検証、トンガリ屋根の大時計
◇
階段を軽やかに駆け下りるユリの後ろを追う。
本当は図書室に戻らなきゃいけないけれど、確かめるなら今のうちだ。
――屋上から見えた陸上部のこと。それに「トンガリ屋根の大時計」の時間が10分近く遅れていたこと。
「何処へ行くのさ?」
「教室!」
短く答えて、二階の踊り場に到達するなり鋭くターン。きゅっと靴底を鳴らし、髪をなびかせながら視界から消えた。壁に貼り付けられた『廊下は走るな』の紙が、めくれあがる。
少し遅れて、僕も2年A組の教室のドアをくぐった。
柔らかい西日が差し込む放課後の教室には、まだ数人が残っていた。席をくっつけて二人で宿題をしていたり、3人ほどで集まって楽しそうにおしゃべりをしたりしていた。
駆け込んできた僕を見て、何故か「ユリちゃんならあっち」と笑顔で指差すクラスメイトの清水さん。別にユリを探しているわけじゃないけど……。でも、あながち間違ってもいない。
「ちがうって」
「いいからいいから、気にしないで」
「もう」
照れ隠しに、まずは黒板の上にある丸い壁掛け時計を確かめる。
時刻は、3時43分を指していた。
「元の時間だ……?」
おそらく屋上からこの教室まで、走ってきたので2分ぐらいしか経っていない。
屋上に足を踏み入れたのは3時30分を過ぎていたはず。おそらく、実際に入ったのは鍵を取り出した後だから、3時33分頃だったろう。
屋上にユリと居た時間は5分か……7分、そのぐらいだ。
そして「トンガリ屋根の大時計」の遅れた時間を見て怖くなって逃げ帰り、走ってこの教室まで戻ってきた。その時間、さらに2分を足し算すると、ほぼ辻褄が合っている。
つまり経過した時間は、10分ほど。
となると、屋上の「トンガリ屋根の大時計」の指し示した時間だけが、「10分ほど遅れている」という可能性がでてくる。
ユリは……? と探すまでもなく、先程清水さんが指し示した窓のところにいた。
教室の窓から身を乗り出して、さっそく南側の校庭を眺めているようだ。
「何か見える?」
「陸上部がいない、部活なんてしてないわ!」
近づくと振り返りもせず、興奮気味の弾んだ声が返ってきた。
「えっ? ……うそ」
僕も開け放たれていた隣の窓から、身を乗り出して校庭を見下ろす。
するとグラウンドで練習をしているのはサッカー部員だけだった。どこにもジャージ姿の陸上部員は見当たらない。
屋上からも見えていた、ハードル競技の練習場所は教室からも見える。けれど視線を動かして探しても、部員の姿なんて無いのだ。
「矛盾してるよ。さっき屋上で見たことと、ここで見えていることが」
「ヤバくない?」
「ヤバい気がしてきた」
ぞわっと、妙に冷たい悪寒が背中を這った気がした。
二人でそれぞれ窓枠に腕を突っ張って、半分身を乗り出しながら話す。冷たくなりはじめた初夏の風が、ユリの髪を揺らしている。
「次は外から大時計を確かめないと。時間がズレていなかったら、完全に変よ」
「校庭に出てみないと見えないよ。でも……屋上の時計が10分遅れていたら、まだ勘違いの可能性があるじゃん?」
僕はまだ「勘違い説」を捨てきれない。
屋上が「時間のズレた別世界」だなんて。そんなにユリの妄想を簡単に受け入れられるもんか。
「陸上部が10分間だけ校庭で練習していた、って可能性が有るって言いたいわけ?」
「無いかな……?」
「無いわね。そんな練習きいたことない」
「だよね」
ユリが首を傾げながら、真剣な眼差しを向けてくる。
「私達が屋上から見た校庭には、10人以上の部員がいて、フィールド競技をしていたわ。でもそんな痕跡さえ無いもの」
「手の込んだドッキリ映像、学校のモニタリング部かな?」
「カメラ、その辺にあったりしてね」
「いえーい」
と適当にVサイン。
「カメラ目線ー!」
ユリと冗談を言い合っていると、少し怖い気持ちも薄らいだ。
「なんて、アホ言ってる場合じゃない」
「確かめないとね」
「校庭から大時計を確かめよう」
「そうね」
窓枠を挟んでコソコソと話していると、後ろから「ユリちゃんとハルトくんてさ、仲いいよねー」「小学校の頃からだし……」と、清水さんたちが小声で話す声が聞こえてきた。
うぅ、恥ずかしい。変な勘違いをされたら困るじゃないか。
窓から先に離れ、自分の机へ向かう。本当は必要でもないけど机の中から置き勉用の参考書を抜き取った。すまし顔で「じゃぁ」と言って教室を後にする。
一瞬、教室を出るときに時間を確認。壁掛け時計は3時46分を指している。
次に目指すのは、校庭だ。
校庭よりも遠く、正門から見上げれば大時計が見えるはずだ。ここからでも3分あれば行けるだろう。
下駄箱まで小走りで階段を駆け下りて、下駄箱でバタバタと外履きに履き替える。そして足早に校舎を出る。大きく息を吸い込むと、土の匂いに玄関わきに植えられた花の香りが混じっていた。
サッカー部やテニス部の掛け声が響く正門までの道を、下校途中の生徒たちに紛れながら進むことにする。
途中で一度振り返ると、トンガリ屋根は見えたけれど、校舎の3階が邪魔で大時計は見えない。
更に離れて校舎から距離をとる。
ようやく正門近くまで来たところで、後ろから軽快に走る音が近づいてきた。
「遅い! 駆け足!」
「元気すぎる……」
「はやく!」
「走らなくてもいいのに」
陸上部の夏野ユリは体力が有り余っているのか、一瞬で追い抜いていった。
そして正門の外へと駆け出して、ズザザーと土煙を巻き上げながら停止するなり、くるっと回れ右。
「見て、3時50分っ!」
ユリは時刻を読み上げると、両腕を挙げて何故か勝利のガッツポーズ。
隣で振り返ると、今度こそ「トンガリ屋根の大時計」がしっかりと見えた。
午後の柔らかな日差しで屋根が輝いている。その下には丸い、見慣れた大時計。
時刻はほぼ3時50分を示していた。
教室を出るときに確かめた時刻、3時46分に、ここまで来る時間を合わせるとちょうどいい。予想通りの時間だった。
「屋上で見た大時計は遅れていたのに……」
「あの大時計は遅れてない!」
ユリの言う通りだった。
つまり僕たちが屋上で見た「トンガリ屋根の大時計」の時間だけが、何故か10分近く遅れていたってことになる。
「ヤバくない?」
「超ヤバいかも」
僕たちは思わず顔を見合わせた。
<つづく>