5 邪神様は回復するようです。
「どうしよう。」
倒れ臥す少女と腹から血を吐き続ける男の体を引きずり、並べたレジーナは頭を悩ませていた。
魔法を使うのにも体力と精神力が必要で、苦手な回復をかけ続けていたために、疲労が溜まっているレジーナは、上位の回復魔法を使うことができない。
巻物にも瀕死の重傷を治す方法は「すぐに医療院に行け」としか書かれていなかった。
「医療院なんてないよ。」
顔がみるみるうちに真っ青になっていくダルシムを見ながら、彼女はライブラを掛け続けた。
「ほとんど気休めみたいなものだけど......」
でも、ないよりはそれでいい。と彼女は思った。せめて精神力が持てばいいが、なければ共倒れだ。
レジーナは頭を前後左右に揺らす。
視界も鮮明と不鮮明の境界ができた。
オレンジ色の光は、それを見て焦燥を煽っているようにゆらゆらと妖しく光る。
彼女の目の前に膨らんだ角餅が現れた。
「そんなことしたら駄目じゃないか。」
レジーナの背に手が置かれた。気づいた彼女が振り返ると、そこには変わった風貌の男が立っていた。
「自分が倒れてしまうぞ。」
長身痩躯で、腰に細身の剣を持ち、羽織のような外套を纏っている白装束の男。怪しげな雰囲気を漂わせている。とはいえ顔色は良く、好青年という印象を受ける。
男は平行に並べられた人間を一瞥すると、
レジーナに向かって語りかけた。
「君の友達かい?」
「あなたは誰......?」
「君が名乗らないで僕の名前を聞くのかい?」
「いけなかったですか?私はレジーナです。」
「べつに。僕は、サイトウ。白魔道士だ。」
白いというよりは砂埃に汚れて薄く茶色がかった衣の端を持って彼はお辞儀をした。
「サイトウさん、助けてくれませんか?あなたが
「お代はあるのかい?」
「え?」
「お金が払えないなら、治してはあげられない。しかも、これはかなりの重症だ。僕でも難しいかもしれない。失敗する可能性もある。」
彼はその顔つきに反して淡々と言った。
「でも、それじゃあ......」
「ただ、一つだけ方法がある。」
男は含みのある顔でレジーナを見た。
「え?」
「君の身体を売ることさ。」
レジーナは固まった。
「1人につき1回でどうだろう?君にとっても悪い話ではないだろう?」
サイトウは微笑している。反応を見て面白がっているようにも見える顔をレジーナに向けた。
「無理です。それだけはできません。」
「そうか、じゃあやってあげられないな。」
レジーナが射殺さんとばかりの視線を男に投げると、男は両手を胸のあたりに上げて左右に振る。
「やだなあ、冗談だよ。」
そう言って彼は金属鋲の装飾のついた革紐にかけてある剣を抜き、橙色の円形魔法陣を複数同時に展開する。先程の盗賊とは比べ物にならないほど複雑な紋様を浮かべるそれから、安息の光が浮かぶ。
「救命救世、光明を示し給え。〈リザレクション〉。」
正真正銘の短縮詠唱。しかも蘇生、回復を同時に行わせるという超高等魔法を使いこなしている。
「複雑な念術体系をこの人は頭の中に完全に入れてるんだ......。」
レジーナは溜息をつく。それは安息と驚愕と、いくつかの複雑な感情から出たものであった。彼女は体力の消耗ですっかり熱っぽくなった顔を綻ばせた。
時間が戻ったように、ダルシムの顔色が少しずつ血色を帯びていく。
「もうそろそろ大丈夫かな。」
サイトウはそういうとかけていたオレンジ色の魔法陣を解き、また違った魔法を使い始めた。
「医治の神の加護を我等に。〈リジェネレーション〉」
しばらくすると、レヴィアの傷がかなり早く塞がった。傷跡の痕跡も見えなくなる。
「僕はそうはしなかったけどね、弱味につけこんでくる人間はたくさんいる。もし僕が暴漢だったら、君は殺されていた、いや、もっと酷い目に遭っていたかもしれない。」
レジーナは顔を歪めながら苛立った風にサイトウを見る。
「そのくらい、知ってますよ。」
「その上で断っていたのなら、勇気があるね。無謀だと言った方がいいかもしれないけど。」
レジーナは瞼を閉じてゆっくりと開き、大きく息を吐いてから、サイトウを見据えて語る。
「そうですね。でも、私は仲間達を放ってはおけません。もし約束に応じても守られる保証などないのですから。」
「なるほど、確かにそうだね。」
彼がそういうと、光を浴び続けていたダルシムが息を吹き返した。
「僕の〈リジェネレーション〉はしばらくかけておこう。そのうち縫合することなく傷も塞がるだろう。」
「ありがとうございます。何とお礼を言ったらいいか。」
レジーナは頭を下げる。
「お礼はいらないよ。偶々出くわしただけだし。あ、2回目からはしっかり現金とるからね。」
サイトウが角笛を吹くと、ゴムを引きずったような反響音が響きわたり、それを合図に背中に巨大なコブを持った鳥が走ってくるのが見えた。
「ティア!」
彼がそういうと鳥は鳴き、自らの翼を羽ばたかせながら後ろに引く車を止める。
「ウエー」
砂埃がたち、咳き込みながらレヴィアが起き上がった。
「ああ、よかったあ。」
昏倒していたレヴィアにレジーナは腕を回して抱きついた。
レヴィアはそれを微笑ましそうに見下ろす男を見て開口一番に「なんだよこいつ。」と言った。
サイトウは苦笑する。
「助けてもらっておいて何だこいつって言われるのは心外だよ。」
「サイトウさんです。凄い魔法使いなんですよ。レヴィアさんもちゃんと感謝してください。」
レジーナが手のひらを天に向け、中指の先でサイトウを指す。
「サイトウさんだよ。よろしく。」
指さされた男は衣の端を掴み、深々と頭を下げた。
その様子を改めて見たレジーナは同じようにお辞儀をした。
「ヴァンダル王国の方なんですね。」
「この礼を知っている人がいるとはね。ここら辺は僕の国とは遠く離れているから、知っている人はいないと思ってたよ。」
「私の故郷でしたので。」
レジーナは恭しく答える。恩人だからか口調がレヴィアの時よりも丁寧になっているように聞こえた。
「そうか。これも珍しいね。で、こっちの竜人のお嬢さんは?」
「あたしはレヴィア。この親切心の塊がレジーナ。」
「よろしくねえ。」
レヴィアは軽くお礼の言葉を述べたあと何も語らず砂山に登っていった。
サイトウはレジーナの顔を見ながら、
「なんかあの子、当たり冷たくない?」という。
「馴れ馴れしいのが苦手なんです。多分。」
レジーナは微笑んだ。
「でも、優しいと思います。」
「僕にもそうだと願いたいね。」
なじるサイトウを無視してレヴィアは黙って魔法陣を展開する。染み込んだ水と、周囲にあった遺体の持っていた水が集まり、水筒が水揚げされる魚のように落ちてくる。容器に入っているもの以外はすべてレヴィアの手のひらの上に吸収された。
「面倒くさ。」
一つ一つレヴィアは水筒を開け、水を地面にこぼしていく。
「面白い魔法を使うね。」
サイトウが水をこぼし続けるレヴィアの隣に立つ。長く伸びた影がレヴィアの身体の上に重なった。
「僕にも教えてくれないかい?その水魔法。」
「あんたはなんか嫌だ。」
「いうねえ。僕が人に嫌われやすいのは否定できないけど。」
サイトウは微笑する。
「でも素性を明かしてくれない君もなかなかアレじゃないかな。」
「あたしが嫌なやつって言いたいのか?」
レヴィアの問いをサイトウははぐらかす。
その自分だけが真実を見透かしているような目つきが、彼女の不信感を募らせていた。
「さあ、どうだろうね。」
魔獣の臓器でできた水筒を30本ほど開け尽くし、
水を十分染み込ませた砂からレヴィアは水をもう一度採取する。
取れた水が思いの外少なかったらしくレヴィアは頭を左右に振り、舌打ちをした。
「何度見ても不思議な魔法だよね。僕が聞いた中で君のような水魔法の使い方をする人はいない。君は何者なんだい?」
「なんだ、見てたのかよ。」
レヴィアは呆れた様子で振り向く。
「人が無様にやられているのを見ようとは、趣味が悪いな。」
「あいにく故郷では趣味は良いって言われる方でね。」
サイトウの語気が強くなる。それとともに彼は腰に手を置くそぶりを見せた。彼の手の少し右には剣の柄が顔を見せている。
「ともかく、初対面の相手を敵視するのは得策とは言いがたい。ここは仲良くしとこうじゃないか。」
レヴィアは人差し指をくるくる回して言った。
「目の前に突然現れて恩人って顔してるけど何を考えてるのか。」
「別に深い意味はない。まあ、旅先で面白いものが見れたってだけさ。ともかく、悪い子じゃないことを祈るよ。」
サイトウは軽く会釈してレヴィアに背を向けた。意味深に羽織っているマントがレヴィアの鼻先を掠めると、彼はその場から姿を消した。