3 ドラゴンさん、ほえる
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「うーん。人間がマナを生命力にするとこんな感じになるのかな? でも、『あの人』はこんな風になってるの見た事ないし」
ぐるぐるぐるぐるぐる
考え込んでいると、とうとう変な音まで鳴り始めた。
あと手の中で揺れている兎の魔物。
これもなんだか、変だ。
死んだふりをしていて、実は生きていたとかじゃない。
間違いなく死んでしまっている。
変なのは、兎を見る僕の目の方。
兎から目が離せない。
手放すとか考えられない。
なんなんだろう、この気持ちは。
お腹のぐるぐるとも繋がっているような……人間の本能がうずいている?
でも、こんなの普通じゃない。
いきなり、人間はこんな風になるなんて、僕は知らないし、『あの人』だって言っていなかった。
「兎が変になったの?」
そうとしか思えない。
兎は死ぬとこうなってしまうなんて知らなかった。
でも、何が変わったんだろう? 見た感じは同じだし、変な音が聞こえるわけでもないし……そうか、わかった。
「いい匂い……」
人間の鼻だと違いがわかりづらかったけど、顔を近づけたら気づいた。
なんだか、兎の匂いがすごく、そう、すごく、いい。
あまり言葉を知らない僕では、とても言い表せないぐらいに。
目眩に近い感覚だった。
この感覚に似ているのは、昔『あの人』に初めて出会った時の事。
まだ小さくて弱かった僕を助けてくれた『あの人』が、その体から直接生命力と魔力を分けてくれた時に似ていた。
あの時、体と心が満たされる気持ちになったのを覚えている。
「でも、これは生命力でも、魔力でもないんだけど」
そもそも生命力にも魔力にも匂いなんてない。
感じは似てはいるんだけどなあ。
「ん?」
そこまで考えを進めたところで、今度は耳が音を拾った。
広場に響いてわからないけど、どこからか音が聞こえる。
それらは段々と近づいているのか、どんどんと大きな音になっていた。
これ、知ってるぞ。
わりと竜の時によく聞いた音だ。
印象に残っているのは『あの人』がいなくなってしまった後の戦場とか、迷宮と戦った時とか、他にも住処にしていた森でとか。
具体的に言えば、魔物の群れが押し寄せて来る時の喧騒。
獣が地を蹴る音。
理性のない咆哮。
硬質な牙や爪の擦過。
本能に乱れた息遣い。
そんなあれこれが混ざった音の連鎖が聞こえてくる先に気付く。
広場に繋がっている洞窟――その全部からだ。
「なんで!?」
洞窟を歩いていた時は、魔物なんていなかったのに。
それがどこから現れて、このタイミングで襲い掛かってくるのか、さっぱりわからない。
いや、頭の悪い僕でもこの兎の魔物が原因なんじゃないかなってぐらいはわかるけど、どうしたらこの状況がよくなるのかがわからない。
頭を抱えてしまいたいけど、両手は兎で塞がっている。
いや、置いてしまえばいいんだけど、どうしてか手放したくない。
「でも、昔みたいに魔物がくるんだったらまずい」
竜の時の僕でも、魔物の群れには苦労した。
ただの魔物ならいいけど、強力な魔物が相手だったら無傷では済まない。
しかも、数が多いとなると尚更だ。
はたして、人間の体に慣れない僕でも勝てるだろうか?
うーん。難しそう。
数が多いならドラゴンブレスで一気に倒すのが簡単だけど、人間はブレスを使えないだろうし。
魔法が使えたら便利そうだけど、僕はマナを魔力にできても魔法なんて使えないし。
「ちょっと困ったぞ」
あ、洞窟の向こうが赤く光り始めた。
あれって魔物の目が光ってるんだろうなあ。
いっぱいだなあ。
すぐにここに来ちゃうんだろうなあ。
しょうがないよなあ。
「よし。やろう」
決めた。
魔物を倒す。
強いか弱いか、数がどれだけ多いか、考えても仕方ない。
どうせ考えるなら戦い方を考えよう。
「って、ひとつしかないや」
ブレスは吐けない。
竜の体はない。
人間の魔法は使った事がない。
使えそうなのは闘気法――生命力に転換したマナを使った戦闘方法だけ。
慣れない人間の体で使うのはちょっと不安だけど、できるかどうかなんてまずはやってみないとわからないんだから、ぶっつけ本番でやってしまおう。
そうと決めたら深呼吸。
さっきの兎の時よりも深く、大きく、長く吸い込むと、迷宮の濃厚なマナが胸の中央で熱く燃え上がった。
すぐに竜の魂魄によってマナは生命力に変換されて、全身を駆け巡る。
やっぱり、前よりも強く激しく生命力が感じられて、まるで体の外にまで溢れ出すようだけど、これが人間の感覚なんだ。
感覚の違いなんて慣れていけばいい。
今は生命力のコントロールに集中だ。
イメージはドラゴンブレス。
本当なら『あの人』がやっていたみたいに使った方がいいんだろうけど、僕は竜としての戦い方しか知らないから。
ドラゴンブレスは魔力で撃つものだったし、竜だけの能力だったけど、人間にだって近い事はできるだろう。
きっと、できる。
人間だって息を吸って、吐いているのだから。
闘気法――竜撃:砕嵐竜『真竜の咆哮』
「ぅぅぅぅぅううううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
吼えた。
吸った空気を全て声にして放つ。
ただの声じゃない。
竜の気配が宿った咆哮だ。
この声を聞けば魔物は怯んで、逃げ出すに違いない。
竜の時はまずこの威嚇で魔物の勢いを落としていたから、僕の使い慣れた技のひとつで、それなりの自信がある。
けど、結果は僕の想像とは違った。
「あれ?」
生命力が乗った声――爆音は一瞬で広場を満たす程に膨れ上がり、空気の壁となって全ての洞窟の中へと殺到していた。
イメージとか、印象とかじゃなくて、本当に、実際に、現実に、それが起きている。
それらが洞窟の奥、魔物の群れとの接触するのもすぐだった。
群れの先頭が空気の壁に触れると同時、膨れた空気が破裂する。
次の瞬間には、もっと大きな爆音が響き渡った。
続くのは強烈な波の通過。
すごく強くて、すごく速い、音の波が吹き飛んでいく魔物をさらに弾き、引き裂き、叩きつけ、押し潰していったのが見なくても感じられた。
砕けた天井の鍾乳石や岩がパラパラとゴンゴンと落ちてくる。
「えっと……う、ごほっ、けほっ」
人間の喉は大きな声を出すと痛くなるらしい。
だいぶ混乱しているけど、今は魔物を警戒する方が大事だ。
咳き込みながら警戒を続ける。
衝撃で洞窟だけじゃなく広場も揺れて、鍾乳石のいくつかが折れて落ちてくる中、僕は洞窟の先をしばらく睨んだ。
土埃が広場にまで流れ込んできてよく見えない。
でも、揺れが収まって、それからもう少し待ってみても、どの洞窟からも魔物の群れが再び押し寄せてくる気配はなかった。
どうやら、今ので魔物たちを撤退させられた、というか倒しちゃったみたいだ。
安心して、今度は普通に息を吐く。
「よかった。うまくいって?」
正直、ただの威嚇でこんな破壊が起きてしまったのは想像していたなかったけど、なんだか、さっきまでしていた兎の匂いもしなくなっているし、お腹の変なのも大丈夫になっている。
原因も解決した理由もさっぱりだけど、大丈夫ならうまくいったんだろう。
「これで出口を探しに行けそう――」
ん? なんだか、喉の奥というか、お腹が熱いような?
マナの熱とはまた違った、生々しい感じだけど、なんだろう?
「ごはあっ!?」
いきなり吐血した。
わりと盛大に。
え? 僕、怪我してないよね? なんで、血なんて吐くんだ?
わけがわからない。
マナを生命力にすれば、感覚が鋭くなって、体が強くなって、怪我も普通より早く治るはずなのなのに、逆に血を吐くってどういうこと?
ちゃんとマナは生命力になっている。
これは間違いない。
竜でも人間でも同じだ。
ちょっと前よりも強くなっているような気がしていて、体からドバドバと漏れ出している感じもするけど、違いなんてそれぐらいしかない。
……あれ? 生命力、本当に溢れちゃってる?
普通、生命力は体の中にしかない。
魔力なら体外に出る事もあるけど、生命力は例外なく体内で生み出されて、体内で作用する。
なのに、体の外にそれが出ているとしたら。
「どうなるんだろう?」
僕は首を傾げて、そこでぐらりと視界まで傾いた。
どうやら足腰に力が入らなくて、倒れてしまったらしい。
バタンと倒れたまま動けない。
「あれ?」
そして、そのまま意識を失ってしまうのだった。