めがね君、はばたく
神様、眼鏡を下さい――
村一番の狩りの名手と言われた爺ちゃんの墓前で、真剣に祈ってみたけれど何も起こらなかった。
「行くのか?」
「はい」
「その目の悪さで何とかなるのか?」
「何とかします」
人口30人程度の極貧の山村。その村長が僕を心配する。
突然、この世界に現れた僕を育ててくれた村。
二人分くらいは簡単に稼ぐ爺ちゃんが、引き取るって言ってくれなかったら、どうなっていたのだろうか?
優しい人たちばかりだから、誰かが育ててくれたかな。
爺ちゃんが加齢のせいで寝たきりになり、視力が悪い僕では狩りには行けなかった。
それでも村の人たちは僕たちを助けてくれた。
もうこれ以上は負担をかけられない。
「まだ子どもだろ……」
「僕はもう12歳ですよ。あと3年で成人です」
「村がこんなに貧乏じゃなければ……本当にすまない。せめて、これを持っていってくれ」
村長が準備してくれたのは、大きな麻袋に入った水と食料だ。
「こんなに……いいんですか?」
「冬までにはまだ時間がある。大丈夫だ」
本当は僕が運べる程度のわずかな食料だって、分けるような余裕はない。
ほんの少しでも冬が長くなれば餓死するような環境なのだ。
爺ちゃん、僕はこの村が本当に好きだったよ。
□■□
村を出た。
麓にある少し大きめの村を目指したはずが早速迷った。
狼の群れと遭遇したので、戦闘を避けて道から外れショートカットしようとしたのがいけなかったのかな。
原因がわかれば、改善もできる。うん、次から気をつけよう。
「あなたはこんな所で何をしているの?」
突然、女の人に声をかけられた。
こんな森の中で誰かに会えるなんて運がいい。
「道に迷いました!」
「あらそう。大変ね。こんなところにいたら狼に襲われ……ていたみたいね」
「はい」
僕が立ち止まった途端、しつこく追いかけてきた狼が襲ってきた。
その死体が周囲に積み上がっている。
「……まだ子どもなのに強いのね」
「単なる転生者固有のチートってだけですよ? 便利ですけどね」
「転生者? チート? 何かの強化魔法かしら。不思議な子どもね。とにかく、こんなところにいたら朝には凍え死んでしまうわ。近くに私の屋敷があるから、今晩だけでも休んでいきなさい」
「助かります!」
いい人だ。
お礼の気持ちをちゃんと伝えないと。
「あなたはなぜ、木に向かって頭を下げているのかしら?」
「こちらでしたか。すみません。視力が弱くて、よく見えないのです」
「目が悪いのね。それは好都合……さぁ、危ないからお姉さんが手を繋いであげるわ」
□■□
屋敷は本当にすぐ近くだった。
「すごいお屋敷ですね」
「(かぷっ)」
「もしかして貴族様だったりします?」
「(かぷっ……かぷっ)」
「……うーん、首は気持ちいいのですが、せめてあと3年、待ってもらえないでしょうか?」
僕が美少年すぎるせいだからなのだろうか。
ソファで襲われています。
「なんで刺さらないのよ!」
「挿す? そんなエロいことはまだできません……ダメです! ちゅーちゅーしないでください!」
「きぃぃ、こうなったら全力で……(ぼきっ)」
何かが折れる音がした。
「牙がぁ!」
「大丈夫ですか?」
「私の自慢の牙が……あなた何者? ひっ、近づかないで!」
「ほら、暴れないで。歯が折れたんですよね? 僕、魔法が使えます。すぐに回復しますから見せてください」
「ぎゃぁぁ」
暴れるお姉さんの顔を押さえようと手を伸ばしたら、お姉さんは叫びながら部屋から出ていってしまった。
一体どうしてしまったのだろう。とりあえず待てばいいかな……遅いな。
僕はお姉さんを待っているうちに、寝落ちしてしまった。
□■□
目が覚めると森の中だった。
あれ?
□■□
三日三晩、森を彷徨いました。
夢遊病でもあるのだろうか。
お姉さんに黙って外へ出てしまったみたいだ。
お礼も言わずに失礼なやつと思われているだろうな。
もう一度出会えたら、ちゃんとお礼を言おう。
「おや、坊主。迷子か?」
ようやく森が切れて道に出たところで、声を掛けられた。
今度はしゃがれ声だし、お婆さんかな。
「迷子です。王都へ向かっています。どっちへ行けばいいですか?」
「迷子ってわりには元気だな。王都ならあっちだな。二日ほど歩いたところに最初の街がある」
お婆さんに道をちゃんと確認した。
これでちゃんと王都へ向かえる。
「助かりました。お婆さん、ありがとうございます」
「お、お、お……」
「お婆さん?」
「ま、ま、ま……」
「ま? 誰かに親切にしてもらったら、ちゃんとお礼を言うように爺ちゃんに育てられたんです。だから本当にありがとう。お婆さん」
「と、と、と……」
「と? さっきからどうしたんですか、お婆さん?」
「年寄り扱いするなぁ!」
突然の強い衝撃。僕は意識を手放した。
□■□
「……なるほど、最終的には眼鏡が欲しいのか」
「はい、ユカさん」
ユカさんです。
いい人です。
なにせユカさんの拳一発で気絶した僕を、さらに何度も殴る蹴るの……お仕置きを咥えた後に優しく介抱し、自分の家に運んでくれたんだから。
「もう殴らないから、こっちへ来い」
部屋の角で震えていた僕をユカさんは手招きする。
「本当に?」
「安心しろ、もう痛くしないから」
チートのおかげで痛くはなかったんだけど、これだけステータスが強化されている僕が気絶するような打撃を放つ人だ。
油断せずに近づく。
「ほら、何もしないだろ。もう大丈夫だ。ところで坊主、名前は?」
「名前ですか?」
あれ?
「ボウズですかね?」
「はぁ? いくらなんでも、それが名前ってことは無いだろう」
「でも爺ちゃんも村のみんなも坊主って呼んでたし……」
「お前、名無しなのか?」
「びっくりしました。そうみたいですね」
記憶も何もかもなくして転生してきたから、疑問にも思わなかったよ。
ユカさんはそんな僕の様子を見て、しばらく何か考えるような仕草をしたあと、家の奥へ何かを取りに行った。
「坊主、これも何かの縁だ。もっていけ」
「ありがとうございます」
差し出されたものを手に取る。
薄ぼんやりと見えるのは、どこか懐かしい形だ。まるで眼鏡みたいだな。
え?
「眼鏡?」
「眼鏡だ。魔法が付与されているから、視力も持ち主に合わせて自動調整できる」
「こんな高価なもの、いただけませんよ」
「確かに値段は付けられんな。だが、それを使う者はもういない。いいからとっておけ」
旦那さんか誰かの形見なのだろうか。
僕はしんみりなりながらも眼鏡をかける。
その瞬間――
世界は色づいた。
「ユカさん、ありがとう」
「ああ、良かったな」
僕はユカさんをじっと見つめた。
「やっぱり、お婆さん……」
□■□
眼鏡は粉々になりました。
僕も粉々にされそうでした。
チートがあって良かった。
「せっかくの眼鏡が壊れてしまったのう」
「ユカさんのせいですからね」
目を逸らされた。
「だいたい、大切な形見じゃないんですか?」
「形見?」
「旦那さんが悲しみますよ。それとも息子さん?」
「ずっと独身じゃ、失礼な。それは勝負を挑んできた魔道士を返り討ちにしたときの戦利品じゃよ」
それならいいか。
ずと独身だったのか。爺ちゃんと一緒だな。
生きていれば紹介したんだけどね。
「それで、坊主はどうするんだ?」
「予定通り、王都に行ってみようと思います」
「そうか、だったらこれを持って行け」
「これは?」
「坊主が王都で住むための紹介状代わりになる。それを持って王都の傭兵ギルドへ行って、ギルドマスターに渡してくれ。やつが便宜を図ってくれるだろう」
差し出された指輪を僕は預かった。
やっぱりユカさんも、いい人だった。
本当に、この世界の人はお人好しばかりだ。
ごめんなさい。
いつかここを滅ぼさなきゃならないなんて、本当にごめんなさい。
□■□
一ヶ月後。
あれやこれやあったけど、何とか王都に辿り着いた。
普通だったら3回くらいは死んでいたかな。
道中、色々な人に出会って、色々助けてもらった。
本当にいい人ばかり。
王都の門をくぐって最初の大きな建物に入り、受付っぽい人に尋ねる。
「すみません、傭兵ギルドはどこでしょうか?」
「それを傭兵ギルドで聞く君は何者?」
「ここでしたか。すみません、目が悪くて。僕はボウズと言います」
結局、名前はこれにした。
他に思いつかなかったし。
「そう。私は受付」
「ウケツケさんですね。ギルドマスターにお会いしたいのですが」
「ウケツケは名前じゃない。ギルドマスターは予約しないと会えない。それに、ここは傭兵ギルド。子どもが来る場所じゃない」
「そうですか。じゃぁ、ウケツケさん。これをギルドマスターに渡していただけませんか。ユカさんから預かってきました」
僕はさっそく指輪を渡す。
「指輪? ユカさん? え? これは……マスター!」
受付の人は指輪を受け取ると突然、奥へ引っ込んでしまった。
そして――
「ユカ・レミングウェイ! よくも顔を出せたな!」
突然、でっかい火の玉が飛んできた。
一発で外へ吹き飛ばされる。
爺ちゃん。都会は怖いです。