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屋上フロンティア! ~「学校の屋上」~   作者: たまり
『シュレーディンガーの屋上』編
13/15

シュレーディンガーの猫


 ――私は、向こう側の世界から来ました。


 充希(みつき)さんの告白が、頭の中でリフレインする。

 向こう側、つまり「時間が10分ほどズレた世界」のことを言っているのだとしたら、彼女は何者なのだろうか。


 充希(みつき)さんがスカートの裾をひるがえし、軽やかな足取りで階段を登ってゆく。踊り場を曲がるといちど立ち止まり、こちらを振り返った。

「せんぱい、はやく」

「う、うん……」


 階段の反対側から差し込む西日で、空間全体がオレンジ色の光に満たされている。踊り場を曲がって上ればもう屋上へと通じる扉がある。


 誘われるまま階段をのぼる。

 そもそも、どうして充希(みつき)さんは、僕とユリの行動に気がついたんだろう?


 不思議な後輩の言動を思い返してみる。

 いつも図書室にいて静かな彼女。確実に丁寧に、図書委員の仕事をこなす充希(みつき)さん。

 古いSF小説についての会話も、今になって思えば自分自身や、謎の屋上のことを匂わせていたのかもしれない。


 それともうひとつ。彼女は僕やユリと同じ地区に住んでいて、ご近所さんだという。そのことを知ったのはつい昨日のこと。正直、それまでは彼女の存在を意識したことはなかった。

 僕が気づかなかっただけなのか、それとも……。

 本当に彼女は昔から近くにいたのだろうか?


「よっと」

 つま先立ちをして配電盤に手を伸ばして、充希(みつき)さんは蓋の裏側から鍵を取り出した。迷う様子もないところを見ると、本当に鍵を隠したのは彼女なのだろう。


「その鍵……充希(みつき)さんのだったんだね」

「はい。正確には向こう側で使われていた屋上の鍵、ですけど。借りてきちゃいました」


「なんだか、いつもの充希(みつき)さんじゃないみたい」

「そうですか? いつものって、いつのです?」

「それは……」

 禅問答のような言葉のやりとりを聞き流すと、 充希(みつき)さんは鍵をドアノブの鍵穴に差し入れた。カシュッと軽く金属の擦れる音がして、扉が開いた。


「はい、どうぞ」


 屋上へと、軽やかな足取りで進む後輩は、数歩先で振り返った。


「せんぱい?」

「う……ん」

 けれど僕は、屋上へ足を踏み入れることを躊躇った。

 何の変哲もないアルミサッシが、別世界との境界線だと思うと少し怖くなった。


「何してるんです? 気持ちいいですよ」


 僕はその声に引かれるように、境界を踏み越えた。


 新鮮で濃密な空気が肺を満たす。いつもより酸素が濃くて、オゾンの香りさえする。

 夕日に染まっているのは図書室前の廊下からみた風景と同じ。けれど空の色は少しだけ紫色を帯びている。

 

 屋上の中央まで進んで振り返ると「トンガリ屋根の大時計」が見えた。

 

 時間は4時10分。

 

 4時15分過ぎに図書室を出たはずなのに、時間が巻き戻っている。いや、10分ほど遅れているのか。


 簡単には信じられなかった出来事が、ふたたび目の前で起きていた。ここはやっぱり時間のズレた場所。教室から見える学校の周囲と、フェンス越しの風景もどことなく違ってみえる。


「せんぱい」


 はっとして振り返ると、すぐ後ろに充希(みつき)さんがいた。ちょうど視線の高さに、前髪を止めたネコの髪飾りがある。


「あ、あのさ充希(みつき)さん」

「タネあかしをしましょう」

「タネあかし?」


「ここが本当(・・)世界(・・)ですよ」

「……え? どゆこと」


 充希(みつき)さんがゆっくりと視線を動かし、屋上を囲むフェンスの向こう側に向ける。

 運動部の掛け声が同じように聞こえてくる。けれど、いつも見ている風景と何かが違う気がした。


「今は皇紀2679年。裏側の世界では西暦2019年ですよね」

「どっちが本当で表かなんて、わからないと思うけど」

「早く気がついたほうが表なんだと思います」

「なるほど」

 なんとなく納得する。

「裏側の世界のことはここでは常識です。もうひとつの可能性。いわゆる並行世界だって。偉い学者先生たちがテレビで言ってました」


「テレビで……並行世界?」

 きょとんとする僕だけど、受け入れがたい話じゃない。創作物語やSFじゃ繰り返し使われてきた言葉だから。


 その時、視界の隅に飛行機が横切っていくのが見えた。国際線のジェット機だろうか。はるか上空で飛行機雲をひきながら――4枚のトンボみたいな半透明の翼がキラリと夕日で輝いた。


「……えっ?」

 見たこと無い飛行機だった。たまたま飛んでいる新型とか、そういう感じではない。ふつうに見慣れない形の飛行機が飛んでいる。

 まてまてまて……何なのこれは。

 笑いだしたり、あるいは泣き叫んだり、カメラはどこ!? と騒ぎ出したい気持ちを押し込める。

 混乱する頭をフル回転させて、なんとか状況を整理する。

 とりあえず、落ち着け僕。

 予想通りじゃないか。

 ここは時間のズレた別の世界なんだ。年号や飛行機が多少違っていても不思議じゃない。


「せんぱいの住む世界は、この世界の裏側なんです。仮説では無数に生じる『可能性の泡』みたいな存在で、無数に分岐しては消えていく世界だって。最新の研究で明かされてきたみたいです」

「すごいね、ついていけないや」

「でも、そこに自由に出入りできる場所の出現はランダムで、私みたいに『鍵』を見つけた人はすごく幸運なんです」


 本のあらすじを説明するようにゆっくりと、言葉を紡ぐ。そして大事そうに「秘密の鍵」をそっと手で包む充希(みつき)さん。


「つまりその……君はこの世界の人なの?」


「半分正解で、半分違います」

「どうゆうこと?」

「せんぱいの世界にも私、ミツキは居ます。けれど私が屋上からそちら側に渡った瞬間、世界線(・・・)が一本ずれてシフトして、元々いたミツキは押し出されて私になるんです……。上手くいえませんけど、最初から私が『居た』ことになるんです」


 僕はすごく困惑した顔をしていたのだろう。

 うぅとか、あぁとか、うめき声しか出てこない。


「私の場合、きっかけは屋上の鍵でした。扉を鍵で開け締めするごとに、世界が変わるんです。似ているけど違う世界。屋上が『シュレーディンガーの猫』みたいに、状態が決まっていないんです」


「シュレーディンガーの……猫」

 聞いたことがある。箱に猫を閉じ込めて、ガスの噴射装置をつけて。何かの仕掛けで二分の一で毒ガスが出る。その時、猫は生きているのか、死んでいるのか、定まらない両方の状態が重なっている。

 確か思考実験の一種だ。異なる世界同士でも言葉の意味は同じらしかった。


 充希(みつき)さんは猫の髪かざりを指で整えて、僕を上目遣いで見ている。


「今回の世界も状態は決まっていませんした。けれど、いちばん楽しかったです」


「君の言う状態って、なんのこと?」

 疑問に思ったことを口にすると、充希(みつき)さんは少し困ったような照れたような顔をした。


「せんぱいと私のことです」


 一歩、猫の髪飾りが近づいてくる。


充希(みつき)さんと、僕?」


 それは図書室の後輩と僕のこと? 図書室で一緒に仕事をして、他愛のない話をした二人の状態。


「にぶいです。ほんとうに、せんぱいは」


 怒ったように眉根を寄せる。


「わかんないよ」

「どこか違う世界では、私がせんぱいの彼女だったりしないかなって、思ったんです。そんな場所を見つけたかったから……」


「え…………?」


 風が止まった気がした。

 凪のような無音が、あたりを包む。


 ネコのように丸い瞳が僕をじっと捉えている。


 彼女? 誰が? 充希(みつき)さんが? 僕の? なんで――

 

 カチリ……。

 

 不意に、音がした。

 

 それは時計の、トンガリ屋根の大時計の針が進む音だった。

 僕はハッとして振り返った。

 見上げると、時間はいつのまにか4時18分を指している。

 別の世界の屋上に来てから既に8分以上経過していた。


 帰らなきゃ……!


 不意にえもいわれぬ焦燥感が湧き上がった。


「もう少し、ここにいてください」


 気がつくと充希(みつき)さんが僕の袖をつかんでいた。


充希(みつき)さん?」

「おねがいです、ハルト先輩」

「……!」


 カチリと、長針がまたひとつ時を刻んだ。


<つづく>


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