ユリの推理と秘密の鍵
屋上へと続く扉には鍵がかかっていた。
3メートル四方の踊り場は、上り階段の終着点。屋上に出られないのなら、ユリとの冒険もここまでだ。
「もう戻ろうよ」
埃っぽくてコンクリート臭いし、あまり長居はしたくない。なによりも早く戻らないと、貴重な昼休みが終わってしまう。
「鍵をこの場所に隠してある可能性もあるわ」
ここで戻れば良いのに、夏野ユリは好奇心と探求心に火がついたのか、まだ諦めないらしい。
何か気になることがあるのだろうか。
「鍵はぜんぶ職員室で管理してるんだよ。そんなの、ユリだって知ってるだろ」
「果たして、そうかしら?」
「そうかしらって……」
あらためて思い返してみる。まず校舎の建物に関係する鍵は全部職員室で管理されている。
職員室の入口の横にある『鍵ボックス』に沢山の鍵が入っていて、生徒は必要に応じて先生に用途を伝え、管理簿に名前を書いてから鍵を借りるルールになっているのだ。
例えば音楽準備室や美術室の用具部屋の鍵は、日常的に生徒たちによって借りられている。
他にもプールの更衣室、校舎の隣りにある部室棟の鍵だって、校庭の隅にある運動会の用具が詰まった物置小屋に至るまで、鍵はぜんぶ職員室で管理されていた。
鍵はシンプルな平べったい金属製。それぞれにプラスチック製の赤くて目立つキーホルダーが付けられている。『音楽準備室』や『プールの更衣室・男子』といった具合に、油性ペンで名前が書かれていたと思う。
当然、ユリが気にしている「屋上への扉」のカギだって、鍵ボックスにあると考えるのが普通だろう。
「甘いわね。ちょっとだけ例外もあるの」
ふふん、とユリが誰も居ないのを良いことに名探偵みたいな顔つきをする。
教室にいる時は女子たちと普通にキャイキャイとおしゃべりをして、こんな事は言わないのに。面白いので付き合ってみることにする。
「例外って、どんな?」
「たとえば百葉箱」
「あー、そうだっけ?」
百葉箱は校舎の裏側にある白い箱。中に温度計と気圧計だったか、何かが入っていたはず。
「そうよ。箱の裏側にカギが隠してあるの。あと、うさぎ小屋の横にあるエサの袋が入った木箱。その鍵も、ウサギ小屋の裏側に隠してあるわ」
「なんでそんなこと知ってるのさ」
「好奇心は大事なことよ?」
「ほー……?」
ユリの無駄な記憶力に呆れる僕。授業中はたまに窓の外を見てボケーとしているくせに。妙なことを覚えているんだなぁ。
「ちなみに、ハルトん家の裏口のカギの隠し場所だって知ってるわ」
「ちょ、ちょっと!? なんで知ってんのさ、怖いんだけど」
「お母さまに教えてもらったの」
「なんでユリに!?」
「何かあったら頼むわねって。ま、信頼されてるってことね」
自信満々でしれっと言うユリ。まさか勝手に上がり込んで、僕の部屋を漁ったりはしていないだろうけれど……。
「ま、まぁ……それはそれとして。百葉箱もうさぎ小屋のエサ箱も、そんなに重要じゃないから鍵が近くに隠してあるんだろ?」
「屋上だって似たようなものでしょ」
「そうかなぁ」
「そうよ」
言われてみれば屋上なんて、普段は誰も用事のない場所かもしれない。だからこそ勝手に使われないように、職員室の『鍵ボックス』にしまってある気がするけれど。
「ちなみに『鍵ボックス』には、百葉箱の鍵もウサギ小屋のエサ箱の鍵も、ちゃんとあるの。以前に見たから間違いないわ」
「え? どゆこと?」
僕はちょっと面食らった。さっき、二ヶ所の鍵は現場に隠されているって言ったじゃないか。
「わかんないの? 察しが悪いわね」
「わかんないよ、何が何だっての?」
「だからね、職員室の『鍵ボックス』にあるのはマスターキー。現場に隠してあるのはスペアキーってこと。わかった?」
ユリの顔には「バカねぇ」と書いてある。
「なるほど……?」
悔しいけれど、その記憶力と観察眼に思わず感心してしまう。それに、ちょっとだけ探偵気分を味わっている状況に、楽しさを覚えているのも正直なところだ。
「それともう一つ。鍵を借りに行った時『鍵ボックス』の中を一通り見たけれど、『屋上の鍵』は見当たらなかったわ」
「おかしいよ。マスターキーが無いってこと? ここの屋上の扉を、開ける鍵が無いってのは変だよ」
「だから、気になって来てみたのよ」
すん、と鼻を鳴らすユリ。
流石にホコリっぽい。
けれど、ユリが屋上に拘っていた理由は、そこだったのか。
学校の敷地内にある建物や施設、全てに対応する鍵、それらがマスターキー。中にはスペアキーがあって現場に隠してある。
けれど『屋上の鍵』だけが見当たらない。
職員室で管理されていない『屋上の鍵』は、一体どこにあるのだろう?
目の前には扉があって、鍵穴もある。その先の屋上に果たして何があるんだろう。想像力を駆り立てられるのは確かだ。
悔しいけれど、夏野ユリのペースにまんまと嵌ってしまったらしい。
「確かに……、なんだか気になる」
ユリは僕の顔を見て、何故かとても満足したらしく、「ふっふ」と大げさにほくそ笑んだ。
そして周囲を見回すと、壁のある一点を指さした。
「たとえばあそこ、怪しくない?」
「あれは……配電盤って書いてあるよ?」
配電盤は40センチ四方、厚さ5センチほどの灰色の金属製の箱で、壁に埋め込まれていた。
身長160センチの僕が腕を伸ばせば届く位置にある。ユリは僕より少し背が低いので、届かないかもしれない。
配電盤の正面左側には、銀色の「押し込み式」のレバーみたいな取っ手があって、丸い鍵穴も見える。
試しに指取っ手部分を押し込んでみると、簡単にバコっと持ち上がった。
「お!?」
「開きそう?」
配電盤に鍵はかかっていなかった。金属の取っ手を引いてみると、開いた。
「あ、開いた……!」
恐る恐る開けてみると、中には赤と青の配線が見えた。
灰色のビニールテープで巻かれた配線が何本か伸びていて、家にあるようなブレーカーみたいな黒いスイッチに繋がっている。それと『外照明1』『外照明2』というレバー式のスイッチが並んでいた。
まるでテレビドラマでやっていた刑事物の、時限爆弾の解体をしている気分だ。
けれど、肝心な「屋上扉の鍵」らしいものは見当たらない。
と、そこで横からユリが腕を伸ばしてきた。肩と肩がぶつかり、僕が押しのけられる。
「何? 触ると危ないよ」
「配電盤じゃなくて、こっち……ほら! これは何」
ユリがつま先立ちで腕を伸ばし、探っているのは配電盤の蓋のほうだった。開いた配電盤のフタにも2センチぐらいの厚みがあって、内側がすこし窪んでいる。
そこに指を入れて何かを探り当てたみたいだ。
「どれ……? あっ、これか」
ユリが指を入れていた辺りを、代わりに探ってみると何かが指先に触れた。小さな金属の塊だ。
取り出してみると、鍵だった。
思わず顔を見合わせる。顔が近かったけれど、ユリの視線は鍵に注がれていた。
真鍮色の古びた小さな鍵。
平たくて普通の平べったい鍵だ。
キーホルダーは付いていないのでどこの鍵かはわからない。
けれど表面に極々小さい、文字のようなものが刻まれていた。
―― 金星……鋼 皇紀 2 6 6 7 ……
「読めないや」
製造メーカーの刻印だろうか。漢字と数字はシリアル番号か何かだろう、よく読み取れない。
「もしかしたら配電盤の扉の鍵かも」
「かもね」
試しに配電盤の扉に挿してみたけれど、形がまるで違っていた。
配電盤の扉の鍵は丸い形。この鍵は平べったい。
「これ、何の鍵」
「隠してあるのよ。これビンゴじゃない?」
「マジか、すごい……」
――キンコンー♪ 校庭で運動をしている生徒は、教室に戻りましょう。
そこで昼休み終了の10分前を告げる放送が鳴った。
「もどらなきゃ! この鍵、どうしよう!?」
「戻したほうが良いわ。またあとで確認しに来ればいいもの」
僕とユリは鍵をもとの位置に戻すと、配電盤を閉め、大急ぎで階段を駆け下りた。
<つづく>