも警戒する知恵があるのか)
考えながら、アダムはそのまま言葉を紡ぐ。
「あんたがどんだけ眠ってたのかはしらない。起きたばっかりでこの状況。気が動転してるのもわかる。でも、そう。あんたはきっと喉が渇いている。そうだろう?」
パガニーニ達の今回の依頼先からの距離を考えれば、帰り道に偶然この王女様を襲撃して誘拐したとしても、最低でも1日以上は何も飲まされていない可能性の方が大きい。道中の道を覚えられる事を防ぐために、布か何かを被せて移動するのは、それこそパガニーニに教わった技だからだ。
「俺はあんたに水を飲ませてやりたい。でもそれには約束事が必要だ。猿ぐつわを外すが、叫ばない。暴れない。だ。」
水の入ったボトルを目の前で振って見せる。
ちゃぷちゃぷという水音に、渇きを意識させられた王女がボトルに釘付けになった。
「重ねて言うが、俺だっていたぶりたいわけじゃない。俺は猿ぐつわを外す。あんたは黙って水を飲む。叫んだりはしない。そうすれば俺もあんたを不必要に傷をつけずに済む。お互いハッピーだ。そうだろう?」
ここまで言って、ようやく王女はおずおずと首を縦に振った。
「よし」
猿轡を外してやると、約束を守り、王女は黙ったままだった。
手は縛ったままで、王女の身体をベッドに腰かけさせると、水をゆっくりと飲ませた。
後ろ手に縛っているままなのでアダムが手ずから飲ませてやると、数滴が口の端からこぼれた。
それを見たアダムがゴクリと生唾を飲み込む。だがそれに気付いた様子もなく、王女はごくごくと水を飲み続けた。
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「さて、落ち着いたかい?王女様?」
先ほどから、王女を見ると心臓が高鳴って落ち着いていないのはアダムの方なのだが、余裕の素振りで王女に話しかけた。
「……護衛の者達は、殺されてしまったのですね」
ぽつりと王女が呟くと、アダムはさらなる衝撃を受けた。昔、団長と護衛依頼を受けた時に護衛をした、王都の歌姫よりも、何倍も可憐な声だったからだ。
王女達を襲撃した時に、きっと護衛達は殺されているだろう。だがアダムは、それを馬鹿正直に伝えるのは憚られた。アダムは彼女を悲しませたくなくなってしまったのだ。
「俺はあんた達の襲撃を実行したグループじゃないからわからない。でも、あんたを誘拐した事を伝えさせる必要がある。だから、襲撃された奴の中にも生かしている奴もいるかもしれない」
王女はぱちくりと目を丸くしてこちらを見る。
「そう、なのですね」
「ああ……」
本当は希望が少ない事を知っているため、アダムは、つい目線を王女から外すも、沈黙に耐えかねて次の話題を出した。
「さて、王女様。あらためて、あんたの名前と立場を聞かせてもらおうか?」
そう問われると、彼女は後ろ手に縛られたまま、できるだけ姿勢を正すと、自嘲するような笑みを浮かべ、ただ、瞳には光を宿して声を上げた。
「私は、ヴォイツェク王家の第三王女、ティファニエル・ララ・ヴォイツェク。"魔女の娘ティファニー"と、そう呼ばれています」