6 邪神様は仕事をするようです。
「ぶわふっ」
サイトウが自分の足の前に飛んできた自らのマントに足を引っ掛けて転ぶ。
「ふふふ。」
膝を抱えたままの少女は細い声で笑った。
砂山の向こうに滑落していったサイトウを見てレヴィアは言った。
「馬鹿じゃねえの。」
「そうかもね。」
サイトウは衣についた砂をはたいて落とす。
「慣れないマントなんか着てくるべきじゃなかった。」
そう言って、彼は首筋の紐を解くと、マントをくるくると巻き取り、小脇に抱える。
「でも、何の護衛も付けずに砂漠を渡ろうとするのは感心しないな。それこそそっちのお嬢さんの言うように、「馬鹿じゃないか」と言えるよね。」
「そうなんですが......。」
レジーナは顔を覆う。
手綱を握っていた彼女が一番旅程に関わっていたようで、責任を人一倍感じていた。
「その、お金がないのです......」
ダルシムの運営する牧場の収入が、ついこの間近隣にできた大規模農園に奪われていて、業績が落ち込んでいるとのことである。
レジーナはそこの従業員の1人だという。
「大規模農園って?」
「どうやら勇者の称号をもらって引退した若手の退役軍人が農業を始めたらしいんですよ。」
「どこで農業をかじっていたのかわからないですが、近くの森を燃やし始めたんです。私たちの国ではそんな栽培方法はありません。しかももともとそこは村人の方が昔から夏に豚を放牧するはずの土地なんです。」
退役軍人を大量に抱え込み、治安も悪くなっているようで、彼女を含め多くの近隣住民が頭を悩ませていた。はずだった。
「でも、不思議なことに、誰も農園の管理者に不信感とかを抱かないんですよ。むしろいい人だって言うんです。おかしくないですか?何もかもがあちらに都合がよくできすぎてます。」
伝統が破壊されていくのに、村人は何も手を打たなかったというわけではないだろう。そうだとするとどこかに彼らを納得させる材料があったということになる。
「奴自身に悪気がないのだとすると深刻だ。本人の知らないところで何かが行われてるってのもありえるな。」とレヴィア。
サイトウは黙っていた。
「焼畑農業っていうんだ。昔俺の故郷で流行っていた栽培方法だな。何も考えずにやれば、環境に悪いうえにそこに暮らす生物にも重大な被害が出る。だけどそうすれば開発するのにお金はかからないし、灰を肥料にすればそれなりに作物は育つ。」
「ちっとだけだけどね。」
レヴィアはサイトウの言葉を継いで続けた。
「その勇者ってやつ、何処かで仕入れた欠陥品の知識を、思いつきで実行してる感があるな。」
さらに、追い討ちを書けるように川が枯れ、
塩害が発生する始末だという。
そのせいで牧草や、ラジャの餌になる植物が十分な量確保できない。
「このままでは牧場の経営が破綻してしまうので、ワフド国に珍しいチーズの作り方を学びにいったのです。」
レヴィアを拾ったのはその帰路の途中のことだったという。
「ごめん。じゃあ、あんた達の被害はあたしのせいだ。」
拾っていなければ十分な距離を稼げたかもしれないし、盗賊に襲われるまで気づけないということもなかったかもしれないとレヴィアは言う。
「しかもあたし、すっげえ運悪いんだ。何故か知らねえけど。」
レジーナはレヴィアの手を握った。
「大丈夫ですよ。苦労してこられたんでしょう。私、わかるんです。なんとなく。」
「すまねえ。」
やっぱり、いいやつだ。
レヴィアは幌の向こうに顔を向けた。
レジーナの涙ぐましい介抱をしてもダルシムの意識は戻らない。それでもレジーナは昏睡状態のダルシムに甲斐甲斐しく世話を焼いて側を離れようとしない。
それだけ大事な人なのだろう。とレヴィアは思った。
あっさり捨てていかれそうになったレヴィアとは大きな違いである。
「そんなつもりじゃ......」
「いいんだ。あたしは一人でも何とかなる。」
「ならないよ。」
サイトウが釘を刺したのはレヴィアが立ち去ろうとするその直後であった。
「この砂漠は水場がない。竜人族の君は水と特に親和性が高いようだから、厳しいと思うよ。」
サイトウは巨鳥の鞍の横に紐で結びつけられている皮地図を広げた。
「今の現在地はここ。徒歩で行けば入口の街まで4日の距離だけど、この子なら半日もあればたどり着ける。」
だが、夜の間の移動は避けなければいけないと彼は言った。
「なんでですか?」
レジーナが尋ねる。
「巨獣が出るからだ。巨獣は獰猛で肉食、人類なんかおやつにしか見ていない。」
特に、砂漠の巨獣には潜伏性のものが多く、上から見てもどこに潜んでいるのかわからないが、地中で振動を感じたらすぐに出てきて襲いかかってくる。
気温の高い日中は活動せず休眠しているものの、夜に活動を始めるようである。
「金色の毛並みの巨獣、ゲルト・マオルなんかは昼夜関係なく活動していて、しかもその身体は魔法を反射するんだよ。そんなのに会ったらひとたまりもないだろ?」
「おそろしいですね。」
レジーナは口をぱくぱくさせる。
巨大な鳥の顎を撫でるサイトウは微笑して、「今度からは気をつけなよ。」と言った。
レヴィアは伸びた横髪を手で巻いていじっていた。
「だからあたしは残れっていうの?」
「そうだね。できるなら残ってもらわないと困るかな。」
「ふーん。そう。」
「何で嫌そうな顔するのさ。」
「あんたはなんか嫌い。」
彼女は直球を浴びせる。
「別にいい人な気はしますけどね。あ、ふわふわ。」
レジーナはティアの喉の下をくすぐる。ティアはレジーナの肩に顔を擦り付け、喉を鳴らしていた。
「そう言ってくれるとありがたいよ。」
「それはわかってんだけどね。」
どうも釈然としない気持ちをレヴィアは押し込めた。
「ピエッ!」
「待って、ティア。」
突然首を伸ばして甲高い声でティアは鳴き、ぶるぶると羽を震わせる。
「おや、来たかな。」
突如として地平線の彼方に大量の黒い塊が現れる。
「魔獣?」
レジーナは気配を察知して、胸の前で手を組み、素性を探り始める。「たくさんいます。」
「珍しいね、お嬢さん、獣の声が聞こえるのか。」
「それはどうも。」レヴィアが口を挟んだ。
「レヴィア、君はなんか毎回つっかかるのをやめてくれないか。」
「気にくわないんだよ。単純に。あんたの態度とかさ。本人は気にしてるのわからない?」
「いいんです。」
レジーナがかぶりを振る。青いビーズの耳飾りが左右に揺れて彼女の首筋を打った。
「もう慣れましたから。」
ダルシムの負傷に続いてこの状況は好ましくない。
ゴムを引きずるような大音声が聞こえてくる。角笛の音が鳴り響き、ティアが興奮した様子で轡を鳴らした。
「だけど、運が悪いなあ。レジーナは魔獣を傷つけてしまうと精神的にダメージを受けるんだろ?」
「暴力的な手段とか攻撃魔法で止めるのは駄目ってことになるな。」
「逃げるのはダメですか?」
「逃げるにしてもこの数じゃあなあ。」
「眠らせりゃあいいじゃない。」
レヴィアは触覚を引っ張る。
「僕は催眠魔法は使えないよ。」
「あら。」
「言ったからには君は使えるんだろうな。」
そう言って白服はレヴィアをねめつけた。
「単に言ってみただけ。あたしの魔法は攻撃魔法以外ないんだけど。むしろあんたの方が使えないのが意外だわ。」
「そりゃあ、僕は白魔道士だからねえ。」
「そんなの人間の決めた区分じゃないの。」
「あの......来てるんですがそれは?」
彼らが言い争いをしている間に魔獣の群れは間近に迫っていた。
後ろを振り向いたサイトウは叫んだ。
「全力で耳を塞げ!」
レジーナは一瞬たじろぎ、わたわたして手を振ったが、そのあと首を垂れ、頭の後ろで手を組んだ。
「我が剣よ、我が前に立ち塞がる悪を討ち亡ぼす雷となれ、魔法剣、〈ボルトスプライト〉!」
サイトウが剣を抜くと、その剣先から眩い閃光が走る。夜の帳が覆っていた砂漠がその一瞬だけ昼を取り戻したかのように明るくなり、辺りは青白く照らされた。
そして、魔獣の群れの立てていた轟音は、しばらく彼らの呻き声に変わった。
「へえ。面白い使い方もあるんだね。」
レヴィアは口を縦に伸ばしてサイトウを見た。
「攻撃魔法をわざと外して感電だけさせたのか。」
「特質を理解していればそんなに使えないわけじゃあない。」
「ふうん。」
「終わりました?」
後頭部を腕で覆ったままレジーナはサイトウのほうを見る。
「まあ、なんとかね。」
その言葉に安心したレジーナは警戒を解こうとする。唸り声と何者かの気配を感じたサイトウは言葉を翻して、剣を構え直した。
「いや、まだだ。」
剣を左右に振りながらサイトウは獣の気配を探る。後ろを振り向いたレヴィアは、不意に目線をレジーナに向ける。
「銀色の毛並みが見えたような気がしたんだが。」
そこには狼のような身体をした獣がレジーナの後ろから牙を剥いて、今にも飛びかかろうと、後ろ足に力を込めていた。
「危ねえ!」
レヴィアの言葉にレジーナは驚き、レヴィアが魔法陣を広げる前に左手を大きく真横に振る。
その瞬間、レジーナの周りから山吹色の霧のようなものがボワッと出た。
その煙が魔獣の身体を包むと、先程まで敵意を向けていた筈の魔獣が腹を地面に伏せて平服する。
「えへへ、成功です。」
レジーナがはにかむ。
「砂漠オオカミうさぎさんを捕まえました。」
彼女は自慢気に鼻を膨らませ、盛大にアピールする。レヴィアはその様子に失笑した。
「これが調教〈テイム〉か。あたしは初めてみた。」
サイトウが口を挟む。
「僕が見たことのある一般的なやつとは違うみたいだけどね。まあ、使役者にも色々いるんだろうな。」
「で、この砂漠狼うさぎだっけ?こいつって食えるの?」
レヴィアが口に手を当てる。
「食べないであげてください。おいしいけどっ!」
砂漠の街ではスネ肉が名物料理になるほどであるとサイトウは言った。
「やめろ、食べてみたくなるじゃん。」
レヴィアが騒ぐと、砂漠狼うさぎはオヒェーと鳴いた。
「嫌がってますよ。」
「知らねえよ。」
痺れが解けた砂漠狼うさぎの群れは散り散りに逃げていった。レジーナは使役した個体をその方向に向けて放す。
「連れて行かねえんだな。」
「この子達も自然のままが一番ですから。」
身勝手な考え方をするわけではない。レヴィアは心の中で頷いた。
「なるほどな。」
「いいことだと思うねえ。」
砂漠狼うさぎの姿が見えなくなると、レジーナは膝を叩いて立ち上がり、輝煌石を2つ、行李から出して打ちつけた。
「とりあえず、魔獣もいなくなったのでこれで作業しましょう。」
どういう原理かはわからないが、この石は衝撃を受けると薄緑色に、道しるべ程度には使えるほどに淡く輝く。
「ひとつずつ、地面に置いてください。同じくらいの感覚で。」
「予備の蝋燭は?」
「どこかにあると思いますけど......ぐちゃぐちゃになっててどれがどの箱だか。」
彼女は溜息をついた。
「目印をつけておけば良かったです。」
「ほう。」
サイトウが木箱を荷台から下ろしながら言った。
何個か木箱を移動させていくと、蝋燭の入った箱が見つかった。
ほとんどが2度の横転により割れていたが、無事か、少し欠けているくらいのものが数本あった。その傍らに、吊るしてあったランプが転がっていた。
「火がついてなくて良かった。」
レジーナは胸を撫で下ろした。ぷにょんとなって胸元が再び持ち上がった。
青銅製のランプは、ガラスが多少ひび割れているが、なんとか全て枠の中に収まっている。レヴィアは天蓋を開けると、元々入っていた蝋燭を捨てて、新しいものを皿の上に挿して、熱魔法で火をつけた。