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お隣の推し作家

「っ……はぁぁ……!」

 

 ぱたん。

 本を閉じる音と共に、深く感情のこもった溜め息が聞こえた。

 彼はさっきまで開いていた本を抱きしめると、夢見心地の表情でくるくる回りながら、

 

「ああっ、今回も素晴らしかった……きさき先生の新作っ……これでまた生きていけるっ……!」

「は、はあ、よ、良かったですね」

「そう! 良かった! これしか言えない! どう良いのか? そんなもん全人類が読んで確かめたら良いと思う! 無限に売れろ! もう僕より売れてるけど!!」


 早口で内容にまったく触れることなく作品を褒めまくっているのは、私と同じアパートでお隣に住んでいる、年上のお兄さん。

 ただの本好き、というわけではない。この人もまた、今自分が手に持っているような本を世に出している、小説家というお仕事をしている人だ。


「っはぁ~……すごい、すごいよ……あそこであんな台詞を持ってくるなんて、僕には到底考えつかない……神か……いや、神だったわ……もう累計三百万部だもんな……あ、読む!? むしろ読んで! 感想会の相手して!?」

「あ、は、はい。後で読みますね、ありがとうございます」

「ふふふ、レアものだぜ! まだ発売してないのを編集さんに送って貰ったからね!」

「それは私に渡して良いんですか……?」

「良くない! でも感想会はしたい! みんなには内緒にして!」

「正直すぎませんかー……?」


 お兄さんの推し作家は同じ出版社に所属していて、彼は編集さんに頼んで発売前の本を送って貰っているらしい。

 ちなみに発売したら改めて五冊買っているとのことで、本当にその作家さんが大好きなのだろう。

 渡された本を脇に置いて、私は素直な意見を口にした。


「えと、これも良いんですけど、私はお兄さんの新作が読みたいかなって。お兄さんが、私の、その、お、推し作家、ですからっ……!」

「……死ぬ」

「あ、あれぇ!? 今さっきまであんなに元気だったのに!?」


 喜ばせようとは思ったけれど、お世辞までは言っていない。私は本当に、この人の書くお話が大好きだ。

 だけど今、私のエールを聞いたお兄さんは数秒前の元気さが嘘のようにぐったりと机に突っ伏して、


「だって無理だよぉ~締め切りまであと一週間くらいしかないよぉ~まだ半分も書けてないよぉ~」

「ええっ!? それでその新作読んでたんですか!?」

「うん、五周目」

「しかも周回済み!?」

「え、だって五回くらい読まないと伏線とか状況、感情の移り変わりを全部網羅して、書き起こせなくない? ほら見て、これ新作についてなんだけどね……」

「ひえっ……」


 見せてくれたノートPCの中身は自分の原稿ではなく、フラゲした推し作家の新作の事細かなデータと、分析だった。

 文字数の表示を見ると数万文字で、どう見ても締め切りまでの時間が浪費されている。なにをしているんだろう、このひと。


「どうしてここまで頑張れるのに、自分の原稿が進んでないんですか?」

「……原稿の息抜きに好きなことしようと思ったらこうなった」

「息抜くどころか息の根が止まりますよ!?」

「だって推しの新作だよ!? 一秒でも早く読んでいろいろ考察しないと気が済まない! もう通販サイト用のレビューまで用意してるんだよ!?」

「その用意周到さをどうして原稿と私生活に向けないんですかぁ!」


 彼はだらしがない訳ではないのだけど、締め切りが危険になるほど自宅を魔窟にする習性がある。

 今も部屋の散らかり方からして進捗は危ないのだろうなあとは思っていたけれど、まさかそこまで悪いとは。


「……ところでその締め切りは、どれくらい大変な締め切りなんです?」

「……三回伸ばして貰ったあとの、デス・締め切りです」

「落としたらダメなやつじゃないですか! ああもう、早く執筆してください! 私はこの辺を片付けてご飯を用意しますから! いいですね!?」

「は、はいっ!」


 さすがに甘やかしてはあげられないと思ったのでまくしたてると、お兄さんはわたわたとPCに向かい始める。

 はじめるまでに時間はかかったけれど、掃除と炊事が終わる頃には彼は話しかけても反応してくれないほどに集中していて、私はお兄さんの集中が切れるのを待ってから一緒にご飯を食べた。


「や~、ありがとう、人類らしいご飯は三日ぶりだ……ハンバーグおいしい……」

「もう、三日間もなにしてたんですか」

「新作のゲームが面白くてさあ……これもまたシナリオが良くてね、泣いた……」

「取り込むばっかりじゃなくて出力もして下さい、せんせ」

「うっ、編集さんみたいなことを……うん、頑張るよ。折角お隣に住んでる可愛い女の子が、推し作家って言ってくれたからね」

「っ……」


 屈託なく笑われて、ぐん、と体温が上がる。

 

 ……ああ、もうっ。


 どうしようもなく放っておけないと思ってしまう。

 こうして世話をすることで、大好きな彼が紡ぐ物語をまた読むことが出来るなら、それでいいかとさえ考えてしまう。

 私の気持ちをつゆほども知らない彼は、幸せそうにハンバーグを頬張りながら、


「やー、しかし、きさき先生の新作は本当に凄かった。何回読み直しても同業として勝てる気がしない……神だ……崇めたい……いや崇めてるわ……」

「…………」


 推し作家について熱く語る彼を見ていると、少しだけ疑問が湧いて。

 私は自然と、言葉を作っていた。


「お兄さんは、そういうとき……その、嬉しいとは別で、神様って不公平だとか、思ったりしないんですか?」

「んー……?」

「あっ……ご、ごめんなさい」


 言ってから、後悔した。

 作家の作品は連載や打ち切り、発行部数という形で、結果が如実に現われる。

 なにが受けるのかも分からない上に弱肉強食という、考えれば考えるほど理不尽な世界で、彼は自分が推しと呼んで、自分には到底いけない高みにいると言う相手に対して、なにも思わないのだろうかと。

 そんな失礼な疑問を、ぶつけてしまった。


「いや、思うよ。僕だってもっと売れたいし、推し作家っていっても同じ業種じゃん、すんごい悔しいし、才能とか努力とかいろいろあるけど、どうにかしてどこか勝てないだろうかって思って分析してる部分もある」

「え……」

「でも、それ以上に、大好きなんだ。この人の話が嫉妬するほど好きで、悔しいって思うのにどうしようもないほどに引き込まれる。そこは理屈じゃなくて、感動で……作家の僕は悔しいけど、読者の僕は無限に拍手を送りたいって思う。そしてそれは……僕たち作家はみんな、ファンに与えていることのはずだから、否定できないんだよね」

「……そう、ですか」


 困ったように、けれど笑顔で語る彼の顔を見ていると、ひどく晴れやかな気持ちになる自分がいて。

 この人を推していて良かったと、素直に思えてしまった。


「ごめんね、あんまり構ってあげられなくって」

「ふふ、そう思うなら締め切り、落とさないで下さいね?」

「うーん、編集さんより怖いな。頑張るよ」


 夕食のお片付けを終えた私は、彼の邪魔をしないように自分の家へと戻ることにした。といっても、部屋はお隣なのだけど。

 やる気はあるようだけど、一応明日も様子を見に来よう。そう決めて靴を履いて、お別れの挨拶をしようとした私の前に、紙束が渡される。


「一応、今日書けたところまでプリントしてみたんだ。変えるかもしれないけど、良かったら読んでみて」

「あ……い、良いんですか?」

「いやあ、大したことはできないけど、好きな作家の生原稿って僕なら嬉しいから、お礼になるかなあって」

「な、なります! すごく! あ、ありがとうございます!!」

「こちらこそ、ありがとう。またいつでも遊びに来て」

「は、はいっ! おやすみなさい、お兄さん! その……原稿頑張って下さいね、新作楽しみにしてます!」


 笑顔のお兄さんがドアを閉めた瞬間、私は自分の部屋へと急いで戻った。

 靴を脱ぐのももどかしく脱ぎ散らして、ベッドに飛び込んで一通りゴロゴロしてから、貰ったお話を堪能する。

 全部は書けていないという原稿は凄く良いところで白紙で、これから先に紡がれていくのが今から楽しみで楽しみで仕方が無くなるようなもので。

 五週ほど読み込んだ私は深く深く溜め息を吐いて、


「はあ……凄い……神……好き……」


 語彙力の無い感想を一通りこぼして、手元にある彼の『推し作家』の本に目をやった。

 発売日は二週間後。お兄さんが編集さんに頼んで手に入れた、未発売の新作。

 それと同じ本が、私の本棚にも収まっている。


「……感想会なんて、いくらでもできるんですけどね」


 つけっぱなしのPCが、メールの着信を小気味の良い通知音で教えてくれる。

 首をひねって画面を見れば、メールの件名は『続刊について』。

 送り主はお世話になっている人で、冒頭は『きさき先生、お世話になっております』だった。  


「……お兄さん、知ったらどう思うかなあ」


 あなたのことを推し作家にしているお隣さんは、あなたの推し作家なんですよ、なんて。


「教えられないよね……」


 今の関係が変わるのも怖いし、なによりお兄さんにあの高いテンションで来られたら私の心臓が保たない。

 今だって、新作を褒められたことを思い出すだけで胸がどくどくしっぱなしなのだ。


「……あううぅ」


 私たちは、言葉の意味を知っている。

 だからこそ、好きという言葉にこんなにも翻弄されてしまう。


 文字書きなんて生き物が恋をするのは、難しい。

 推し作家から推して貰えるという幸せな時間を思い出して、今日も私は恋心を募らせるのだった。

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