図書館の後輩とネコ小説
「時間が10分ちがう世界が、屋上にあるっ!」
夏野ユリは屋上を指さして宣言する。
宝物のありかをみつけた、みたいな表情で。
証拠は無いけれど、ユリと二人でみた光景が本当なら大変なことだ。
屋上の扉が、別の世界へ繋がる入り口になっているのだから。
よくわからないけれど、そんなマンガみたいな「夢みたいな事」が本当に起こったのだから。
もしかしたら世紀の大発見かもしれない。
発見したのは僕ら、中学生二人。
マスコミがいっぱい来て、インタビューをされちゃうかもしれない。
テレビにも映ったりするのかな。
でも、そのうちに偉い科学者が来て調査を開始するだろう。警察や自衛隊がきて辺り一帯を封鎖。よくわからないけど防護服を着た米軍の特殊部隊や、秘密研究機関がやってくるかもしれない。
だんだんと大騒ぎになって、友達や学校、お母さんやお父さんにも迷惑をかけるかもしれない。
「……ヤバイよね」
あれこれ考えていると、事の重大さにちょっと怖くなってきた。
「でしょ、ヤバイわよね!」
きゃっ! と嬉しそうに跳ねるユリとは別の意味で「ヤバイ」と思いはじめていた。
「ヤバすぎて、なんだか怖い気がするんだけど」
僕は今の気持ちを正直にうちあけた。
ユリは家に帰るなりSNSで広めたり、テレビ局に電話でもしたりしかねない勢いに思えたからだ。ここらでブレーキをかけなきゃって思った。
「は? 怖い? なにが?」
「いろいろと。もうすこし慎重に調べようよ」
するとケチをつけられたと思ったのか、ユリは少しムッとした表情になる。
「……ハルトは昔からそうね、怖がりで慎重で」
「ユリが怖いもの知らずなんだよ」
「なによ、ノリが悪いわね」
「ノリで何度か酷い目にあってる僕の身にもなってよ」
「そうだったかしら?」
「そうだよ!」
子供の頃からユリの言う「面白そうなこと」に振り回されては、いろいろと酷い目にあってきたのだ。
経験値……いや、くぐってきた修羅場の数が違う。数々の酷い思い出たちが、今もけたたましく警報を発している。
「青いザリガニがいるわ!」
興奮するユリにそそのかされ、田んぼの用水路で頭から転び、泥だらけになった小3の夏。
「スケートができるかも!」
公園の池に張った氷に乗った途端、割れて膝下まで水没した小4の冬。
「はちみつが採れるんだよ!」
神社の御神木にあった天然のミツバチの巣。それにちょっかいを出し、ハチの大群に追いかけられた小5の春――。
すべて言い出しっぺのユリは、離れた場所から指示を出していただけだ。
僕は「そうかなぁ……?」と疑問に思いつつも、無邪気だった僕はなんだか楽しくて、言われたままに行動した。その結果、ひどい目にあってきたわけだ。
今回はそうはいかない。
中二にもなって、同じ過ちを繰り返してなるものか。
「もう少し落ち着いて」
「……わかったわ」
「ユリ?」
いつの間にかしゃがんでいたユリが、ランシューの靴紐をギュッと結ぶ。校庭のほうに視線を向けたまま、膝小僧をスカートから出して左右の靴紐を結び終えると立ち上がった。
「私一人で調べてくる。帰りは4時半。ここに集合でいい?」
「い、いいけど……って、ちょっ!?」
軽やかに足踏みをはじめるユリ。
「ハルトは図書委員の仕事があるんでしょ、ちゃっちゃと片付けて来なさいよね!」
「待って、一人で行くつもり」
まさか、屋上に?
「陸上部のみんなと、顧問の先生のとこ!」
「あっ」
と、いう間にユリは目の前からダッシュで走り去った。
風のような速さで駆けてゆく後ろ姿を見送る。すると、校庭の端に転がってきたサッカーボールを、バシッと蹴り返した。
ナイスー! と部員から声が飛ぶ。
「ま……いいか」
陸上部が本当に練習をしていないのか、確かめるつもりなのだろう。
先生にも部活の事を確認したいだろうし。
それと「屋上の鍵」について、あわよくば先生から情報を聞き出すつもりなのかもしれない。
いずれにしてもここから4時半までは別行動。
けれど帰りは、報告も兼ねて一緒に帰ることになりそうだ。
どうせ家が同じ方向なのは皆が知っていることだし、クラスメイトに見られても「屋上の秘密」について話しているなんて思いもしないだろう。
トンガリ屋根の大時計を見ると、時刻は3時50分。
まだ30分以上も時間がある。
と、ようやく後輩に図書室を任せきりだったことを思い出した。
「やば……」
僕は図書室へ足早に向かうことにした。
◇
「せんぱい、遅いです」
三階の北側にある図書室へ入るなり、受付カウンターから充希さんが小声で抗議してきた。
ぷく、と頬をすこし膨らませているようにも見える。
「ごめんごめん。ちょっと話し込んじゃってさ……」
てへへ、と腰を少し曲げながら図書室の扉をくぐる。
室内は外とは別世界のように静まり返っている。ほのかな古書の匂い。けれど先ほどとは違い、数人の利用者が書棚の間で本を探している。
すぐ戻ると言って飛び出したきり、30分以上もほったらかした事になる。
後輩の充希さん一人では大変だったことだろう。
「もう4時ですね」
手元の文庫本に視線を向けたまま、感情を抑制した声だった。
古い文庫本を開いて読んでいる。
ちょっと怒っているみたい。
真面目な彼女にとってサボリに等しい僕の行動は、許しがたいことだったのだろう。
「そうだね……忙しかった?」
受付カウンター越しにおそるおそる尋ねる。
「せんぱいのおかげで、ワンオペでしたから」
「……ごめん」
「図書室はブラック部活か」
「それ、おもしろい」
「そうですか?」
普段はあまり喋らない充希さん。けれど、話しはじめると言葉のチョイスが面白い。
「何か手伝うことある?」
「返却された本、もとに戻してくれますか?」
「うん」
「おねがいします」
小柄な後輩は、おでこを出したショートボブの前髪を、指先で整える。
けれど憮然とした感じだった声色は、「おねがいします」のあたりで、いつもどおりの調子にもどっていた気がした。
「まかせて」
充希さんの横には、買い物かごと同じ形の黒い樹脂製のバスケットがあった。
その中には本が10冊ほど積まれている。放課後、図書室を開けてから返却された本だ。
これを書棚に戻せばいい。
本のジャンルごとに管理番号のシールが貼ってある。けれど慣れれば、だいたい置いてある位置はわかる。
ハードカバーの小説に、図鑑と古い詩集。それに参考書。書棚の間を歩きながら、手際よく本を戻してゆく。
ひととおり戻し終わったところで、受付カウンターへと戻る。
「おわった」
「ごくろうさまです」
充希さんはこちらには目もくれず、古びた文庫本のページをめくる。
「なに読んでるの?」
ちょっと気になったので聞いてみた。
本好きとしては、尋ねられると答えたくなるもの。
「『夏への扉』です」
「何か青春小説っぽいタイトルだね」
爽やかな青春小説っぽい。けれど予想に反して彼女は首をふる。
「ちがいますよ」
抑揚の無い声だけど、明らかに食いついてきた。
ぐいっと身を乗り出して、小さな顔をこっちに向けて本の表紙をみせる。
「あ、ハヤカワ文庫?」
本好きなら知らない者はいない。SF小説の老舗出版社だ。
「はい。古典SFです。猫ちゃんが冬になると家のあちこちの扉を、開けてくれーって頼むんです」
なんだそりゃ。
「ねこが?」
「ねこ小説です。ネコすきですから」
ネコ小説なのか、SFなのかよくわからない。けれど充希さんはめずらしく瞳を輝かせた。
「どのへんがポイントなの?」
「それはですね、ネコのピートちゃんは、家の扉のどれかが、夏に通じているっ! て信じているところですね」
「扉が……夏に通じている」
とくん、と心臓が跳ねた。ついさっき体験したばかりの、あの不可思議な事を連想してしまう。
「扉は時間を跳躍して、季節の違う世界へ行くための通り道……って信じてるんです。ネコかわいい」
「違う世界への……扉」
「はい」
充希さんは静かにうなずいた。
「それって」
「どうかしました? せんぱい」
喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
気がつくと、図書室に射し込む光はオレンジ色を帯びていた。
そのせいだろうか。いつになく饒舌な後輩の瞳の奥で、何か光が小さく瞬いた気がした。
<つづく>
★出典『夏への扉』(1956)
アメリカのSF作家、ロバート・A・ハインライン作のSF小説。
ネコの小説ではありませんw