30 ドラゴンさん、着替える
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「レオン君、どんな感じー?」
「えっと、なんだか変な感じ?」
初めて着た服はちょっと動きづらかった。
ずっと肌に布の感触があって、落ち着かない。
けど、これが人間の普通なんだから、これから慣れていかないと。
「似合っているよー。ねえ、シアンさん」
「――え、ええ。えっと、その、否定は、しません。なんですか、素材がいいなぁなんて思っていましたけど、これは反則ですよ。ずるいです」
マリアに声をかけられて、それまで僕をじぃっと見ていたシアンは何かぶつぶつとつぶやいている。
着ている途中からこんな感じになっちゃったけど、どうしたんだろうか?
まだ、疲れているのかもしれないなら心配だ。
「ほらー、レオン君も自分で確認しないとー。本当に似合っているんだよー? 我ながらー、いいセンスだと思うなー」
わざわざ他の部屋から持ってきてくれた鏡に映る姿を見つめる。
そこに映るのは一人の人間の男の人。
最初に黒い瞳と目が合う。
目と耳がふたつずつに、鼻と口がひとつずつ。
なんというか、のんびりした顔をしているなあ。
銀色の髪はちょっとぼさぼさしていていて、シアンやマリアとは違う感じだし、人間って本当にひとりひとりで違うんだなとよくわかった。
あとこれは前からわかっていたけど、体はもうドラゴンとぜんぜん違う。
完全に人間の手と足で、前と比べたら細くてちょっと不安だ。
でも、こうやって見てみると人間になった実感が改めて出てきた。
「本当はー、もっと違う色でアクセントを出したかったんだけどー、ギルドにある服って汚れの目立たない色ばっかりなのー。せめて、腕まくりしちゃおうかー?」
マリアがいろいろと服をいじってくる。
着させてもらった服は黒ばっかり。
これは確かシャツとズボンという物だったはず。
この下にも下着というのも着なくてはいけないらしくて、最初は本当に変な感じだったけど、もう慣れた。
シアンからもらったローブはそのまま腰に巻いている。
ボロボロだから捨てようと言われたけど、これはシアンから初めてもらった物だから大切に持っていたい。
「マリア、ありがとう」
「うふふー、いいのよー。こちらこそー、ごちそうさまー」
ごちそうさま?
僕はマリアに何も食べさせてないはずだけど、どうしたんだろう?
こういうふうに何かのお礼を言われた時の返事は『どういたしまして』だと思ったけど、実は『ごちそうさま』なんだろうか?
よし。言う事があったらやってみよう。
「レオン、そろそろいいですよね?」
シアンが僕とマリアの間ににゅっと入ってきた。
ほっぺをふくらませていて、なんとなく指先でつついてみたくなる。
というか、やってしまった。
「こ、こらぁ! いたずらしないで下さい!」
「ごめん。なんだかかわいくてつつきたくなって」
「――っ、ま、まあ、わたしがかわいいのは事実ですから仕方ありませんけどね! でも、こういうのは時と場合を選んでやってください!」
「人は選ばないんだー」
にんまりしたマリアがシアンの顔をのぞきこむと、シアンはますますほっぺをぷっくらとさせてしまった。
そして、椅子の上で丸くなっていたノクトに話しかける。
「もういいです! ノクト、話を始めましょう!」
『あら、いいのかしら? 負けっぱなしはダメよ?』
「もう、ノクトまで! 真面目にやってください! あ、痛い!」
テシテシと机をたたくシアンだけど、何だか叩いている手の方が痛かったみたいだ。
だいじょうぶかな?
ふてくされて乱暴に椅子に座っちゃったけど。
そんなシアンの膝の上にノクトが登って、マリアが背中からそっと寄り添う。
『そうね。ごめんなさい、シアンがかわいいからついついからかっちゃうのよ』
「そうねー。シアンさんはかわいいからー。かわいいって罪よねー?」
「だ、騙されませんよ? いくらほめたからってわたしの機嫌が直るなんて思わないでくださいね!」
『あら、本当の事を言っているのよ。あたし、嘘が嫌いだもの』
「ええ、私も。ねえ、レオン君も思うわよね? シアンさんはかわいいって」
聞かれたから正直の答える。
「うん。そうだね。シアンはかわいいよ」
「……な、なら、しかたない、ですね?」
ちょろい。
なんだか知らないけど、そんな言葉が頭の中に浮かんだ。
けど、それは絶対に口にしてはいけないって僕の本能が言っているから、お腹の中に飲み込んでおく。
「ほら、レオンもそんなところに立っていないで座ってください。ここが空いてますよ」
ぽふぽふと叩く席に僕が座ると、机の向こう側の椅子にマリアも座って、ようやく話せる状態になった。
『とはいえ、どこから始めたものかしら』
「じゃあー、まずはレオン君はー、初めてみたいだからー」
胸の前で手を合わせたマリアが笑いかけてくる。
「私はマリアねー。ギルド職員でー、主に受付をやってるのー。それでー、シアンさんの専属なのよー」
さっきもノクトがそんな事を言っていたような?
けど、受付とか、専属とかってなに?
僕がわかっていないと気づいてくれたみたいで、シアンとノクトが耳元で教えてくれた。
「ギルドは冒険者にいろんなお仕事を紹介してくれます。たとえば、こういうモンスターの素材がほしいとか、不思議な場所の調査とかですね。そういうお仕事を実際に紹介するのが受付の方のなんですよ」
『専属というのは、有望な冒険者につけられる受付の事ね。その冒険者に適した依頼を用意したり、混んでいる時に優先してもらえたりできるわ』
なるほど、つまり……。
「シアンはすごいんだね」
「ふふ、わかっていますね、さすがはレオンです」
『おバカは幸せね』
どうしてノクトはため息をつくんだろう?
そんな事を僕たちが話している間に、マリアは紙の束を取り出していた。
紙をぺらぺらとめくりながら話を続ける。
「シアンさんの専属だからー、当然、今回の報告も私に届いているわよー。直接じゃないけどねー」
あれ?
笑顔のままだけど、また怖い感じになったよ?
「シアンさんが合同受注したパーティ『大地の斧』が受けた依頼はー、道連れ兎の巣の定例調査だけどー、その途中で大量のモンスターに襲撃されてー、逃げ遅れたシアンさんたちとはぐれちゃったー、だって」
最後の『だって』のところだけ、声が冷たかった。
なんだか知らないけど、冷や汗が止まらない。
なんだか、隣のシアンとノクトもマリアと似たような雰囲気だし。
「へえ、あの方たちがそんな報告をしましたかぁ。わたしを突き飛ばして、マヒ毒で道を塞いで、即座に逃げ帰ってしまったんですがねぇ」
『いい度胸じゃない。そのままギルドに顔を出さずに街から逃げていたなら泣き寝入りするところだったけど、報告をしたのならまだ冒険者なのよね?』
「はいー。恥知らずに冒険者を続けるみたいですよー?」
そろって笑い出した。
怖い怖い怖い。
これならモンスターに囲まれた方がいい。
いつまでも続きそうだったそれを止めたのは、一度大きく息を吐いたマリアだった。
「けどー、シアンさんもわかっているわよねー? 冒険者ギルドが掲げる理念は『公正』だってー」
「ええ。もちろんです。つまり、マリアさんはこう言いたいんですよね。わたしたちの証言だけでギルドは動かない、と」
「特にダンジョン内でのトラブルはー、自己責任の自助努力による解決が基本だからー」
難しい言葉はよくわからないけど、マリアがシアンを助けてくれてないって事なのかな?
「マリアは助けてくれないの?」
『無理は言わないの。冒険者ギルドの公正が揺らいだら、存在意義がなくなるから』
ノクトは僕の膝の上に前足を置いて、そのまま続ける。
『元々、冒険者なんて荒くれ者の集まりなのに、それがギルドの言う事を聞くのは、強い権力があるから、戦力があるから、経験と知識があるからじゃないわ。ギルドがどんな時でも、どんな相手でも、ギルドがルールに公正だからよ。公正だからこそルールは絶対に果たされる。そうでしょう?』
「ええー。ノクトさんの言う通りですよー。それこそギルドの信頼性はー、『ブリューナクの真実』にも負けませんからー」
「すごい自信ですねぇ。でも、だからこそ、わたしたちも助かります。ルール通りにしてもらえれば、それで十分ですからね!」
うん。
まったく理解できない。
僕以外のみんなはちゃんとわかっているみたいで、どんどん話が進んでしまう。
『シアンの言う通りよ。ギルドの強権なんて必要ないわ。ようは証言を補強する材料があればいいのだから』
「材料ですかー?」
『ええ。見せてあげるけど、ここは狭いわ。場所を移しましょ』
「ねえ、どこに行くの?」
膝の上から下りたノクトを追いかけながら僕は尋ねる。
『すぐそこよ』
「ギルドの素材買い取り窓口です」




