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あの子のために

 M地方裁判所 法廷。

 決して広いとは言えない室内に、吐息と熱が充満している。

 

 三十人の傍聴人とマスコミ各社の記者が、この日法廷に詰め掛けていた。

 彼らの視線は、証言台に立つ男に集められている。

 

 三好栄介。四十六歳。


 上下黒のスーツ。

 白いシャツ。

 シワのついた茶色の革靴。

 刈り上げた白髪の頭。

 頬から顎にかけて無精髭が生えている。


 やや釣り上がった目と細面の顔とが相まって、狐の風貌によく似ていた。


 傍聴人の視線を一身に受けながら、三好は裁判長をじっと眺めていた。

 黒い法衣をまとい、細身の体の上にやつれた顔が乗っている。

 髪を黒く染髪しているが、所々色が薄く地毛の白髪が浮かび上がっていた。


 裁判長の横には、陪審員が二人。裁判長を挟むように座っている。

 

 これより開かれるのは、刑事裁判。

 被告は三好栄介。

 十五人の高校生を次々に殺害した彼に、これより判決が言い渡される。


 裁判長は三好を見下ろしていた。

 その目には疲労と、わずかばかりの情けが見えた。


 三好から目を切ると、裁判長は手元に視線を落とす。

 主文を飛ばし、判決理由を述べ始める。


 法廷がざわついた。

 主文を読み上げてから、判決理由を述べるのが通常の裁判である。

 主文を飛ばす、または後回しにする場合、被告に対して死刑判決が出るものとされていた。


 主文飛ばしの一報を伝えるべく、マスコミが慌ただしく法廷を出ていった。


 マスコミ、および遺族の予想通り、裁判長からは死刑の判決が言い渡された。


 それを三好は聞いていた。

 表情を帰ることも、悲嘆にくれることもなく。

 耳を傾け、頷いた。


 傍聴席からは、すすり泣く声が聞こえてくる。


 被害者遺族。親類。友人。学校の教員……。

 犠牲になった子供らへの悲しみ、悔やみ。被告への怒り、憎しみ。

 暗い感情が法廷の中に渦を巻き、息苦しさとともに締め付ける。


「裁判長。一つよろしいでしょうか」


 三好が静かに手を上げた。


「何かね?」


「ここにいる皆様方に、一つ申し上げたいことがありまして。発言の許可を頂けますか?」


 裁判長は、横に控えていた陪審員に視線を投げる。

 彼らは、互いの顔を見合わせて、うなずいた。


「よろしい、許可をしよう」


「ありがとうございます」


 三好は深々と頭を下げた。

 頭を上げると身を翻し、遺族達の顔を見渡した。


「私は、皆様のお子さんを殺しました」


 三好は言った。

 

「飯島 輝くんをロープで締め殺しました。

 上田 良太くんをバットで殴り殺しました。

 岡田 直樹くんを風呂場で溺れさせて殺しました。

 菊池 直子さんを線路に落として殺しました。

 後藤 由紀さんを車で轢き殺しました。

 鈴木 優子さんをリンチして殺しました。

 鈴木 正義くんをバラバラにして殺しました。

 園田 良雄くんを生き埋めにして殺しました。

 田村 正和くんをナイフで殺しました。

 富岡 義文くんを燃やして殺しました。

 内藤 敦くんを毒殺しました。

 藤岡 美幸さんを海に沈めて殺しました。

 前田 政志くんをビルから転落させて殺しました。 

 三浦 智和くんを餓死させました。

 和田 美咲さんを木に吊るして殺しました」


 朗々と三好は自分の犯した殺人を、被害者の名前と言葉にしていく。

 裁判長はすぐに彼の口を閉じさせようとした。

 しかし、遺族たちの怒りが爆発し、裁判長の言葉を遮った。


 罵詈雑言。

 傍聴席の口から、あらゆる侮蔑の言葉が三好に投げられる。

 そして「子供たちを返せ!」という同じ文句が吐き出された。


 三好の表情は変わらなかった。

 それどころか、狂乱する遺族たちを、まるで見せ物と思っているかのように、微笑を浮かべながら見つめていた。


「ですが、私は一切反省しておりません」


 その言葉が、遺族たちに何をもたらすのか。

 三好は知っていた。

 知っていたからこそ、その言葉を使ったのだ。


 罵詈雑言が、三好の一言の前に静まりかえった。

 彼らの目は見開かれる。


 もしも三好が、少なからず自責の念を持っていたのなら。

 遺族の言葉は鋭い刃物となって、彼を傷つけていたはずだ。

 遺族も、わずかながらに怒りの矛先を下ろすことができたはずだ。


 だが、彼は自責の念など抱いていなかった。

 遺族の言葉を言葉以上のものに思わなかった。

 それは、遺族の言葉は何の意味もないことを、暗に示していたのだ。


「彼らには将来がありました。未来がありました。夢がありました。希望がありました。それが、たとえ叶えられないものだったとしても、彼らはそれに立ち向かうために、英気を養っていたはずでした。しかし、それを私が終わらせてしまった。そのことについては、皆様にお詫び申し上げましょう」


 三好は頭を下げた。

 深く、深く、頭を下げた。


 遺族からの言葉はなかった。

 ただ、その白髪頭を、じっと眺め続けていた。


 三好は顔を上げて、遺族たちを見た。


「しかし、彼らによって奪われた未来もありました。それは私の未来でもあり、家族の未来でもあります」


 三好の顔から、笑みが消えた。


「きっと、あなた方は知らぬ存ぜぬを貫き通すことでしょう。実際知らなかったとしても、不思議じゃありません。彼らは周到に事実を隠蔽し、貴方たち家族に知らせようとはしなかったのですから」


 緊張が、ピンと張り詰める。

 

「だが、そこにいらっしゃる先生方は、きっとわかっているかと思います。ですよね、先生?」


 恰幅のいい、灰色のスーツをきた中年の男。

 そして茶色のスーツを着た、メガネをかけた若い男。

 教頭の鷲尾と教師の櫻井だ。


 彼らの顔はサッと青ざめ、教頭に至ってはワナワナと唇を震わせている。

 

「被告人。それ以上の発言は控えてください」


 裁判長が言う。

 三好はうなずき、遺族たちに背中を向けた。


 遺族のやり場のない怒りと、深い悲しみを含んだ視線が、三好の背中を突き刺している。


 だが、それは三好の発言以前よりも、弱々しいものに変わっていた。


 裁判長の口から、間も無く閉廷の声が発せられた。

 それは三好との対面の、最後を表していた。

 

 三好が刑務官に連れられて、静かに法廷を後にする。

 その顔には恐怖はなかった。

 ただ、つきものが落ちたような、穏やかな微笑みを浮かべいた。


 遺族達は失意の面持ちで立ち上がり、続々と法廷に背中を向けた。

 息遣いも人の熱も、次第に薄まっていく。


 人気のなくなった法廷に、田中恭子は立っていた。

 彼女は三好が連れて行かれたドアを見つめていた。


 紺色のセーラー服。ショートボブの髪。

 茶色の丸い瞳に、ふくよかな唇。

 美人と呼ぶほどではないが、整った顔立ちをしている。

 男好きする女という言葉が、彼女にはピタリと当てはまった。


「何をしているんだ。田中」


 櫻井が恭子に声をかけた。

 

「なんでもありません。先に行っていてください。すぐに行きますから」


「……帰りは、一人で大丈夫か?」


「ええ。大丈夫です」


「そうか」

 

 櫻井は柔らかく頬を歪めた。


 櫻井が法廷からいなくなってから、数分後。

 恭子は踵を返して、傍聴席の通路を進んだ。

 合成樹脂で作られた、灰色の床にいくつもの足跡がついている。


 遺族の足跡。

 悲痛の面持ちで、俯きながら彼らはここを歩いていった。

 そのやや屈んだ背中が、足跡となって残っているようだった。

 汚れた床を、恭子の足が新たに汚していく。


 小糠雨が降っていた。

 小さな雨粒が、コンクリートを黒く染めている。

 

 駐車場にはいくつかの車が止まっていたが、遺族達が帰ったせいか、がらんとした印象を受けた。


 傘立てに挿した赤い傘。恭子の傘だ。

 傘に手を伸ばし、ボタンを押して傘を開く。

 裁判所を出た後、停留所にてバスを待った。


 バスは混み合っていた。

 ちょうど学校の終了時刻と重なっていたせいで、車内は学生であふれている。

 一見したところでは、座るのは難しそうだった。


 整理券を取り、つり革に捕まる。

 薄く曇った窓には、ぼやけた景色が見える。


 ドアが閉まり、バスは走り出した。


 バスに乗っていたのは、ブレザー姿の高校生だった。

 どこ高の子だ。恭子は思った。

 しかし、それ以上の思い入れはなかった。


 何気なく彼らを見渡していると、座席に座った男子生徒に目が止まった。

 詰襟の黒の学生服。

 校章は違うけれど、そのデザインは恭子の通う高校のものと似ていた。

 

 彼女の脳裏にある男子の顔がよぎる。

 これまで思い出さないようにしていたのに、ふと記憶の淵から彼の顔が現れた。


 黒い短い髪。 

 詰襟の学生服。

 浅く焼けた肌。

 猫背で、やや曲がった背中。

 笑った時に浮かび上がる、右頬にあった小さな傷跡。


 懐かしい思いとともに、どうしようもない悲しみが、恭子の胸を締め付ける。

 浮かんだ涙を拭き取って、恭子は白く曇った車窓の景色を、見つめ続けた。


 あの日、三好浩太が自殺をしなければ、こんな悲惨な事件は起きなかったのではないか。


 そんな思いがふと恭子の胸に沸いてくる。

 だが、すぐに心の奥底に押し込めた。

 彼らはもういないのだ。

 考えたところで、仕方がない。


 だけど、一言、三好に聞いてみたかった。


 あいつらを殺した時、どんな気持ちがした?


 それを聞けずに終わったのが、恭子は残念でならなかった。

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