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いずれ誰かが辿る物語

ある男のそれは幸福な幕引き

作者: 笹倉錦


体の痛みで嫌でも目が覚めた。

目覚めた場所はやはり石でできた寝台の上で、今日という運命を変えることはできないのだと知る。

私は今日、大罪を犯した罪人として、公開処刑されるのだ。



最期の食事だから、なのか。朝から葡萄酒が付いてきた食事に思わず苦笑する。

いつもの通り、女神に感謝の祈りを捧げて食事に手を付ける。

大聖堂の地下牢、まさに女神のお膝元といえる場所での食事は格別だ。繊細なガラス細工にでも触れるような慎重さで料理の一つ一つに手を付け、それらをゆっくりと飲み込んだ。



食後は、与えられた最後の時間を惜しむように大聖堂の中をゆっくりと歩く。後ろに見張りこそいるものの、清浄な空気に満たされたその場所は心地がよかった。


「――ほら、あの人よ」

「…嘘、だってあの人、特に信心深い――」

「そういうことは関係ないの!……だって忌み児よ」


二人の修道女が、離れた場所で何かをこそこそと話している。よく見れば二人とも顔なじみの修道女で、私が会釈すると彼女たちはバツの悪そうな顔をしてそそくさと去って行った。

…そう、忌み児はたとえどんな人間であれ、死を免れない。それが、女神の教えだ。


庭のベンチに腰掛け、ぼんやりと庭を眺める。遠くでは幼い少女と、それよりいくらか年上らしい少年が戯れていた。

幸せそうな少年を見ながら、すべてを失ったあの日を思い出す。思えば彼と同じくらいの年のころだっただろうか。

あの日も今日と同じ、今にも雨が降り出しそうな空だった――。





「ライっ!!死ぬなよ、なぁ!」

「…にい、ちゃ…」


地面にうつ伏せに転がった弟は、つらそうに息を吐いた。小さく上下するその背中には矢が刺さり、そこからは止めどなく血が流れている。

遠くからは両親を殺した男達の声が聞こえていた。こうしている間にも、自分たちの死が迫っていた。


「ライ、もう一回おぶるから、離すなよ。とにかく麓の村に――」

「――置いて行って、兄ちゃん…お、願い…げほっ!」


弟が血を吐く。…何を言っているのか、すぐには理解できなかった。


「な――何言ってんだよ、ライ、お前、」

「――早く!父ちゃんたちが言っただろ、生きろよ――ジオ!!」

「ら、ライ………っ!」


弟の気迫に、幼い私は山道を転がるように駆け下りた。



そう遠くない場所で聞いた弟の最期の声は、今でも耳に残っている。


私と弟は落月に生まれた双子だった。この国の女神は、落月の双子の命を認めてない、許していない。

だからきっと、私たちを殺さなかった父も、私たちを慈しんだ母も、共に育った弟も、こうなる運命だったのかもしれない。



それから幾日かを山の中で過ごし、そうして私は山の麓にある村で保護された。

親に捨てられた可哀想な子供として村人たちに大切にされ――しかし、それも長くは続かなかった。


特に冬の寒さの厳しい年だった。

村の子供や老人、多くの人が亡くなり、私は次第に疫病神と謗られるようになった。

唯一かばってくれたのは、村の子供たちにとって姉のような存在であったフィオラという、私よりは十ほど年上の女性だけだった。

結局私は逃げるように村を去り、のちにフィオラが聖女として、神殿に迎えられたことを風の噂で知る。


数年間、行く当てもなく彷徨った私が最終的にたどり着いたのは神の家――大聖堂だった。

なぜ両親を、弟を奪った女神の信徒であろうとしたのか。今ならはっきりとわかる。それはただの自己愛だったのだと。

弟を、両親を、多くの人を死なせてしまった私の罪を、神に赦してほしいと、浅ましい私はそう、願ってしまったのだ。


大聖堂で過ごす日々はこの上なく満ち足りていた。目が覚めれば祈りを捧げ、信徒たちと心を通わし、ただ人々の幸福と安寧を願う日々。

私には行き過ぎた幸福で、それゆえに私は恐ろしかった。この幸福な日々が、いつか突然、壊れてしまうことが。


私を忌み児だと見破ったのはある地区の教区長候補とされていた、年上の神官だった。

彼は執行者という神の言葉を実行に移す者を率い、そうして私は重罪人として、大聖堂の地下牢に文字通り放り込まれたのである。




いつかは来るだろうと思いながら、一度も望まなかった今日という日。

自分でも不思議なくらい、覚悟はできているらしかった。


見張りの男に声をかけられ目を開ける。もう、時間だった。



大聖堂の中に戻ろうとする私に声がかけられる。それは幼い少年の声だった。


「ねぇ、おじさん!」


それは先程まで少女と遊んでいた少年だった。少女は少年の後ろに隠れるように立っている。

目線を合わせるようにかがめば、少年は無邪気な瞳で私に尋ねた。


「女神さまって、本当に僕たちを見守ってくださるの?」


どこからか、女性の声がする。声のする方を見れば、一人の女性が誰かの名前を呼びながら慌ただしく歩いて来るところだった。

彼女は、もしや――そう思って首を振った。


「おじさん?」


「あぁぼうや。女神様はね――ずっと、私たちのこと、優しく見守ってくださっているよ」


少年は私の返答に得意そうな顔をすると、「だよね!ありがとう!行こう、ティナ!」と、少女の手を引いて走って行った。

駆けて行った先は女性の下で、三人は何かを楽しそうに話している。


「――行くぞ、重罪人ジオ」

「はい」


楽しそうな三人に気付かれないように、そっと大聖堂に戻る。

死を告げる鐘の音は、まるで祝福するかのように鳴り響いていた――。




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