俺のまわりの複雑すぎる青春情勢
高校生活もそろそろ折り目、言い換えれば、先生の口から「受験」の二文字がちょくちょく出始める高校生活二年目の初夏。春のほどよい風が過ぎ去り、夏の日差しに備えて制服の衣が薄くなる季節に、俺は冷や汗を垂らしていた。
その原因は、下駄箱の中にあった。白い洋封筒が、一つ。高校の下駄箱にコイツがあるってことは、学校の教科書より漫画やアニメを嗜む俺には、ぴんと来るものがあった。……こりゃあれだ、ラブレターってやつだな。
『放課後に話があります。校舎裏に来てください』
やはりというか、中の文章には、オーソドックスな呼び出しの旨が書かれていた。差出人の名前はない。……ふむ。普通の男子高校生なら、ここで舞い上がっているだろうが、逆に俺は冷静だった。普通に考えてもみろ、今日日、スマホを持っていない高校生のほうが少ない時勢にラブレター? 男友達の悪ふざけを疑ったほうが賢いはずだ。
慌てず騒がず慎重に。それでも「万が一」を考え、俺は爆発物を処理するよりも丁寧に、その恋文であろうブツを鞄に仕舞った。
いや、困ったね。普段はこういった相談にのる側で、実際の経験は無いんだけれど。とうとう俺、春日井恭弥にも少し遅めの春が来てしまったかな?
◆
で。そんなこんなで、昼休み。ラブレターを鞄に仕舞ったまま、ついに四限が終わった。俺の意識が全て鞄に持っていかれていたのは言うまでも無く、朝からここまでの記憶が少し飛んでいる。おかげで、二限に世界史の小テストがあったことを、綺麗にこの瞬間まで忘れていた。……一応、答えのようなものを解答欄に書き込んだ気はするが、なに書いたか全然思い出せねえ。
気が付けば俺は食堂にいて、目の前にはいつ頼んだか覚えていないカレーがあった。どうやら身体が勝手に、日々の行動を無意識的に模倣していたらしい。いや、習慣って恐ろしいもんだな。
「ねえ、恭弥。何か今日はずっと落ち着きがないけど、大丈夫?」
なんて心配してくれるのは、竹馬の友である夜桜薫。女子かと見紛うほど華奢なその容姿は、幼馴染でなければ俺も女子だと思っていただろう。声も高いし、その所作もどこか女性っぽく、名前も男女どっちとも取れるもんで、小中学校の頃は俺がいないところで結構揶揄われていたそうな。
高校に入学してからは、周囲の環境も一新され、変に絡んでくる奴もおらず。別に俺が薫の傍にいる必要も無いんだけど、付き合いが長いせいか、コイツが隣にいる日々が普通になっていた。
しかし、幼馴染で気心が知れているとはいえ、薫から見ても様子がおかしかったのか、俺。
「そんなに変だったか?」
「他の人は多分、気付いていないと思うけれどね。朝から何か上の空だったし、僕のこと二回も無視したんだよ?」
「え、マジか」
親しき仲にもなんとやら。無視なんて絶対にしないはずなんだが……どうやら自分で思っていたよりも、重症だったらしい。たかだか手紙の一通だというのに、この殺傷能力。恐るべし。
とはいえ、いくら幼馴染でもラブレターの件を教えるわけにはいかない。いや、薫が他人の恋路を茶化すような奴ではないことは、重々承知しているのだけれども。それはそれ、これはこれである。
「最近忙しくって、それで少しぼーっとしてたのかもな。無視して悪かった」
「あ、恭弥が謝ることじゃないよ! それに、僕の一件もあるんでしょ?」
「ん? ま、まあな」
こういうとき、多くを語らずとも伝わる……もとい、勝手に誤解してくれる薫の存在はありがたい。まあ、忙しかったのは事実だから嘘はついていないしな!
部活に勉学、学生の本分を全うすれば、そりゃあ大体の高校生は時間が幾らあっても足りないだろう。だが、俺の場合の忙しさは、そこから少し逸れた部分が起因していた。
「こんなところに座っていたんだ。やっほ、夜桜君!」
「……あの、えっと。こんにちは」
なんて、考えていると。溌剌とした声と、それとは対照的な、か弱い声が俺の背後から聞こえてきた。
一人は、小柄で少しプライドの高そうな吊り目が特徴の少女。もう一人は、これまた対照的に高身長の綺麗な少女である。
二人とも二年生、つまり俺と薫の同級生である。日戸彩夏と小早川冴姫。この二人と、俺たちで昼食をとることも、もうそろそろ馴染んできた頃だ。といっても、小早川の方はまだ慣れていない印象だが。
「あ、恭弥もいたんだ」
「いや敬えとか言わないけどな。バイト先の店主の息子に対して、その態度はどうなんだ……!?」
目が合うと、日戸の冷たい視線がぐさりと突き刺さった。深く説明するほどではないが、彼女は母の経営する占い店のアルバイトとして放課後働いているため、俺とはそこそこ顔見知りである。……それでもこの対応はないだろ。
まあ、分からんでもない。なにせ、彼女のお目当ては俺の目の前に座る薫なのだ。彼女にとってみれば、俺はお邪魔虫。駆除されないだけマシ、と思っておこう。
勿論、馬に蹴られる趣味はない。だが、俺にもこの席に座るための程々に深い理由があった。
修行の一環、とでも言おうか。母が占い師という、そこそこ稀有な環境にいる俺は、「将来の夢や希望がまだないなら、高校生活の内に自分でも他人のでもいいから、恋を応援しなさい」という意味不明な課題が母から提出されていたりする。
母の意図など、全くもって汲めていないが、実は俺の恋愛成就の応援活動はそこそこ結果が出ていたりする。白星は三十三。黒星は四。自分の意外な才能にびっくりである。
高校一年の春から、こつこつと様々な生徒からの恋愛相談に乗ること一年と少し。今や、俺の放課後は専ら他人の色恋に時間を使うようになっていた。
そして、現在の目下最大の恋愛相談。それこそが、幼馴染である薫の一件であった。
「……ほら」
「う、うん」
テーブルの下で、薫の足を少しだけ小突いてやる。俺の目当て――というか、薫の意中の相手は、日戸の隣に立っている小早川冴姫である。
小早川冴姫。我が校の演劇部のエースで、その見た目は可愛いというよりは綺麗と言ったほうが伝わりやすいだろう。舞台に立った彼女は、堂々とした振る舞いで役を演じて見る者を引き付ける。俺も一度だけ見たことがあるが、彼女のファンクラブが存在していると後から聞いて納得したほどだ。
そんな彼女に、薫が惚れたのであれば親友として応援しないわけにはいかないだろう。だが、二つほど大きな誤算があった。
「夜桜君、隣いいかな?」
「あ……」
一つ目の誤算は、日戸の奴が薫に惚れているということ。知ってか知らずか、彼女は俺の活動を悉く妨害してくる。邪魔だ、なんて思ってはいないし、立場が違えば俺は日戸の恋も応援したいが……薫の身体は一つだけである。なら俺は、親友として薫の意思を尊重してやりたい。
もう一つの誤算は、小早川が舞台の外では内気だったということ。舞台上の彼女はどこへやら、ここ三カ月ほど一緒に昼飯を食うようになったというのに、未だ俺や薫と視線が合うとすぐに反らしてしまっている。
色々な意味で難攻不落である。もう少し薫が積極的であれば、と思わずにはいられないが、それでは小早川に嫌われてしまうだろう。
今日もまた、一進一退の動きすらないまま、平穏な昼休みになってしまった。
◆
どうしたもんか、と悩みながら、俺は放課後のチャイムを聞いていた。人の恋愛には、それぞれのペースがあるとはいえ、出来ることなら薫の恋は親友として早く解決してやりたい。
なんて考えていたら、次は自分の番なんだから始末に負えない。何人もの恋愛成就を見届けた俺が、ついに当事者なってしまうのか。まるで実感が湧かないが、俺は努めて冷静だった。……まだクラスメイトの悪戯って線が消えたわけじゃないしな。むしろ濃いくらいだ。
まあ、騙されたなら騙されたで。帰りにジュースの一杯奢らせて、チャラにしてやろう――そう考えつつ、こんな低俗な悪戯を仕掛けそうな連中の顔を、人気のない校舎裏で思い浮かべること三十分ほど。
「……あ、あの。お待たせ、しました」
聞き覚えのある蚊の鳴くような声が、聞こえてきた。視線を向けるとそこには、つい最近見知った顔になった、小早川が困り顔で立っているではないか。
おいおい。おーいおいおい。なんだか凄くいやーな予感がしてしまった。もしかして。いや、もしかしなくても、俺のこの手の中にある手紙と、目の前の小早川が点と点で結びつくようなことはなかろうな。
「これ。小早川が?」
ラブレターと思しき手紙を、彼女に見せる。頼む、違うと言ってくれ。
「あ、そうです。すみません、突然呼び出した上にお待たせしてしまって」
深呼吸。吸って、吐く。慌てるな、慌てるなよ春日井恭弥。まだそうと決まったわけじゃない。
「よっしゃ、ばっちこい。放課後に俺を呼びだしたことってことは、何かあるんだろ?」
こうなってしまっては、誰かが傷つかなきゃ解決しないだろう。だったら、その役割は謹んで俺がやってやる。
「えっと、はい。少しだけ、私の恋愛相談を聞いてくれませんか?」
ほんのり朱に染まった、小早川の口から出た言葉は、俺の恐れていた台詞ではなかったが。これはこれで、厄介なネタであることには変わらなかった。
そんな俺の新たな仕事を持ち込んだ彼女の、この恋愛相談。それが俺たちの青い夏の始まりだったとは、この時の俺は全く予想なんてしていなかった。