第56話 邂逅
エイスがリーリエ達と共に逗留する宿『銀鹿亭』に、白羽の矢が立った。
それは、水神様の生贄に選ばれた事を示すもの。
今でも何十年かおきには水神様が目覚め、生贄を選んで白羽の矢を立てている――
迷信だと思われていた話だが、白羽の矢が立ったリュックス邸は、実際に賊に襲われ多くの死傷者が出た。
その正体は不明だが、実際にその迷信の通りの行動する者がいる。それは確実だ。
生贄の対象は若い娘である。今『銀鹿亭』に逗留している対象者はリーリエだけ。
リーリエの身に危険が迫っている――そう考えざるを得ない。
ならばリーリエをどこかに避難させるのも手なのだが、白羽の矢を発見したネルフィは、リーリエ以外の宿の者だけを避難させる事にした。
リーリエは宿に残し、賊をおびき出して撃退するつもりである。
無論ネルフィ自身もリーリエと宿に残る。
ここで賊を潰しておかないと、また別の場所で被害が出る。
それは見過ごせない。ここで止めるのだ。
しかしリーリエが囮役になってしまい、危険にさらされるのは間違いがない。
そこでネルフィは、自分の身分を明かしリーリエに協力を求める事にした。
髪色の偽装も解いて本来の薄桃がかった銀色に戻した状態で、である。
「えっ!? ネルフィお姉ちゃんって、やっぱりこの国の偉い人だったの!?」
「うん一応ね。このスウェンジーの最高戦力は、王に仕える三人の将軍よ。私はそのうちの一人、魔道将軍ネルフィリア・リノス。レイクヴィルの街には、昔住んでいたの。本当に冒険者ギルドで受付嬢をしていてね。今でも休暇の時はここに来て、受付嬢やって遊んでるの。懐かしいからね」
休暇でこの街に戻ると、受付嬢として働いて遊ぶのはネルフィの趣味である。
昔を懐かしみたいし、市井の人の暮らしの賑やかさに触れるが好きなのだ。
スウェンジーの魔道将軍として偉くなってしまった今では、身の回りの誰もがネルフィに敬意を払って接して来る。
時にはそう言ったものから離れて、何の遠慮も無く接してくれる人達の中に入りたくなるのだ。
森の静かな暮らしを好むエルフにあるまじきその趣向は、自分が幼い頃、人間の養父に育てられたからだろう。
寿命の長いエルフであるから、養父とはとっくに死別してしまったが。
「へぇ……みんなに気づかれて大騒ぎになったりしないの?」
「ほら、この髪の色珍しいでしょ? だから逆に髪の色を変えてるだけで、結構気づかれないものよ? まあ気づかれたら口止めするしね? エイスさんと同じで、タラップが上手くやってくれるから。実際エイスさんも気が付かなかったでしょ? 私エイスさんと会った事あるし、一緒に戦った事もあるんだから」
スウェンジーとアクスベルの国境に跨がって、魔物の大量発生が起こった事がある。
地竜を中心とする冥竜も多数含まれた、強力な軍団だった。
その際スウェンジーとアクスベルは共同戦線を張り、スウェンジーからは三将軍の一人であるネルフィが、アクスベルからは白竜牙騎士団長のエイスが派兵された。
その戦いで危機に陥ったネルフィを、エイスが救ってくれた事がある。
その時以来、ネルフィはエイスに好意を持っていた。
「正直、エイスさんがやって来た時は運命的なものを感じたわ。こんな偶然ってないでしょ?」
だが、エイス程の人物が単に物見遊山で現れるとは考え辛いため、最初は気づかないふりをしてエイスの事を観察していた。
ネルフィもスウェンジーの将軍だ。自国のために、他国の英雄が密かに現れたとなれば、何か国家的な企てがあるのではないかと警戒せねばならない。
だが暫く接した所――エイス本気で騎士を辞め家族旅行をしているだけのようだった。
アクスベルの軍神とまで言われ、世界最強との誉れも高い英雄が、である。
全く信じがたい事だが、そういう所も好ましい。
「あはは。ロマンチックだね、ネルフィお姉ちゃん」
「そうよー? リーリエちゃんの事は私が必ず守るわ。じゃないとエイスさんに嫌われちゃうからね。だから怖いと思うけど、この宿にいてもらっていい? エイスさんも呼び戻しに行って貰ってるし、冒険者ギルドの腕利きも連れて来るから」
「……」
「お願いよ。ここで止めないと、次は誰の所が襲われるか分からないの――ここでなら私もいるし止められるわ、絶対! 私この街が好きだし、この国の将軍としても放っておけないの!」
「うん――いいよ。お姉ちゃん」
「ありがとう、リーリエちゃん!」
こうして、リーリエとネルフィはあえて宿に留まる事になった。
冒険者ギルドから腕利きの冒険者を選りすぐって、宿の中に潜ませた。
そうして手ぐすね引いて賊を待ち受け、夜も更けて――
眠ってしまったリーリエを見守りながら、ネルフィは部屋で時を過ごしていた。
エイスはまだ戻っては来なかった。
使いは出したが、まだ発見できていないのか、戻るのに時間がかかっているのか――
「ったく、来るならさっさと来なさいよね――どうせ私にやられるんだから」
そういう独り言を何度か漏らした後に――
「来たぞおおぉぉぉ! 賊だーーーっ!」
「みんな集まれえぇぇーーー! こっちだーーーーッ!」
階下からそう大声が聞こえた。
「来たわね……!」
リーリエはまだ眠っていた。あえて起こすこともない。
ネルフィは結界でリーリエを包むと、それを控えていたゴーレムに抱えさせた。
「ゴーレム! おいで!」
ネルフィはゴーレムを引き連れ部屋を出ると、階段を下りた。
リーリエは自分の側にいてくれる方が安心だ。
そして、宿の入り口に近い広間に出ると――そこでは剣戟が繰り広げられていた。
「はあぁぁぁぁっ!」
侵入者が鮮やかな剣技で、選りすぐりの冒険者を打ち倒して行くのだ。
「……やるわね――!」
何者かは分からないが、かなりの腕だ。だが――!
「待ちなさい! それ以上はやらせない!」
ネルフィが鋭く警告すると、侵入者が鋭くこちらを見る。
「……貴様は――!?」
「……あんたは……!」
見覚えのある顔だった。
赤い髪をした、アクスベルの女騎士――
確かアクスベルと共同戦線の魔物討伐で、エイスの副官を努めていたはずだ。
討伐後の宴席でエイスに接近しようとして邪魔されたので、ネルフィとしてはあまりいい印象のない相手だった。
「レティシア・レンハート……!」
「ネルフィリア・リノス……!」
二人は睨み合い、お互いの名を口に出した。
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