ふたりの「また明日」
「充希さん? おーい……」
再び扉を開けた時、充希さんは忽然と消えてしまった。
屋上の何処かに隠れているのかと思ったけれど、隠れられる場所なんて無い。
フェンスで囲まれた屋上を見回してもどこにもいない。もちろん一瞬で乗り越えられる高さではない。
「そんな……嘘だろ」
さっき充希さんといた屋上では4時20分。大時計を見上げると時刻は4時30分になろうとしていた。やはり元の世界だ。だって10分ほど時間が進んでいるのだから。
信じられない。けれど本当に「もうひとつの世界」に僕は行っていたのだ。
フェンス越しに見える風景は、見慣れたものだった。うっすらと夕焼け色に染まる山並み、家々の明かりも空をゆく国際線の飛行機のシルエットも。何もかも元通りだ。
部活もそろそろ終わりのようで、野球部や陸上部はそれぞれ片付けを始めている。陸上部で駆け回っている夏野ユリも、そろそろ終わる頃だろう。
戻らなきゃ、と思ったところで僕はあることに気がついた。
「鍵……!」
そうだ、「もうひとつの世界」の屋上へ出入りするあの不思議な鍵!
充希さんがポケットに仕舞い込んだままだった。
慌てて踊り場の電源ボックスを開けて確かめたけれど、やっぱり鍵は消えていた。「向こう側の充希さん」が、あの鍵を持って帰ってしまったんだ。
「ユリになんて言おう……」
僕はしばし呆然と立ち尽くした。
いろいろ考えたあげく、図書室へ向かうことにした。
世界線がどうとか、向こう側の充希さんと、こっちの世界の充希さんは別人だとか。難しいことを言っていたけれど、彼女が無性に心配になったからだ。
図書室の後輩が消えていたらどうしよう。
そんな不安に駆り立てられる。
屋上の踊り場から屋上への扉を静かに閉める。そして階段を早足で掛け下りた。三階の北側階段に通じる廊下を右に曲がって、しばらく進めばやがて図書室だ。
「せんぱい、遅いです」
図書室の扉を開けるなり、受付カウンターごしに充希さんが抗議してきた。
ムッとした様子で、かなりご立腹みたいだ。
けれど、僕はどっと全身の力が抜けるのを感じていた。
「……よかった……」
「よくないです! 何言ってるんですか? こっちはワンオペで大変だったんですよ」
「ご、ごめんね、ちょっと充希さんと話し込ん……」
と、言いかけてハッとする。
「は?」
「あっ、いやごめんそうじゃなくて」
「何言ってるんですか」
「いやいやこっちの話でさ」
本気で不審がられた。
僕が屋上で話していた充希さんと、図書室にいる充希さんは、同一人物だけど、世界線が違うからちょっとだけ違うのだろう。
違うけれど、同一人物。
この世界では本来の充希さん。
時間の遅れた世界の充希さんは、向こうの世界に帰った。
だからすべて元に戻った。
……ということだよね?
図書室に入ってから充希さんを見て、いろいろ思考を巡らせているとぐっとカゴを押し付けられた。
「せんぱいの分です」
「あ、うん」
「さっさと書棚に戻して、帰りましょう」
「そうだね」
夕暮れ色に染まる図書室で、充希さんと本を書棚に戻す作業をする。
ほのかな古書の匂い、そして後輩の頭にはちょこんとネコの髪飾り。
「あ、あのさ」
「……なんですか?」
視線を合わせずに返事をする充希さん。一つだけ確かめたいことがあった。
「充希さんが読んでいた本さ、タイトルなんだっけ?」
「え? いろいろ読んでますけど、なんでしたっけ?」
「ほら、SFの……」
きょとんとした顔をする充希さん。
最後の本を書棚に戻し、不思議そうに僕の顔を覗き込む。
そうか。つい先日、受付カウンターで『夏への扉』というSF小説を読んでいた彼女は、向こう側の充希さんだったんだ。
SF小説のあらすじを説明してくれた彼女。意味ありげな内容で、僕を試していたのかもしれない。
「うーん? 知りませんけど、古典SFなら色々読んでますよ」
「たとえばさ、『夏への扉』ってしってる?」
「あ、聞いたことあります。図書室にもありますよね。まだ読んでないんですけど」
「なんかさ、猫が冬に扉を開けてくれって頼むらしいよ」
「……ねこが、ですか?」
充希さんは猫と聞いて、食いついた。
「うん、その扉の先は別の世界、時間に繋がってるとかなんとか」
「へぇ……! そうなんですか。そっかー今度読んでみますね」
充希さんは興味があるような無いような、とても微妙な表情をうかべている。
けれど少しだけ嬉しそうに見えた。
その後は二人で図書室を閉め、カギをかけた。
別れ際、充希さんは振り返った。
「ハルトせんぱい」
「ん?」
「どうして私が猫好きだって、わかったんです?」
それは……君がそう言ったから。
とは言えなかった。
全ては一時の夢だったかもしれない。10分間だけの時間旅行。不思議な屋上世界と、同じ顔をした別の充希さん。
「なんとなく、猫ずきかな……と」
わけのわからない言い訳だと思った。
けれど、充希さんは髪飾りを指でちょっとだけ整えると、照れたように微笑んだ。
「ありがとうございます! さよなら、せんぱい」
「おつかれ充希さん」
「また明日」
「また明日ね」
僕は小さく手を振った。
◇
帰り道、僕はジャージ姿の夏野ユリと並んで歩いていた。
長い影が地面の上で2つ、形を変えながらついてくるのをぼんやりとながめながら。
「消えたってどういうことよ!?」
噛みつかれるかと思った。
「だ、だから、屋上の配電盤の裏から鍵が無くなってて……。おかしいなーって」
「ふぅん? 見つかって回収されたってことかしら?」
歩きながら、じーっと僕の横顔を見つめるユリ。
「お、おそらく……?」
「ハルってさ、昔から嘘が下手よね」
ギク。ユリが「ジト目」を絵に描いたような顔をしている。
「うっ、嘘なんて……」
「じゃぁこっち見なさいよ」
「……うん」
「正直に言いなさいって、怒んないから」
優しい猫なで声がこわい。
「…………いや、でも」
「ほらー、ほら」
「あーもう! わかったよ」
「自白したほうが罪は軽いわ」
「罪って……」
僕は意を決し、ポツポツと説明した。
時間のズレた別の世界が、屋上には確かに存在した。
ここまではユリも感じていたことだから、クリア。
問題はここからだった。
何をどう話していいやら。上手く話せるだろうか?
充希さんが実は異世界人で、成りすましていた。でも本人には違いなくて。世界線のねじれた状態で同時に存在していた……と。
で、最後に鍵を向こう側に持っていかれた。
でも、充希さんとの会話については話さなかった。
僕と仲良くなりたいと言ったこと。
どちらの世界の充希さんも、猫が好きだったこと。
向こう側の充希さんが全ての真実を知っていて、教えてくれたこと。
「ネット小説のこじらせ系素人作家が考えた三流SFみたいな筋書きね」
「ひどい言い方だね……」
「だいたいなんで急に後輩ちゃんが出てくるわけ?」
「そ、それは」
「夢? それとも、ハルトの願望?」
「多分……違うと思う」
別に妄想のストーリーではないけれど。
ユリは半分納得、半分は疑っているみたいだった。そりゃそうだよね。
「ふぅん……。ま、いいわ。無いものは」
「そ、そうだよね」
ほっとする。あの角を曲がればもうすぐ家だ。やっとユリの追及から逃れられる。
「明日からは正攻法でいくわ」
「え? 何を?」
ユリがキラリと瞳を輝かせる。
「正式に屋上の鍵を開けて、みんなに解放してもらうように、先生と交渉するのよ。よりよい環境! 生徒の福利厚生のためにって」
「えぇ? まだあきらめてないの?」
「諦めるも何も、本来の目的はそれだもの。それに……素敵な謎現象の起こる屋上を、もっとこの目で観察したいじゃない」
「う、うーん」
「じゃ! そういうことで。ハルは説得する文章を考えとくように」
「って、おい!?」
たたた、と軽やかな足取りでユリは走り去った。夕日に照らされた髪がおどり、一度こちらを振り返る。
「また明日ね!」
「……うん! また明日」
やれやれと、見上げた空には一番星が輝き始めていた。
明日もまた騒がしい一日になりそうだ。
<おしまい>
★ハルトとユリは中二病、かと思いきや本物の不思議に片足を突っ込んでいた、というお話でした。
お読み頂き、ありがとうございました!




