後輩に「恋仲の前借り」を迫られました。
「竹村先輩、恋仲の前借り、させてくれませんか?」
「えっと、どういうことかな? 高山さん」
5月14日、インターハイ県予選も近づく中、俺は練習を遅刻して体育館裏に来ていた。
「どういうことといわれましても……そのままの意味ですよ?」
そのままの意味といわれても「恋仲の前借り」なんて日本語は存在しないし、聞いたことがないし、そんな知ってて当然みたいな顔をされても俺は困わけで。
そんでもって体育館裏といえば、告白の定番スポット。
俺は彼女に告白されると思ってそれなりに身構えていたんだけど、これは想定外だ。
「すまん、分からないわ」
「はぁ、先輩思ったより頭が悪いんですね」
「一応、定期テストの点数は上から数えたほうが早いぞ。俺は」
「そういうことじゃないです」
そんなことを言いながら、呆れた表情を浮かべる彼女の名前は高山御桜。
ここ、孝明館高校では結構人気……ってまではいかないが、かわいい後輩だ。
きっと三年生の男子で彼女の顔と名前を両方知っているのは俺ぐらいだろう。とはいっても、特別な関係かって言われたらそれは違う。
単に俺が保健室によく仮眠に行く人間であることと、彼女もいつも保健室に入り浸っているという共通点が生み出した縁に過ぎない。
「先輩は私のこと好きですよね?」
「いや、別に……」
「そういうと思ってましたよ!」
いや、そんな「お見通しだぜ!」みたいな表情をされても困る。
「でもですね、先輩。決まってるんですよ、未来が」
「未来?」
なんか、急にスピリチュアルな話になってきたけど……大丈夫なのか。
ちょいと前に駅前あたりで、かわいい子に逆ナンされた時のことが一瞬で頭によぎる。
あの時は、そのまま喫茶店に行ったんだけど、初手が「あなたは神様をどうおもいますか?」だったからなぁ。
「その表情、疑ってますよね。こんなにかわいい後輩がこんなこと頼んでいるというのに……」
「いや、疑わないほうがおかしいだろう。本当に未来が見えるなら、実際にやって見せてくれ。そしたら信じてやらんでもないけどさ」
いったい何を企んでいるのかわからないけど、「恋仲の前借り」なんてよくわからないワードが飛び出してくるあたりきっと普通じゃないことを考えてるんだろう。
「はぁ、仕方がないですね」
ため息をつきながら、体を翻すと、グランドが見える位置まで歩いていく高山。
位置につくと、彼女はゆっくりと目を閉じる。
どうせ、はったりだろう。そんなことを思いつつもどこか彼女に期待する部分がないのかといわれたらある。
もし、彼女が本当に未来が見える女の子だったら……。
きっと、何にも起きずにただ時の流れとともに過ぎゆく名ばかりの青春も少しは面白いものになるかもしれない。
「あそこで、野球部が試合形式練習をしてますね。そして向こう側ではサッカー部が練習をしてます」
少しして、何かを感じ取ったような顔をすると、そう口にする高山。
「そうだけど、それがどうしたんだ」
「次にピッチャーが投げるボールは変化球です。それをバッターがタイミングを外されながらもうまく合わせて、ライト方向に飛ばします」
「それぐらいだったら、多少あてずっぽうでも……」
「同じタイミングでサッカー部のボールがライトのポジションのあたりに飛んでいきます。それが原因でノーカウントになります」
その直後だった。
体育館裏から見えるマウンドに立つピッチャーがセットポジションに入ると、大きく振りかぶった。
左サイドから放たれた直球より20キロぐらい遅いボール。それがバッターの手元でストンと落ちる、キレキレの縦割れカーブだった。
バッターのほうはストレートを読んでいたのか、体にボールを引き付ける前にボールに手を出してしまう。
「おいおい、マジかよ」
完全に高山さんの読み通りだ。
バッターはタイミングをずらされながらも、バットを返しながらうまく合わせる。
インパクトの瞬間、金属バットのカッキーンという音が初夏の空に響き渡る。
俺の意識は青天に突き刺さる白球に吸い込まれてしまっていた。
「オーライ、オーライ」
「危ない!」
ボールを追いかけ空を見上げながら後ろに下がるライトだったけど、サッカー部のほうから飛んできたボールをよけようとして、エラーをしてしまった形になった。
ベンチに座っていた監督が「ノーカン、ノーカン」と叫び声を上げる。
「ね、完璧でしょ?」
ここまで完璧に言い充てられると、ドヤ顔をされても何も言い返せない。
いったいどういう仕掛けなんだ。考えようとしたけど、全く思いつける気がしない。
完全にお手上げだ。
「わかったよ。正直信じられないけど、ここまでされたら、信じなきゃいけないだろうな。それはそうとして、未来が見えることと、恋仲の前借りとかいうのをするのは、なんの関係があるんだ。というか、恋仲の前借ってそもそも何なんだ」
そもそも、ここまで俺はただ「怪しいから」って理由だけで彼女の頼みを聞こうとしなかったわけで、イマイチ何がしたいのかわかってすらいなかったりする。
「言いましたね、私は未来が見えると。私は自分の未来を見たんです。この力で」
「はぁ、未来を見たねぇ……。それで、高山さんの未来はどんな感じだったんだ?」
一応信じるって形はとってるけど、いまだに信じがたい。でもまぁ、そこが前提の話みたいだしこれ以上「未来が見える」ということについては何も言うまい。
「付き合ってたんですよね。私と竹村先輩が……」
「高山さんと、俺が?」
「はい……」
俺と高山さんが付き合うか……。正直、全くそんな状況は想像できないんだが。
というか、俺は一方的に彼女のことは知ってたけど、今日まで接点があったかと問われたら、ほとんどないといっても過言ではない。
そんな、俺が彼女と付き合うなんて、まぁ可能性は低いだろうし……、それに俺がこの子を好きになるのか?
改めて彼女を見てみる。
身長はぎりぎり150センチに届くか届かないかぐらい、髪は短めに切って、後ろで結んでいる。結んだ髪が小動物のしっぽのように、ひょこっと飛び出していた。
かわいいのは間違いない。間違いなくかわいい。
「うむ」
「先輩、何ジロジロ私の体を見ながら納得してるんですか?」
「いや、なんでもないよ。それにしても、俺と高山さんが恋人なんて想像できないなぁと」
正直言って、かわいいって観点だけで選ぶなら全然ありな気もするけど、「かわいいって思う」ことと「惚れる」ってことはイコールじゃないわけでして。
「あーそうですか。先輩には私が魅力的に見えないと……」
「いや、そんなことは言ってない。高山さんはすごくかわいいと思う」
「やめてください。そういうの……」
あちゃ、つい口に出してしまった。絶対に後から弄られるだろうな、なんて思ったけど……。
高山さんは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにうつむいていた。
「ははーん、なるほどね」
どうやら高山さんは褒められるのに弱いらしい。いつもグイグイ来るのに、意外な弱点だ。
「先輩、よからぬことを考えてますね」
ジトーッとした目線が突き刺さる。
「いや、特にやましいことは考えてないぞ。ほら、本題に戻ろう。俺も部活に遅刻してきてるわけだしさ」
「まぁ、そうですね。先輩が考えているよからなぬことについてはあとで問い詰めるとして、今は『恋仲の前借り』の話に戻しましょう。で、どこまで話してましたっけ?」
「まるいち、高山さんには未来がみえること。まるに、高山さんと俺は近い未来、恋仲になるらしいってこと。この二つだな」
「そうそう。そうでしたね。ここまで言えばわかると思います。私の言いたいこと。先に行っときますけど、私はまだ先輩に恋愛感情は抱いてません。そして、どうやら先輩もそう見たいです」
「ああ、そうだな。そんなにきっぱりと言われると少し悲しくなるけどな……って、あ!」
なんとなく、話が見えてきたぞ。恋仲の前借り、すなわち……
「まだ、お互いに好きってわけじゃないけど、どうせいずれお互いのことが好きになるのなら、今のうちに付き合おうってわけだな。なんとなく読めた」
「そういうことです」
でも、一つだけ引っかかることがあった。なんで今、前借りする必要があるんだってこと。
「どうせ恋人になるならさ、相思相愛になってからでもいいだろ?」
「まぁ、そう考えますよね。でも、先輩、恋愛において『もっと早く、この気持ちに気づいていれば』ってことはよくあることなんですよ」
確かに、言われてみればそうだ。俺は高校三年、高校最後の一年間なんてあっという間に過ぎていくだろう。
俺が大学生になったら、すぐに離離れだ。
「付き合ってすぐに離離れになるのは、確かにしんどい」
「そういうことです。ってわけで先輩、お願いします」
「と言われてもな……」
理屈は理解できるけど、心が傾くかといわれたらそれは別だ。
「絶対損はさせませんよ。未来じゃ、先輩、私にもうメロメロでしたし」
「嘘はやめろ。俺はこう見えてそう簡単に心は動かないほうだぞ。どうせ、それはお前のことだろ」
「そこまで言うなら、前借り契約むすぶんですよね?」
「ああ、上等だ」
ってなわけで、高校三年の初夏、「恋仲の前借り契約」が交わされることとなった。
これからどうなることやら、俺には未来なんて見れないから見当もつかない。
でも、きっとそれが青春の醍醐味なんだろうと思う。