待ちぼうけと不穏な夕日
◇
自転車に乗った生徒たちが、家路を急いてゆく。
山の稜線に迫ってゆく夕日が、自転車のタイヤの影を長く伸ばしている。
「さよならー」
「またねー」
部活帰りの生徒たちや、友達同士が挨拶を交わしながら次々に帰る様子を横目に、僕も校門へと急いでいた。
振り返って校舎を見上げると、トンガリ屋根の時計塔も大時計も夕陽で赤く染まっている。
時間はちょうど4時半を指していた。
夏野ユリとは校門前で待ち合わせだ。けれど、そんなに調べることもあるわけじゃないし、もしかしたら先に来て待っているかもしれない。
さっき職員室に図書室の鍵を返しにいった時、すでにユリの姿はなかった。
ということは、とっくに校門前でまっているかもしれない。「遅い!」なんて言われるのはシャクだけど図書委員の仕事があったのだから仕方ない。
校門へ近づいて周囲を見回してみたけれど、人影はなかった。
左右には門番のような大きな桜の木がある。4月には見事な花を咲かせていたけれど、今は若葉に彩られている。
ちょうど同じクラスの運動部の高橋くんが通りかかり、「じゃーなー」と適当に声をかけられる。僕は手を振って返事を返した後は、なんとなく桜の木の陰に身を隠した。
「早く来いよもう……」
見上げると大きな桜の木が枝葉を広げている。
校舎の周りに目を転じると、開けた田園風景が広がっている。水田にはすでに水が引かれ、夕映えの山並みを逆さに映し込んでいた。
田植えは終わったばかりで、植えつけられた苗は弱々しく申し訳なさそうに水面から顔を出している。
湿った土、田んぼの匂いがする。
もういちどトンガリ屋根の時計塔を振り返る。時刻は4時35分。
約束の時刻は過ぎているのに、来ていない。
なんだか遅い。
夕日はますます赤みを帯び始めて、低い山並みに向かって太陽が落ちてゆく。
風も心なしか冷たくなってきた。
僕とユリの家は、水田の中を貫く道を1キロぐらい進んだ先にある。昔からある農家の大きなお屋敷を何軒か過ぎた向こう側に、整地された新しい家の建ち並ぶ住宅街がある。
今日は待ち合わせみたいになったけれど、同じ方向なので、たまたま一緒になることもある。
目を凝らすと家路につく生徒たちが見える。僕と同じ中学校の制服姿で歩いてる生徒や、自転車に乗ったジャージ姿の運動部員が何人か。
もしかして先に帰ったのだろうか?
ユリは気まぐれなところがあるし、ありえなくもない。
陸上部のみんなと、顧問の先生のところに行くと言っていたけれど、特に目新しい情報もなく、飽きて帰ったとか? 翌日に学校で聞くと「そうだっけ?」なんてケロッとしていそうな気もする。
……なんだかバカバカしくなってきた。
そもそも屋上の時間がズレているかもしれないのは面白いけれど、僕らにはこれ以上どうしようもない気がするし。
「帰ろうかな」
でも、もう少し待とう。
夕闇の迫る暗い道を一人で帰るのもなんとなく嫌だし。べ、べつにユリが心配だとかじゃなくてだけどね。
けれど、徐々にオレンジ色を濃くした血の色みたいな西の空を眺めていると、なんだか妙な胸騒ぎがした。
まさかとは思うけれど、また屋上に一人で調べにいった……なんてことはないだろうか。
振り返った校舎は、青黒い東側の空に徐々に呑み込まれようとしていた。
「……ユリ」
気が付くと僕は再び校舎のほうへと向かっていた。
さっきまで大勢歩いていた生徒たちはもうほとんど居ない。グラウンドの片付けを終えた野球部が、帰り支度をしている。
玄関で上履きに履き替えながら考える。
3階まで駆け上るべきか。それよりも前に、職員室にいって夏野ユリが来ませんでしたか? と担任に聞くべきだろうか。
けれど何をしているんだ? と聞かれたら答えようがない。
忘れ物をした……。というのも苦しい。
屋上に行ったかもしれない、というのは立入禁止だし、怒られるかもしれない。
「あぁ、もう……!」
暗い校舎の廊下に駆け込む。左右を見ると人影はない。
廊下の突き当りで蛍光灯の明かりが灯っているけれど、そこは職員室だ。もしかしてユリがまだ先生と話しているかも知れない。
足音を立てないように進んで、そっと窓から覗き込む。
先生たちは半分ぐらい残っているけれど、生徒の姿は見当たらない。
――やっぱりいない。
ユリは何処に行ったのだろう。
すれ違った可能性も考えたけれど、玄関から校門まで脇道はない。最初に立ち戻って考えれば先に帰ったかもしれない。
となれば、屋上に行っていない事だけを確かめればいい。
僕は職員室から忍び足で離れると、階段を上階に向かって上りはじめた。
廊下は暗く、緑色の非常灯だけが灯っている。
誰とも合わない事を確認しながら、二階の廊下の様子も伺うけれど人の気配はない。更に三階を過ぎていよいよ屋上へ向かう階段へと足を踏み入れる。
その時、ふっ……と風が頬を撫でた。
――扉が開いている!?
思わず足を早めて駆け上がる。
踊り場を曲がり、目に飛び込んできたのはドアの形に切り取られた、赤黒い夕焼け空だった。
「ユリ!」
<つづく>