またあした、図書室で
充希さんの読んでいる小説にがぜん興味がわいた。
色あせた表紙には『夏への扉』とある。古典的なSF小説との謳い文句だけど、「扉のどれかが夏に通じている」という一節がとても気になった。
「なんだか面白そうな設定だね」
「ですよねっ!? 探しているのがネコってところがまた良くて」
図書室なので小声で、けれど瞳をキラキラさせて力説する充希さん。
ネコが好きという彼女にとって、気に入ったポイントはそこなのだろう。
「ネコが主人公なの?」
「いえ。えぇと……。読んでいくと、本筋にはあまり絡んでこないのです」
充希さんはちょっと寂しそうにつぶやいた。
「あれ? ネコが活躍するお話じゃないんだ」
「えぇ。冷凍保存された主人公が、過去に戻って復讐するお話しみたいで……。ネコはちょっとしたヒントというか、絡んでくるだけみたいな、そんな感じです」
「ふーん」
彼女も読んでいて、ちょっと肩透かしと言うか首をかしげる展開があるようだ。昔の作品なので、ご都合主義だったり、思っていたのと違う部分があったりするのだろう。
けれど、なんだか妙な感覚に囚われていた。
このタイミングで「別の世界への扉」というキーワードと巡り合ったことが、とても不思議な感じがしたからだ。
まるで「屋上の扉」の秘密を抱えてしまった僕を、暗示しているかのように思えた。
もちろん、冷凍保存されているわけじゃないし、過去に復讐したい相手が居るわけでもないのだけれど。
単に奇妙な偶然の一致なのかもしれない。
ぼんやりと考えていると、充希さんのヘアピンの先に目がとまる。
前髪をおでこの横で留めているのは、小さくて黒いヘアピンだ。その端には目立たないほどに小さいネコの顔があった。耳がピンと二つ、小指の先よりも小さいそれは黒猫の顔をあしらったものだろう。
普通なら気が付かないほどの控えめさは、彼女らしい。校則では色付きのヘアピンや飾りは禁止されているけれど、これくらいなら何も言われないだろう。きっと好きなものを身につけたいというささやかな抵抗、精一杯のおしゃれなのだろう。
「ネコ、すきなんだね」
「あっ……えへへ。バレました?」
僕の視線に気がついたのか、おでこの横のピンに指を添えて恥ずかしそうに微笑む。
「小さいから気が付かなかったけど、今きがついた」
「可愛いので一緒にいたくて。家では飼えないんですけどね」
「実際に生き物を飼うと大変だよ……。お婆ちゃんの家でネコ飼ってたけど、気まぐれで抱かせてくれないし、ネコパンチしてくるし」
「えー、そうですかー? そういう感じも可愛いなぁ」
「そんなに良い思い出がないけどね。自由気ままで、気に入らないと居なくなるし」
両手のひらで頬を押さえ、ほにゃっと幸せそうな顔をする充希さん。ネコの話を聞いているだけで楽しいなら良いじゃないかと思うけど。
「でも、せんぱいってネコに似てますよね」
「僕が? えっ? ……どのへんが?」
思わず戸惑いながら変な笑顔をつくって、自分を指差す。
ネコに似てるなんて、そんなこと初めて言われたかも。
顔はこれといって特徴はないと思う。
以前ユリに「ほとんど無害」と評されたことのある顔が、僕の個性。
自分の性格だって、どちらかといえば犬だとおもうんだけどな。
忠実な犬。「ほーら、取ってきなさい!」と円盤を投げられれば、喜んで取りに行くそんな感じ。
けれどワンワン! と元気に走っていって、その先で泥水に落ちる。キャハハと笑う飼い主の顔は夏野ユリだった。
いやいやいや!? なんで忠実な駄犬なんだよ。
ぶるぶる……と頭から変な妄想を追い出そうと首を振る。
「静かに歩くところとか、急に居なくなるところとか」
「あっ……そゆこと」
妙に納得する。
図書委員に向いているのは、気配を消す歩き方が身についているからか。急に居なくなるのは、今日のことを皮肉っているに違いない。
「せんぱいの似顔絵にヒゲと耳を描いたらネコになります」
「それ大抵ネコになるでしょ」
「ネコせんぱい」
「もう」
くすくすと小さく押し殺したように笑う。
と、ここで隣のクラスの女子が本を2冊抱えてカウンターに近づいてきたので、サッと姿勢を正す僕。
充希さんもすまし顔に戻って、受付カードの準備をする。
思い返してみると、図書委員の後輩とこんなに話をしたのは初めてかもしれない。
本を借り終えた女子生徒は、僕には目もくれずに図書室を出ていった。気配を消していたわけじゃないのに。
気が付くと、4時20分を過ぎていた。そろそろ図書室の閉める時間だ。残っていた生徒たちも、次々と本を借りる手続きをして帰ってゆく。
僕は最後の一人が出ていったところで、カーテンを閉めて戸締まりをする。
後は電気を消して鍵をかけて帰るだけ。鍵は先輩である僕が職員室に返すきまりだ。
後輩と二人で図書室から廊下に出て、カギを締める。
「よしっと、僕が後は返しておくから」
「はい、おねがいします」
「おつかれさまー」
充希さんとはここでお別れだ。
オレンジ色に染まった充希さんに小さく手を振る。同じ色の空が廊下の窓のむこうに広がっている。
ちぎれ雲が灰色と黄色に染まり、今日の終わりを告げている。
「でも、本当に『扉』があったら教えてくださいね」
カリカリ、と扉をひっかく真似をする彼女に、思わずドキリとする。
「……う、うん」
どうも妙に符丁が合うのは偶然だろうか。
彼女が読んでいたSF小説に登場するのは、時間を飛び越える扉。
ネコはその扉が「ある」ということを知っているかのように行動する。
それなら僕は、まるで扉を探すネコだ。
鍵も扉も僕は知っているのだから。
充希さんは、もしかして……何か勘付いている?
――まさかね。
「あ、でもでも、私は過去にも未来にも行きたくないです。今がいいです」
「今?」
「楽しいですし、図書委員」
「そうなんだ」
「はい」
笑いながらペコリと頭を下げる。短い髪がふわりと揺れた。
とはいえ、確信が持てない今は、誰かに話すべきじゃない。
もう少し客観的な事実の裏付けがほしい。それがハッキリすれば……。
でも、話してどうするのか?
冗談にしたって、唐突すぎて変に思われるだろうし。
きっと今ごろユリは探偵ごっこを終えて、校門へむかっている途中だろう。僕も、いかなきゃならない。
ぼんやりと立ち尽くしていると、いつの間にか後輩の小さな姿が廊下の向こうに遠ざかっていた。
「せんぱい」
不意に振り返り、小さく手を振ってくる。
「……お?」
「またあした、図書室で」
「うん」
◇
<つづく>