第9話 傷ついた翠玉竜《エメラルドドラゴン》
俺達は順調にアクスベル領内を進み、隣国スウェンジーとの国境まであと一、二日の所まで到達していた。
もしかしたら追手がかかるかもしれないと考えていたが、それもこれまで杞憂だった。
リジェール殿やフリット殿ならば、陛下の目を盗んで仕掛けて来ても可笑しくは無いのだが――陛下が上手く手を回して下さったのだろうか。
何にせよ、のんびりと旅を楽しむ事が出来るのは、結構な事である。
「ねぇエイスくん。もうちょっとしたらスウェンジーに入るんだよね?」
「ああ、そうだな。明日か、遅くても明後日には」
「じゃあ、スウェンジーの大きな街に付いたら、冒険者ギルドに行かせてくれる約束だよね!? 忘れないでね!」
「ああリーリエ。ちゃんと覚えているよ」
伝説の治癒術師『聖女ミルナーシャ』は、冒険者ギルドの冒険者をしながら、世界各地を巡り多くの人々を救ったとされている。
その伝記を絵本で読んだ二人は、同じ治癒術師として強い憧れを抱いている。
だから、彼女の真似をして冒険者になりたがっているのだ。
別にその事自体は悪くない。可愛らしい子供の憧れであるし、微笑ましいものだ。
ただ、アクスベル領内で依頼を受けて時間を潰してしまうのは如何なものかと思えた。追手があるかもしれないからだ。
そういうわけで、冒険者ギルドへ行くのは国外に出てからにしようと、娘達には言ってある。ふたりはもう、待ちきれない様子なのである。
二人が冒険者ギルドで依頼を受ける時は、俺は保護者として付いて行く事にしよう。
俺も昔は冒険者ギルドに登録してエイミー姉さんと依頼をこなして生活をしていたのだが、まだ籍はあるのだろうか? もう十年以上も昔の話だ。
「エイス君も、昔冒険者だったんだよね?」
「まあ俺と姉さんは田舎の村に定住していたから――冒険しているわけではなかったんだがな。だが、依頼の報酬で生活していた」
「どんな依頼をやっていたの?」
ユーリエは興味津々に聞いて来る。
「そうだな――俺が二人の年齢の時には、地竜を狩ったりしていたかな。たまにしか現れないが、報酬がよかった」
「「へえええぇぇ~」」
と目を輝かせる二人であった。
「じゃあわたし達も、ドラゴンを倒せるようにならないとだね!」
「うん。でもドラゴンってどのくらい強いのか、分からないわね――」
「戦ってみればわかるよ! 今度ドラゴンを見たら戦ってみよ!」
「うんそうね、リーリエ」
「いや待て止めてくれ。危ないから――」
しまった余計な事を言ったかも知れない。
俺はまだ子供だったから、薬草取りくらいしかしていなかった――と言うべきだった。
つい素直に答えてしまったが……これで子供達が変な無茶をしたら俺のせいだ。
子供達と話すのは最高の癒しだが、こういう所で油断が出来ない。
正直矛盾するとは自分でも思うが、八歳の俺はドラゴンと戦っても良かったが、この娘達はダメだ。絶対に。
二人が力不足とは言わない。多分狩ろうと思えば狩れる。
しかし――! 怪我をしたらどうするのか! 俺は許さない!
今ちゃんと釘を刺しておかないと――
俺がそう思った瞬間の事である。
「ド、ドラゴンだあぁぁぁぁーーっ!」
荷馬車の前方から、そんな叫び声が聞こえてきたのである。
「「ドラゴン!?」」
二人の顔がぱっと輝く。
「何ぃ!?」
何て間の悪い!
「「わーい!」」
俺が何か言う前に、二人が荷馬車から飛び出して行く。
ええい――こうなっては仕方がない!
もう俺が先に行って、とにかくドラゴンを仕留めてしまおう。
話はそれからだ――!
大丈夫だ。俺は地竜程度なら三つ数える間に粉微塵に出来る。
俺は今まで、自分の力を有難いなどと思った事は特に無かったが――
今度ばかりは話が別である。
我が家の天使達が無茶をして怪我するのを、未然に防げるのである。
その価値は計り知れない。
俺にとっては千軍や万軍を退ける事よりも、余程価値のある事である。
今度ばかりは、無駄に二十六もの守護紋を俺の身に宿してくれた神々に感謝をしよう。正直六、七もあれば十分過ぎるので、そんなにいらないと考えていて申し訳ない。
「ビュービュー。ここで待っていてくれ」
そう言い置いて手綱を離すと、俺は自由と風の神スカイラの魔術による高速移動で子供達を追い抜き、声のした方に迫る。そこには、人だかりができていた。
小屋ほどの大きさの竜の様子を、遠巻きに眺めている。
本来ならのんびり眺めている場合などではなく、逃げた方がいいのだが――
それには理由がある。
ドラゴンがひどく傷ついており、今にも命が無くなりそうだったからだ。
しかもそのドラゴンは、ドラゴンの中では比較的よく現れ人を襲う地竜ではなく、宝石のように煌めく緑の鱗を持つ翠玉竜だった。
翠玉竜は非常に希少で、魔素の潤沢な深い森のような秘境にしか生息していない。俺も人生で二、三度しか見た事は無い。
こんな街道沿いにいる事は、驚愕すべき事である。
体の大きさからしてまだ幼い、幼生体だろうか。
俺が見た翠玉竜はこの数倍は大きい。
もしや子供だから、親とはぐれて迷子になったのだろうか――
それにしてもひどい怪我だ。
翠玉竜は、質のいい魔素を吸収して生きているため基本的に食事らしい食事をしない。幼生体のうちはまだ魔素の吸収能力が未熟で物理的な食事をするが、それも草食だ。
つまり人は襲わない。非常に温厚なドラゴンなのである。
それがこんなに傷ついているのは――誰かに襲われたのだろうか。
あの宝石のような鱗は、売れば極上の武具の素材になる。
俺は人だかりの目の前に着地すると、そちらに尋ねた。
「つかぬ事を聞く。これはあなたたちがやったのか?」
「いや、俺達も通りかかっただけだ。最初からこいつはこうだったよ」
だとしたら、どこかから命からがら逃げて来たのか。
しかしもうこれでは、助かりそうにない。
「「ドラゴーンっ!」」
そこに無邪気にやって来る、我が家の天使達。
俺の真似をして、リーリエの魔術でユーリエも連れて飛んで来た。
しかし深手を負った翠玉竜の様子を見ると、表情が変わる。
「あ……エイスくん! あの子……泣いてるよ?」
「うん……痛いって――帰りたいって」
言葉の通じぬ者の声に敏感なのも、愛と水の神アルアーシアの守護紋の力だ。特に子供のうちはそうらしい。
エイミー姉さんも、昔は動物の感情が何となく分かったらしい。
大人になるにつれ、そういう感性は失われて行ったそうだが。
「エイス君! あのね、あたし達――あの子の傷を治してあげたい!」
「うん! ねえいいよね!?」
二人が真剣な眼差しで、俺を見つめた。
何て心の優しい子達だろう――素晴らしいではないか。
俺はその純粋な心を見守って、育てて行かねばならない。
「ああ――構わない。何かあったら俺が助ける」
俺はそう頷いた。
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