3 邪神様はお疲れのようです
「いてて...。」
ダルシムが引っ掻き回すような音の方向を見ると、騎獣は何度もばたばたと足を動かし、金具を無理矢理こじ開けて今にも逃げ出そうとしていた。
「おい、ちょっと待て!」
ダルシムが怒鳴る。
その声で異変に気付いたレジーナは、必死に語りかけようとする。しかし。
「ああっ、そんな!」
金具が外れて自由の身になった獣は、半狂乱で嘶きながら跳びまわって、三周ほど同じ場所をぐるぐると回りながら辺りの様子を伺い、首を2、3度振ってこちらを一瞥した後で、逃げさっていった。
「臆病なやつだったんだろう。仕方ない。」
「そうですね...」
逃げたとしても、飼いならされた彼らがこの砂漠で生きていけはしないだろう。
レジーナは顔を袖でこすった。
レヴィアとゾンビのような盗賊が戦っているのを目撃したダルシムは、この状況に焦っていた。
「確かあの辺に鉈があったはずなんだが、早く治療してくれないか。」
「とは言われても回復魔法は専門外なんですよっ。私。緊急呪文集ないと無理ですって!」
レジーナは荷物の中に紛れ込んだ緊急用の呪文集を引っ張り出して広げた。巻き付けてあった芯が転がり、砂の中に落ちた。
「えーと、ニヒレガじゃなくて、メタティアじゃなくて、ああ、なんで回復魔法が一番先に載ってないんですか!」
「この書簡じゃないんだよ。緊急呪文集1だ。1。」
ダルシムが苛立ち、乱雑に木箱を漁ろうとする。そうして木箱に手をかけようとしたとき、うめき声をあげて手を引っ込めた。
「無理しないで。わたしの魔法は未熟なんで、複雑骨折なんかされたら治らなくなりますよ。」
「うるさい、今は一刻も惜しいんだよ。」
周囲から異臭がしている。煙の中に、やや香ばしく、されど錆びた金属のような鼻をつく匂い。ダルシムはこの匂いの正体を知っている。火薬である。
魔法が主体のこの世界に、火薬兵器を使うという概念が存在するとは考えられない。
よっぽどの天才か、もしくは。
殆どの人間が見たこともない技術を用いる盗賊。最悪の想像がダルシムの頭をよぎる。
「チートかよ、くそっ!」
転世者は、前の世界の知識を引き継いでその当時の年齢で現れる。
かつて犯罪に関わっていた近代世界の住人がこちらに渡っていたとしたら、しっくりくる。
「ありました。」
少女は巻物の栓を外し、砂まみれになった書簡を取り出す。
「ライブラです。」
「頼む。」
「戦い傷つき力失いし常況にある者よ。己が使命を心にとめよ。我が名はレジーナ。その祈りを聞こし召し、治癒と平穏の神の名の下にこの者を癒やし給え。ライブラ。」
橙色の光が展開する。複雑な魔法であっても、ある程度のレベルのものなら魔法書とそこに書かれた呪文を使うことで、誰でも詠唱することができる。ただし、魔法書は道具であるため、使用回数が限られている。一定回数使用すると、消耗して使えなくなってしまうのだ。
夕日の光が幌の外で打ち合う二つの影を映し出す。レヴィアが距離を取り、猫背のほうが詰める。2、3度手拳が交錯すると、猫背が腰から振りかぶる。
そのまま2、3度斬りかかる猫背。
小さな身体が飛んだ。
「仕方ない。逃げるしかねえ。」
ダルシムの声にレジーナは激昂する。
「何を言ってるんですか?」
「手負いの俺があいつらに勝つのは無理だ。
火薬を持ってる。威力は爆裂魔法と同じだ。わかるか?このまま行っても野垂れ死ぬだけだ。」
「見殺しにするなら、私はあなたとはいきません。ここに残ります。」
「馬鹿言ってんじゃねえ!荷物なんかどうとでもなる。あいつは......出会ったばっかりだ。愛着もねえ。赤の他人だ。」
「さっきなったばかりとはいえ仲間ですよ?助けてください。」
「無理だ。断る。」
「いざとなったら見殺しにするんですか?」
ダルシムはさも当然のように頷く。
それを見たレジーナは耳を真っ赤にして膨れる。
「あいつがふっかけたんだろう。俺たちがあいつといるよりも、あいつの側を離れている方が安全だ。」
レヴィアは自分についての質問を全てはぐらかした。そしてダルシムらを値踏みするような視線も見せていた。
素性のよくわからない人間と一緒にいて安心できることはない。むしろこういった場所では完全に信用できる相手とだけ移動するのが良いのだ。
だがレジーナはそうしなかった。
だから苦境を迎えることになってしまったのかもしれない。レジーナを止めなかったことにダルシムは責任を感じていた。
「俺は、お前のために......。」
この場合はあくまでも生き残る可能性が高いほうを取るべきだとダルシムは再三忠告した。
レジーナもそのことはわかっていた。それでも、ダルシムのその姿勢に納得がいかなかった。
「それは私を責めるのと同じですよね。じゃあ責任をとって私が残ります。ダルシムさんは勝手に長生きしてください、さようなら!」
むくれたレジーナはダルシムの右の頬を思い切りひっぱたくと、荷台から身を乗り出して飛び降りようとする。
「待て、勝手に行くんじゃない。」
「行きますよ。ダルシムさんとはもう無関係ですから。」
ダルシムは眉に皺を刻み、深く息を吐いた。
「わかった。仕方ない。俺が加勢する。だが無理するな。襲われそうになったらすぐに逃げろ。いいな!」
それは偶然だったが、ダルシムの言葉を合図に、爆弾矢が着弾した。轟音とともに砂が崩れた。
荷台は砂山の上から滑り落ち、二人は柱に掴まった。粒子が舞い、黄土色に染まる視界の中を起き上がる。
中の荷物は幌の隙間から落ちて削られた斜面に散乱した。
二人は何度か砂の濁流に飲み込まれそうになりながらも、持ち堪えた。
レジーナはダルシムの手を取り起き上がる。
「行きましょう。」
「そうだな。」
ダルシムは積み荷の中に突き刺さっていた鉈を取り出して腰の革紐にねじ込んだ。
砂山の中腹あたりで、魔獣の嘶きが聞こえた。それがレジーナの歩みを止める。耳を抑えてその場にうずくまり、動こうとしない。
「どうした、何かあったのか?」
「強烈な悲鳴が聞こえました。痛い、苦しいって。魔獣達が大怪我をしています。」
レジーナの握ったダルシムの手に力がこもった。
震えている。
「辛いなら、ここで待ってろ。すぐに戻る。」
「いえ、行きます。彼女がどんな酷い目にあっているかわかりませんから。」
「あれ?」
二人は聞いたことのない破裂音を聞いた。
それは殺戮の号砲にしては非常に単純で、無機質で、悪意をはらんでいるようには見えないものだった。しかしそれは明確に彼女の前に絶望を突きつけた。
細身の人型が砂山の上から何かを投げる。
それは何度か跳ね返りながら坂を転がり落ち足元に転がってきた。
糊のようにべったりと血がついており、衣服全体に砂とともに髪が巻きついている。珍しい意匠の服は穴が空き、自前の染料で赤く染まっていた。
「レヴィアさん!!!!」
駆け寄りその全身を揺するレジーナ。
「すまねえ......ドジっちまった。」
一言一言に2秒ほどの間が開く。
息も絶えそうな様子だった。
その頭上に狂刃。
「させるか!」
ダルシムが鉈を振るう。肩ごしに振るった剣は鋭く、シャツの襟元に切り跡を残した。
「ほう、私の動きに追いつきますか。」
シャツが笑みを浮かべる。ダルシムの猛撃を、鉄の武器を当てつつ逸らし、受け止め、払い退け、確実に捌いていった。
「てめえなんぞにレジーナをやらせてたまるか。」
「まあ、無駄ですけどね。」
シャツは身体を引き、体勢を立て直す。黒い武器の先をレジーナに向けた。
目に動揺を映すレジーナ。
遊具のような音がした。
「レジーナ!」
ダルシムが一瞬目を逸らした隙をシャツは逃さなかった。
真半身からの強烈な刺突。
ダルシムは鼠径部に熱を感じた。見返すと、ナイフを握ったシャツの手が腹の深くに刺さっている。
「空砲ですよ。」
「な......。」
身体を起こそうとするダルシム。だが、力が入らない。内部から切り上げられたのだ。
「元からそっちが仕掛けた喧嘩でしょう。」
「るっせえよ。」
シャツはナイフの刃にたっぷりとついた血と脂を、ポケットから取り出した布で拭き取った。
「この方はあなたの大切な方のようですね。」
「お前...何を!!」
ダルシムは前の方に進もうとして、倒れこむ。砂利が身体につき、芋虫が這っているように身悶えながら背中をそらした。
「無様ですね。何も守れない。大切な者も。
昔の私のようです。虫酸が走りますよ。」
ダルシムはかぶりを振った。
「違う!俺はお前とは......。」
「それでは、見るのも耐えがたいので、このお嬢さんを、さっさと殺してあげましょう。」
シャツは顔を歪め、首を45度傾ける。
声にならない叫びを上げるレジーナの首を絞め、ナイフを首に突きつけた。首から血が滴り、一筋の線となって残り彼女の服を濡らした。
身動きができないダルシムの呪言を受けながらも舞台の上に乗ったショーマンの如く彼はにこやかな顔を崩さない。
「いきますよ。3、2、1......。」
「ゼロだ。」
疾る水刃。
そこに水を差したのは、致命傷を負ったはずのレヴィアであった。
「あんたはあたしが倒してやるよ......。」
レヴィアの服はココナッツオイルのにおいがします。