第10話 ドラゴンに懐かれる天使
「あいつは怪我をして、気が立っているかも知れない。気を付けて近づくんだ」
俺は二人の肩にぽんと手を置く。
その際に、秩序と光の主神レイムレシスの魔術【全防御】を彼女達に掛けた。
あらゆる攻撃から身を護る、防御系魔術の中でも最も万能かつ強力な代物だ。
相応の魔力が求められる最上級魔術だが、今の娘達には必要なものだ。
というより、これ無しで送り出すのは俺の精神が耐えられない。
もし彼女達が傷つけられたら、如何にこの翠玉竜が親とはぐれて、そこを襲われた可哀想な境遇だったとしても、俺は奴を粉々にするだろう。
これは、そんな悲しい事態にならないようにするための配慮である。
「うん――!」
「がんばる!」
二人がそっと、翠玉竜に近づいて行く。
翠玉竜は警戒しているのか、低く唸り声を出す。
「大丈夫だよ――怖がらないで……!」
「あのね! あたし達ね――! あ、そうだ……!」
と、ユーリエは何か思いついたようで、その場に寝転がって、うんうん唸り出した。
「うーん、うーん。痛いよぉ、痛いよぉ!」
それを見て何か察したリーリエが、オホンと咳払いしてユーリエの前に立った。
「よぉし、わたしが治して差し上げましょう――! ええいっ!」
と寝転がるユーリエに触れる。
「あ! わぁ治ったあ! もう痛くないよ、ありがとう!」
ユーリエは、立ってはしゃいでぴょんぴょんと飛び跳ねる。
つまり――自分達が何をしたいのか、を動きで伝えたのだ――
中々の機転と言おうか、ユーリエはやはり聡い子だ。
俺としては、天使達の可愛らしい寸劇にすこぶる満足だった。
が――実際この翠玉竜に伝わったのだろうか?
「……あっ!」
「分かってくれた!?」
彼女たちの顔がぱっと輝いたのは、首をもたげて唸っていたドラゴンが、ぺたんと地面に伏せたからだ。
この子達の意思が伝わったからなのか、単に力尽きたのかは分からないが――
分かってくれたという事で構わないだろう。
彼女達の目から見る世界は、優しい行動には優しい結果が帰って来ると、そう信じられるものであって欲しいと俺は願う。
だから、伝わったのだと信じるのだ。
「二人とも、今のうちに……!」
「「うん――!」」
リーリエとユーリエがタタタと翠玉竜に駆け寄り、傷ついた鱗に手を触れる。
そこには淡く優しい水色の光が生まれる。治癒術の光である。
それが、見る見る間に翠玉竜の傷を塞いで行く。
それを見た周囲の人々が、口々に言い合っていた。
彼等は後方で、成り行きを眺めているのだが、話している内容は聞こえた。
「あの娘達、治癒術師なのか……!」
「見ろよ、見る見る傷が治ってる! 奇跡みたいだ!」
「ありゃあ助かるぞ、あのドラゴン!」
「治癒術師と言えば、相当な腕前の魔術師なんだろ? あんなに小さいのに凄いな」
「あれを神童って言うんだろうさ――」
そうだろう。そうだろう。
「ぐふふふ……」
俺は思わず、口元を緩めていた。
不思議なもので、自分をいくら天才だの最強だの軍神だのと持ち上げられても微塵も心に響かないが、娘達を褒められると凄まじく響くのだ。
自分がぐふふと笑う事があろうとは、自分自身に少々驚きである。
こんな自分の知らない一面を知る事が出来るのも、彼女達がいてくれるおかげだ。
やはり彼女達と共にいる事で、俺の人生も豊かなものになっていく。
それは間違いのない事実だろう。
「しかしドラゴンって治癒術で治るんだなー」
「ん? 治っちゃおかしいのか?」
「いや、魔物には治癒術は効かないって言うだろ……?」
「え? そうなのか……?」
「あーあ。お前魔術に疎いよなあ」
「知るかよ! 治癒術なんて高けえモン、俺ら庶民には縁がねえからな!」
そんな声も聞こえて来た。
確かに、治癒術師に治癒術を掛けてもらうには、高い治療費がかかるのが一般的だ。
治癒術師は数が少なく希少なため、殆どの場合は王侯貴族のお抱えとなる。
市井で診療所を開く者もごく稀にはいるが、それは変わり者で、本当に稀である。
殆どの者は、その姿を見た事も無いだろう。
また、魔物に治癒術が効かないのはその通りである。
が、この翠玉竜には治癒術が効く。
つまり魔物ではないのだ。
が地竜には効かない。
ドラゴンと言うのは複雑な種族で、魔物である者とそうでない者がいるのだ。
そういう話を理解するには、そもそも魔物とは何か? を知っておく必要がる。
魔物とはすなわち――混沌と闇の主神ゼノセドスが生み出した生物の事を指すのだ。
この翠玉竜は、秩序と光の主神レイムレシスが生み出したものとされている。
地竜は混沌と闇の主神ゼノセドスが生んだ種族だ。
同じドラゴンと呼ばれていても、本質が違う。
ちなみに人間は、全ての神による合作なのだと言われている。
それ故、全ての神の守護紋が現れる可能性がある、と。
研究者などドラゴンについて詳しい者は、彼等を区別するために、光竜と冥竜という呼称で切り分けを行うのである。
翠玉竜は光竜。
地竜は冥竜だ。
そして愛と水の神アルアーシアの治癒術は、厳密に言うと光竜をはじめ、光の主神レイムレシスに由来する生物の傷を癒す効果を持つのである。
混沌と闇の主神ゼノセドス由来の生物には、逆に毒にもなる。
人間は全ての神の合作ゆえにどちらの主神にも由来するのだが、光の主神レイムレシスに由来しているという事実が優先されるようで、治癒術の効果がある。
先程観衆の中から治癒術で翠玉竜が治る事を不思議がる声があったが、実は何も不思議な事は無い。
普通の人間が一番身近に見るドラゴンは地竜だろうから、皆その特性と同じと思い込んでいたのだろう。
「クオォォォォンッ!」
翠玉竜が元気よく、遠吠えを発した。
すっかり傷は癒えたように見える。
感謝の気持ちの表れか娘達に鼻先を擦り付け、細長い舌でペロペロと頬を舐めていた。
「あはははっ! くすぐったいよぉ!」
「良かったね! 元気になったね!」
無事、助かってくれたのなら結構な事だ。
彼女たちの人生の成功体験が、一つ増えたのだ。
その現場を見られて、俺も嬉しい。
俺は彼女等に近づき、その頭を撫でた。
「二人ともよくできたな。立派だったぞ」
「えへへ~うんっ!」
「ねえねえエイス君、あたし達ミルナーシャ様みたいだった?」
「ああ、そうだな。みんな君達を褒めていたぞ」
二人はえっへんと、鼻高々な様子だった。
「さぁ、この子は家に帰りたがっていたんだろう? 離してあげようか」
「そうだね! 元気でね、ドラゴンさん! バイバーイ!」
「もう怪我しないように気を付けるのよ?」
二人は手を振り、翠玉竜と離れようとしたが――
「クルォッ♪ クルルルゥゥゥ♪」
その小屋程度はある巨体が、娘達のすぐ後を付いて歩いて来るのである。
「あれ? ついて来るの~?」
「あはははっ! 大きいけど、可愛いね」
その後暫く様子を見てみたが、全く離れる気配は無し。
これはどうも――懐かれてしまったようだ。
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