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喫茶あるぱかのサラダ姫〜ドレッシング大臣とメイドな私?〜

 なんでこの人、マスターなんかやってるんだろう。

 私はこっそりと、シンクを真剣に磨いている隣の青年を盗み見た。


「『野菜にドレスを着せましょう』っていうCM、知らない?……知らないよねうん……」


 注目されている本人は気づいていないのか、ぶつぶつと独り言めいた何かを呟いている。

 なぜ彼が店の主なのか。

 この謎は、私、犬飼あゆみが「喫茶あるぱか」で働き始めてから──つまりは今日の朝からだが──もう何十回と心の中で繰り返している疑問である。

 重たい前髪と分厚い眼鏡。どことなく垢抜けないその人は痩身でひょろ長く、一言で印象を表すとすれば「頼りない」。ただしっかりとアイロンのかかったワイシャツには清潔感があって、腰に巻かれた黒のカフェエプロンがなんとなく似合う。実はスタイルが意外といいおかげ、なのかもしれない。


 熊田誠。彼こそが、喫茶あるぱかの「マスター」である。

 いや、外見だけならまだマスターっぽいと言えなくもない。私が疑問を持つのは、もっと根本的な技量の話なのだ。


「dressという英単語にはね、衣装としてのドレスの意味と、動詞の『着せる』って意味があるんだ。つまり、ドレッシングというのは野菜を着飾らせているわけで、ねえ聞いてる? あゆみさん」

「あ、私に話しかけていたんですか」


 我に帰って聞き返すと、初めて彼と目が合った。その顔にはありありと「ショック」が描かれていて、少しバツが悪くなる。


「……まあいいや。話を続けるとね。僕はドレッシングを作る時、野菜のドレスを作る気持ちで挑んでいるんだ。このこだわりを体現すべく『喫茶あるぱか』を継いだわけなんだけど」

「なんでそこで喫茶店を継いじゃったんですか」


 私が突っ込むと、誠さんは言葉を詰まらせて咳き込んだ。そうか、向いていない自覚はあったんだな。さらに私は追い討ちをかける。


「コーヒー淹れるのも、料理作るのもあんまり得意じゃないんですよね、誠さん。喫茶店より向いている仕事があったのでは?」

「さては妹がいらないことを吹き込んだな」


 まあそれ以外にないか、君たちは親友だもんねと、誠さんはため息をついた。小さくなった背中を見ていると、なんだか可哀想にもなってくる。だがしかし、こっちも悠長なことは言っていられないのだ。自分の進退にも関わってくる大問題が控えているのだから。


「再就職先がすぐ決まったのは、助かったと思っています。卒業後半年でレストラン辞めたなんて、どこに行っても絶対面接で苦労しますから」

「あゆみさんは悪くないのにね。大変だったよね」


 眉を下げる彼は、正真正銘の『いい人』ではある。


「学びたいシェフはいたけど、周囲が本当にレベルの低い人ばっかりでしたから。遅かれ早かれ辞めていましたよ」

「それでも調理師学校に通う前から、行きたいと思って夢見た場所だったんでしょ。僕だったらショックで引きこもってるよ。あゆみさんは偉い」


 落としていた視線をあげればあまりに優しげな瞳とぶつかってしまい、なんだかむず痒い気持ちになった。元来、過去のことは引きずらないタイプだけど、こうも真正面から褒められるのは初めてのことで落ち着かない。

 私は今年の春、調理師学校を卒業して念願のレストランに就職した。学生時代から憧れ続けた、有名なシェフのもとでついに働ける……そんな夢物語はやっぱり夢だった。詳しい事は書けば長くなりすぎるので省略するけれども、重なる人間関係のストレスに私の体は耐えきれなかったらしい。結果半年という短期間で辞めざるを得なくなったのが、つい一ヶ月前の話。なんとか体調を立て直し、さあこれからどうしようと思っていた矢先のことだ。高校時代の親友、熊田薫が連絡をとってきたのは。


『コーヒー一杯満足に淹れられないって怒られてたお兄ちゃんが、大学時代にバイトしてた喫茶店を継ぐとか言ってんの! なんか今のマスターがお歳だから引退するらしいんだけど、あそこは潰しちゃダメだから継ぐんだ、ってその一点張りで全然家族の忠告聞かないんだよ。こうなっちゃったらテコでも動かないからさ……あゆみ、もし嫌じゃなかったら、軌道に乗るまでの間でいいから手伝ってあげてくれない?』


 正直言えば、渡りに船だと思った。誠さんなら完全に見知らぬ赤の他人というわけではないし、物腰柔らかで親切にしてもらった記憶が強い。それに親友からの頼みでもある。シフトや給料の話といくつかの確認事項を簡単に聞いただけで、私はあっさり引き受けることに決めた。それが失敗だったかもしれないと気づいたのは、今日働き始めて数時間が経った頃のことである。


「私の昔話はとりあえず置いておいて。どうしてこんなに儲からない喫茶店のマスターなんかやろうと思ったのか、私はそれが聞きたいんです」


 そう、そこなんですよ。私が料理を提供した数は、朝から数えてたったの三品。昼の一番忙しくなければならない時間を終えているのに、だ。どう考えても時給にすら届かない。


「はは。儲からない、ね。いつもはここまでじゃないんだけど、まさしくその通り、赤字もいいところで……ってあああああ!」

「急に大きな声出さないでくれますか!?」


 心臓が止まるから。こんなところで死にたくないから。頼む。


「あゆみさんに、重大なことを話し忘れてた」

「なんですか。もうこの際ですからなんでも言ってください」


 ここまできたらなにを言われても驚かない自信があった。店内にいるうちはまだ一応雇われ人だ。要望は出来る限り叶えるのが筋だろう。

 と、思ってはいた。次の言葉が来るまでは。


「一時間でいいんだ。ちょっとメイドさんになってくれませんか」


 コーヒーカップを取り落として割った私は、絶対悪くない。




「ええと。話を整理しますよ」

「はい」

「三時頃になると毎日やってくる女の子がいる、と……もうすぐじゃないですか」

「はい。鹿沼美姫みきちゃん。近くに住んでいる小学一年生です」

「その子のおままごとに毎日付き合わされている、と」

「おままごとというか……うんまあ、そうだね、はい」


 いい人かよ。いっそ通り過ぎてお人好しすぎかよ。あれ、もしかして。私は一つの仮説を口にする。


「喫茶店を継いだのって。それが理由だったりしますか」


 尋ねた瞬間、明らかに誠さんが目を逸らした。ただ静かな空間がその答えだった。

 ピカピカに磨かれたシンクを見つめて、誠さんが小さく呟いた。


「あの子の心が、ひとりぼっちなんです。親は仕事でほとんどいなくて、まだ小さいのにずっと張り詰めて、どこでも優等生で。そんな子が、初めて見つけた安らげる場所を、僕は守りたかった。まあ、あくまで僕のエゴなんだけど」


 まるで、自分の苦しみかのように。乾いた笑顔で笑う誠さんは、見ていられないくらい痛々しかった。

 思わず大きなため息をついた私に、誠さんはびくりと肩を震わせる。


「すみません。一番大事なところを話し忘れていて」

「いや、呆れたのはそこじゃないので。まあどんだけお人好しなんだとは思いましたけど」


 でもね。

 なんとかしてあげたいとか少し思っちゃった私も、大概かもしれない。


「その子の詳しい事情は分かりませんけど、おままごとに付き合えばいいんですよね?」

「付き合ってくれるんですか」


 誠さんは伏せていた顔を勢いよく上げてこちらを見た。


「ぶっちゃけ、お客様が増えればそんなことしてる時間ないですし。だから、お客様が増えるまでの間だけ、です。そうですね、期間は三ヶ月」

「さんかげつ」

「その間に、何がなんでも私のお給料に時間外手数料をプラスして払ってもらえるレベルまで業績を回復します」


 誠さんは目をぱちくりさせて私の言ったことを復唱している。


「てっきり、やっぱり辞めたってここで働くのを断られるものだと」

「そうして欲しいならそうしますけど」


 誠さんは慌てて首を振った。私だって辞められるなら辞めたい。こんなめんどくさくてお給料も貰えるか怪しいような仕事、もしかしたら普通に面接を受けて就活しなおす方がよっぽど楽かもしれない。

 それでも、「ひとりぼっちなんです」と言った誠さんの言葉が、私の胸に刺さってしまった。「ひとりぼっち」がどんなに苦痛であるか、つい先月までの体験で嫌というほど知ってしまったので。


「ちなみにですけど。誠さんは何役なんですか」

「あ、ドレッシング大臣です」

「大臣? おままごとで大臣なんですか? しかもドレッシングってついてますけど一体何するんですか?」

「いやあ、それは付けたミキちゃんに聞いてください。彼女、ちょっと変わってるんで」

「なんで私はメイドなんですか。誠さんが大臣ならせめて事務次官とか補佐官とかにしてくださいよ」

「そんな難しい役職、小学一年生に分かるわけないじゃないですか。それに、かわいくてお料理上手なメイドさんが欲しいっていうのがミキちゃんの前々からの希望なので」


 その時、来店を告げるベルが賑やかな音を立てた。扉が勢いよく開かれる。


「ごきげんよう大臣! あれ……」


 そこにはランドセルを背負った、ワンピース姿の小さな女の子が立っていて。

 見慣れない私の姿を見て、ぴしりと小さく固まった。


「あらお姫様、おかえりなさいませ。今日からメイドとして配属になりました、犬飼あゆみと申します」


 これから三ヶ月の間、ご主人様には気持ちよく過ごしていただかなくてはいけない。私はとびきりの笑顔で彼女を出迎えた。

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