4 ドラゴンさん、人と出会う
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「も……、……っと、ね……!」
なんだろう?
気持ちよく寝ていたら、誰かの声が聞こえた。
まだ眠いんだけどなあ。
「んー?」
「あ、やぁっと起きましたね!? って、ちょっと! 寝なおさないでくださいよ! こらー!」
うう。
今度は声だけじゃなくて、何か棒みたいな物で肩を押される感覚。
竜の鱗に守られているはずなのに、今はどうにもこそばゆいというか気になって仕方がなかった。
この叫んでいる人はどんな魔剣や聖剣でつついているんだろう?
というか寝ている竜を起こすって、すごい勇気のある人だ。
「なぁに? 僕、まだ眠いんだけど……」
「眠いってなに言ってるんですか!? ここ、ダンジョンなんですよ!? こんな所で寝てたらすぐにモンスターに食べられちゃうんですからね! っていうか、どどどうしてこんな格好で、こんな場所で、寝てるんですか!?」
なんだか、すごい困っているような?
それに無性に気になる言葉がたくさん聞こえたような?
ダンジョン? モンスター? こんな格好に、こんな場所?
そもそも、寝る前に何かあったんだっけ?
えっと、言われてみれば色々と大変な事があったような……目を開けて頭を掻こうとして気づいた。
目に映る、人間の手に。
「あ、そうだ!」
「きゃあああああっ!」
飛び起きる。
思い出した。
僕は死んだと思ったら人間になっていて、迷宮かもしれない場所にいて、兎の魔物とかたくさんの魔物に襲われそうになって、それを倒しちゃったりして……。
「僕、気を失ったんだっけ」
血を吐いて、倒れたはず。
見下ろしてみると胸の辺りに赤黒い汚れがついていた。
匂いを嗅いでみるまでもなく、自分の吐いた血だとわかる。
それにしても、血を吐いたり、気絶したりしたのはなんだったんだろう。
竜の闘気法を人間の体で使ったのがいけなかったんだろうか?
そもそも、ただの威嚇のはずが魔物を全滅させてしまったみたいだけど、どうなっていたんだろうか?
夢じゃないかとも思ったけど、血の跡もあるし、手に捕まえていた兎の魔物の死体もそのままなのだから、現実なのは間違いない。
「ちょっと、いきなり起きないでくださいよ! いえ、起きてもいいですけど、折角わたしが隠してあげたのに、外れちゃったじゃないですか!」
僕が考え込んでいると再び声がした。
声の方を見ると人間の女の人が立っている。
いや、これぐらいの小さな女の人は少女って言うんだっけ?
人間の区別って難しいけど、なんとなく『あの人』みたいな大人じゃない気がする。
最初に思ったのは『小さいなあ』だ。
今は僕が座ったままだからわかりづらいけど、彼女の背は僕が立った時の胸ぐらいしかなさそう。
黒いワンピースを着ていて、そこから伸びる手足が本当に細い。
僕よりもずっと肉がついていなくて、頼りないというか、なんだか見てると心配になってしまうぐらい。
長い木の杖は抱きしめるみたいに支えているけど、さっき僕の肩を突いていたのはこれなのかな?
両手で顔を覆って隠しているけど、指の隙間からは群青色の目が、チラチラと僕の方を見ているのがわかる。見ているのは……僕の顔とか、胸とか、お腹の辺りとか?
薄紫色の長い髪を揺らして、まるでしっぽみたいだなあ。
それにしても、ちょっとだけ見えるほっぺとか耳がまっ赤なのはなんなんだろう?
「も、もう! 何か返事ぐらいしたっていいじゃないんですか! あ、もしかして、元気そうに見えましたけど、本当はどこか具合が悪いんです?」
怒っていたはずなのに、なんだか途中で心配になったみたい。
ぐるぐると表情が変わって面白い人だ。
しばらく、ぼうっと彼女の様子を眺めて、ふと気づく。
彼女は僕が人間に生まれ変わってから初めて出会った人間じゃないか!
うわあ、緊張してきた!
どうしよう、どうしよう、どうしよう!
人間と仲良くなりたいって思っていたけど、こんな急に出会えるなんて思ってなかったから、どうすればいいか全く考えてなかったし、心の準備もできていない!
「ね、ねえ、本当に大丈夫ですか? そのぅ、も、もしかして、あなたってダンジョンに置き去りにされちゃったんですか? だとしたら、ショックなのはわかりますけど、ええっと……元気出してください! ほら、色々と辛かったかもしれないですけど、一応は無事みたいですし、こんなに優しいわたしに見つけてもらえたんですから!」
ああ、彼女が色々と話しかけてくれているのに、何を言っているか半分も頭の中に入ってこない。
なんだか励ましてくれているのはわかるけど、このまま黙ったままだったら暗い奴だなんて思われてしまうかもしれない。
「あのぅ、無視する事はないんじゃないですか? 別に、寂しいとかじゃないですけどね?」
ほら、彼女がもにょもにょしだしているじゃないか。
何か、何か話さないと。
って、何を話せばいいんだろう?
こんな事になるんだったら、もっと考えておけばよかった!
あ、そうだ! さっき練習したじゃないか!
「こ、こんにちは!」
「え? あ、はい。こんにちは?」
やった、挨拶を返せてもらえたぞ!
今まで吼えるしかできなかったから、怖がられて逃げられて石を投げられるだけだったからすごい嬉しい!
けど、彼女は不思議そうな感じで首を傾げている。
ん、何か間違えたかな?
「あ、もしかして、こんにちはじゃなかった? おはよう? こんばんは?」
「いえ、時間はお昼過ぎですからこんにちはでいいんですけど、ああ、もう。本当に変な人ですねぇ」
笑われてしまった。
何がいけなかったんだろう?
僕が不思議に思っていると、彼女は大きく息を吐いてから、僕の顔をじっと見つめてきた。
「とりあえず、元気そうで安心しました。その血も乾いていますし、怪我が残っているわけじゃないみたいですね」
胸についた血の跡に触ってみるともうすっかり乾いていた。
強く拭ったら簡単に落ちていく。
うん。元気だ。
血を吐いたりしたけど、それももう平気で、痛くもかゆくもない。
昔から怪我をしてもいっぱい寝たら治ったんだけど、人間になっても変わらないんだな。
傷がないのを見て安心したみたいで、彼女はほっとした様子になったけど、でもすぐにまた僕の顔をじいっと見つめてくる。
『あの人』も人と話す時は相手の目を見るって言っていたもんな。
彼女はしっかりそれをやっていてえらい。
僕も真似して、見つめ合う。
「それで、色々と聞きたい事があるんですけど、その前にいいですか?」
「うん。なに?」
ますます彼女の目に力が入ってくる。
見つめ合うというか、ちょっと睨み合うぐらいな感じな気がした。
「えっと、そのぅ、ですね。わかりません?」
聞きたい事があるならはっきり言ってほしい。
わかるかと聞かれてもさっぱりだ。
先に目を逸らしたのは彼女の方だった。
さっきみたいにまた顔を赤くして、チラチラと僕の胸とかお腹を見てくる。
そこに何かあるだろうか? ううん、何もないよな。
「もう! 少しは察してくださいよぅ! あなた、どうしてダンジョンの真ん中で裸なんですかっ!?」
僕はもう一度自分自身を見下ろしてみた。
そこには人間の体がある。
足元に黒い布があったりするけど、これは彼女の物だろうか?
けど、裸ってなんだっけ?
……ああ、裸って確か服を着ていないことだったっけ?
そういえば、人間はいつも服を着ていたかもしれない。
「うん、裸だね」
そのまま頷いたら、彼女は悲鳴を上げてしまった。
「どうしてそんなに堂々としてるんです!? 恥ずかしくないんですか!?」
「恥ずかしい事なんて何もないよ?」
「変態です!?」
「そうなの? でも、僕は服なんて着た事ないんだけど」
「ただの変態じゃないです! ハイレベルすぎますよ!? そんなに自分の体に自信でもあるんです!?」
「うん! (人間って)すっごい良い体だよね!」
「そんなキラキラと目を輝かせて同意を求めないでください!」
え、僕の体って変なの?
人間から見たらどこかおかしいの?
折角、人間になれたと思ったのに……。
「そこで本気で悲しそうな顔しないでくださいよぅ。そ、その、よく知らないですけど、いい体してると思いますよ? って、何を言わせるんですか! もうやだぁっ! なんか全然意思疎通できてる気がしません!」
確かにそれは僕も同感だった。
人間の言葉は話せているはずなんだけどなあ。
ちょっと涙目になってしまった彼女に悪い気がしてきた。
僕に悪気がないのはわかってくれているのか、彼女は大きな溜息を吐くと、目を逸らしたまま僕の腰の辺りを指差してきた。
「と、とにかく、まずは下だけでも隠してください。あなたは恥ずかしくないかもしれませんけど、わたしは恥ずかしいんですから。うぅ、初めて男の人の見ちゃいました……」
そうなんだ。何がいけないのかわからないけど、悪い事をしてしまったのはわかった。
相手の嫌がる事はしちゃいけないよね。
それにしても隠すってどうしよう?
どうやら彼女が腰の辺りを隠せと言っているのはわかるんだけど、僕の持ち物なんて何もないからどうやって隠せばいいのか……。
いや、これがあったんだ。
「……よし!」
「って、なんで道連れ兎で隠すんですか!? しかも、ちょっと満足げだし! もしかして、その角があなたの男の人の象徴とか言うつもりですか!? わたしが掛けてあげてたローブがありますよね!? それ、使っていいですからぁ! あ、もういいです! ちょっとじっとしていて下さい!」
言われた通り足元にあった布を手に取って、どうやって隠せばいいか考えていたら、最後は彼女が真っ赤な顔で、涙目のまま素早く僕の腰にローブを回して、キュッと結んでくれた。
おお。これなら手を離しても落ちない。
「ありがとう!」
なんだか、色々と迷惑を掛けてしまっているみたいだけど、こうしてお世話してくれる彼女はいい人みたいだ。
お礼を言うと、何故か彼女は肩を落としてしまった。
「……ああ、もう。本当にあなた何者なんですか?」
「僕? 僕は……」
なんて言えばいいのかわからなくてちょっと考える。
正直に言ったら怖がられたりしないかな?
でも、彼女はいい人みたいだし、きっと大丈夫だよね。
それに嘘は良くない。
「前は竜だったんだけど、いつの間にか人間になってここにいたんだ」
「は、はい? 竜? 竜ってドラゴンの事ですよね? それが人間になった? 何を言っているのか……」
彼女はよくわかっていないみたい。
でも、怖がられてはなさそうだから安心した。
これなら、きっと大丈夫だ。
よし。このままお願いしてみよう。
「あの!」
「は、はい。なんですか?」
首を傾げていた彼女が顔を上げた。
その目をまっすぐに見つめて、一度深呼吸してから、勇気を振り絞って言う。
「僕とお友達になってください!」
「え、それってお友達からでいいからお付き合いしてくださいって事ですか? ちょっと、困っちゃいますよ? わたしが奇麗で、優しくて、すごい魔導使いだから一目ぼれしちゃうのは仕方ないかもしれないですけど……変態の人はさすがに……でも、悪い人じゃなさそうだし友達からなら……けどけど、ドラゴンとかわけがわからないし……うーん」
ブツブツと言いながら考えている彼女の返事を待っていると、知らない誰かの声がした。
『これは大物なのか、大バカなのか、変なモノがいたものね。とりあえず、シアン。あなたは落ち着きなさいな』
見回してもここには僕と彼女しかいない。
「え、誰?」
『ここよ』
またさっきと同じ声。
声が聞こえてきた彼女の足元に目を向けると、その足の間からスルッと前に出てきたのは黒い四足の動物と目が合う。
「猫?」