私の愛する吸血鬼様
血が……。血が足りない。
猛烈な喉の渇きにより、私はもう気が狂いそうだった。
渇きだけではない。皮膚が痛い。顔が、腕が、体中がジリジリと焼け焦げているような感覚だ。
現に痛む腕を見ると、所々がまるで炭のように黒く、触れれば崩れてしまいそうだった。
どちらにせよ、まずは血だ。この飢餓にも似た衝動を抑えるには今しかない。
人間。否、餌。
夕日が沈み、うす暗い夜道に一人の男がトボトボと歩いているではないか。
好機。まるで誰かが、傷付いた私を労って用意したご馳走なのではないかと、勘違いしそうなまである。
許せ、男よ。
世は弱肉強食。弱い者は淘汰され、強い者が我が物顔で蔓延るこの世の中だ。私は身をもってそれを知っている。
だからお前を捕らえ私の寝床に持ち帰った後、己の渇きを嫌というほど潤すため、その体から一滴の糧も残さず搾り取ってやろう。それがせめてもの情けだ。
私はすぐさま男に飛びつく。男は突然の出来事に足がもつれ、そのまま仰向けに倒れてしまう。私は男を押さえつけ、血走った眼で言う。
「すまない。私の餌になってもらう」
男は困惑の表情を浮かべた。しかし、男は抵抗もせずどこか諦めたような顔になり、ぽつりと呟いた。
「ボクは、殺されるのだろうか」
この男は、何故こんなにも冷たい目で私に問いかけるのだろう。よく見ると、男は白髪交じりの五十くらいの風貌で、何とも言えないつまらない顔だった。
「そうだ、お前は私のために死ぬのだ」
そう答えると、男は私の目など通り越し遠くを見つめ、どこか納得した表情になる。
「そうか。それも、良いのかもしれないなぁ」
私は理解出来なかった。人間とはここまで生に無関心になるものなのだろうか。少なくとも、今まで出会ってきた人間はそんなことなかった。
誰しも藻掻き、足掻き、時には敵に反撃しようと抵抗する。この男からは一切のそれを感じない。
「恐くないのか?」
この一瞬だけ、飢えよりも男への好奇心が勝った。
「このまま生きていくだけの方が、うんと恐いさ」
何故かその言葉に共感を覚える。そうか、この男と私は似ているのだ。
世は平等を謳うものの、平然と不条理が纏わりつく。それを男は知っており、私も知っていた。
面白い。何故かこの男を殺すことが惜しいと思った。だが折角の食糧をみすみす逃す訳にはいかない。とりあえず、少し喉を潤してから考えても遅くはないだろう。
私は男を担ぎ、夜闇へと消え入った。