潜入調査、スパイごっこ
夏野ユリが僕の前を軽い足取りで進んでゆく。
「こっちの階段から行けば、人目につかないわ」
肩で切りそろえた髪を揺らしながら、北側の階段をあごで示す。
「なんか悪いことしてるみたいな気分……」
「気にすることないわ。ちょっと試すだけだし」
「試すって……」
「屋上への扉が開くかどうか」
「帰る」
歩くペースを落として逃げようと試みるも、振り向くこともなく素早く腕をつかまれた。僕の足音の調子だけで判るのか、女の勘は鋭い。
「いいからついて来なさいよ!」
「えぇ、だから鍵が閉まってるって言ってるのに……」
「どんな鍵が? いつも? 絶対?」
「絶対……かはわからないけど」
「ほら、行ってみないとわからないわ」
「うぅ」
僕はユリの後を仕方なしについてゆく。
今歩いている場所は、二階の北側階段へ通じる廊下だ。図書室や調理実習室のある別棟に続く渡り廊下へ進むコースと、三階へと続く階段がある。
昼休みということもあり、図書館に向かう生徒がちらほら歩いているけれど、階段を上り下りする生徒はいないみたいだ。
ちなみに僕たちの学校は田舎にあるので、一学年に3クラスしかない。
一階に三年生の教室が3つ。二階に二年生の教室が3つ。三階は一年生の教室が3つ。
階段はその3つの教室を囲むように、南階段と北階段の前後二箇所にある。玄関や職員室、体育館が近いのは南階段なので皆は大抵そっちを利用する。
北階段はどこか薄暗く、使う人も少ない。
階段の構造はどちらも同じ。4メートルほど急な階段を上ると、長方形の踊り場。そこで180度階段は折れ曲がって、更に上に上る階段がある。どこの学校にもある普通の階段だ。
けれど、ユリの目指す「屋上」へ上る階段があるのは、北階段だけだ。
上階からは一年生の元気な声が聞こえてくる。けれど昼休みに教室から出歩いている生徒はあまり居なのか、階段に人の気配は無い。
「よし、今よ!」
ユリが三階へとトトトと軽やかに駆け上る。スカートの裾をひらひらさせながら、中間地点の踊り場でストップ。そして僕を手招きする。
ユリは秘密の施設に潜入するスパイ、みたいな顔をしていた。
「何してるの、来なさいよ」
「完全に悪いことしてる顔だよね!?」
「いいから、はやく」
まぁここまでは別に悪いことはしていない。「何しているの?」と聞かれたら「別に」と答えればいいくらいの、昼休みの散歩みたいなものだ。
こうなったら覚悟を決めるしかない。
「わかったよ!」
僕も駆け足で、三階へ向かう階段の踊り場まで上る。ひょいひょいっと一段とばしで駆け上がる。
僕が階段の折り返し地点、つまり踊り場まで駆け上がった時、ユリは更に上の三階まで駆け上っていた。そこで僕に手のひらを向けて「待て」のポーズ。
まるでスパイにでもなった気分だ。
ユリは曲がり角から顔を少しだけ出して廊下の様子を覗っている。
すると、手首を「くいっ」と曲げて「来なさい」のポーズ。
もう一度駆け上がって、三階に居るユリのところへ到達する。
「ハルトはこのまま先に、上へ行って」
「僕が先に?」
「そうよ、危険があるかもしれないでしょ」
三階まで上った僕に小声でユリが指差すのは、更に上へと上る階段だ。
薄暗くて先が見えない。
校舎は三階建てなので、その階段の先は四階……ではなくて屋上へ繋がる扉がある。
「危険って……?」
「怖い三年生がたむろしていたり、悪いことしてたり」
「えぇ!?」
嫌な役目だなぁ。
でも、屋上へと続く階段の先に人気は無いように思えた。
うっすらとホコリが積もっていて、一週間ぐらいだれも通っていない気がする。踊り場のところにはダンボール箱が何個か置いてある。古い書類かさほど大事なものではないのだろう。
「一年生がこっち来る! 早く!」
ユリが一年生の教室のある南側を指さした。
「もうっ!」
僕はその勢いに弾かれるように屋上へと向かう階段を駆け上った。薄暗くて、ちょっと湿っぽいコンクリートのにおいがする。
踊り場のところまで到達して折り返し地点から上を見上げると、誰も居ない。
暗闇の向こうが明るくなっているのは屋上へ続く扉があるからだろう。すりガラスを通したような自然な明るさだ。
「だれも居ないよ」
小声でユリに呼びっかけると、まるでロケットスタートをしたアスリートみたいな勢いで、一気に僕のいる踊り場まで跳んできた。
「ったぁ!」
「い、今何段飛ばし?」
「3段」
「すごい……」
ドヤ顔で指を3本立てたユリはそのまま僕の背中を押す。
「いいから、上へ!」
「う、うん」
ユリの勢いに押されて、ついに最上階へとたどり着く。
そこは3メートル四方ぐらいのコンクリートの箱みたいな部屋になっていた。擦りガラスのはめ込み式の窓が一つ。そしてアルミ製のドアが一つ。他は荷物が雑多に置かれている。
窓からの光がチリを空中で輝かせている。
「来ちゃった」
「夢のある場所には思えないね」
くるっと見回した後、ユリはさっそくドアノブに手をかけた。
回しても、ガチャガチャと音がなるばかり。
鍵がかかっているようだ。
「鍵がかかってる……」
「だから言ったじゃん」
半ば予想はしていたけれど、屋上への扉は開かなかった。
「戻ろうよ」
二人で居なくなった事に気が付かれたら、何を言われるかわかったもんじゃない。
けれどユリはあごの先を指先で支えて、まるで探偵みたいに視線を鋭くして何かを考えている。
きっとロクでもないことだ。
「ねぇ、ハルト」
「なに?」
「ここに鍵を隠してある可能性って、ないかしら?」
「え、えぇ?」
<つづく>