2 ドラゴンさん、ウサギと出会う
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「そもそも、ここって本当に迷宮なの?」
とりあえず、立ったままでいても外には出られないだろうと、僕は適当に歩きながら首を傾げていた。
しばらく歩き続けていたんだけど、誰にも、何にも出会わない。
僕の独り言が高い天井に響いて、そのまま消えていくだけ。
あまりにも退屈で、段々と寂しくなってきて思わず呟いていた。
いや、最悪の事態を考えたくないから現実逃避しているわけじゃないよ。
単純に疑問に思ったんだ。
だって、僕の知っている迷宮っていうのは、強力な魔物がとんでもない群れとなって溢れ出してくるそれなのだ。
こんな静かな感じではなかったし、魔物がいないのも変だ。
「マナは多いんだけどなあ」
マナは世界に満ちるエネルギー。
生命力や魔力の元になるそれは、生き物にも草木にも物にも、この世界の全てに宿っていて、風や水みたいに巡り巡っている。
それで、迷宮はマナの多い所――レイスポットだっけ? にできるって『あの人』が言っていた。
洞窟にはそのマナが溢れているのがわかる。
かなり濃い。
僕が知っているどこよりも。
空気から、壁から、地面から、濃厚なマナが流れていた。
それは迷宮の特徴だって話だから、ここが迷宮でもおかしくないんだけど、それだと魔物がいないのがわからなくなる。
「ま、考えてもわからないや。それより、出口だ」
僕は竜。
昔から考えるのは上手じゃない。
そういうのは頭のいい『あの人』みたいな人に考えてもらえばいいんだ。
どうせわからない事を考えても仕方ないし、その分も足を動かした方がきっと賢い。
「あ」
何も考えないままどれだけ歩いたか。
ペタペタという足音を聞きながら、ずっと歩き続けて、段々と退屈になってきた頃だった。
ずっと変わり映えしなかった洞窟の先が少し変化している場所に出た。
「広い」
前の僕でも翼を縮めれば入れたかもしれないぐらい大きな広場だ。
天井も高くて、鍾乳石が青白い光を強く降らせている。
おかげで広場の隅々までよく見る事ができた。
ごつごつした岩の床も壁も変わらないけど、壁にはいくつも穴が開いていた。
丁度、僕がいま出てきた洞窟と同じ感じの穴で、数えようとしても十個を超えたぐらいで面倒になってやめた。とにかく、たくさんだ。
「あの先も洞窟になっているのかな?」
多分、そうなんだろう。
けど、困った。
さっきも前か後ろかで迷ったのに、今度はたくさんすぎて、どれを選べば外に出られるのかまるでわからない。
しかも、中には地面から随分と上の方に空いている穴もある。
人間になった僕には翼がないから空なんて飛べない。
もしも、上の方の穴が正解だったら、まずそこに辿り着くまでが大変そうだった。
「うまく登れるかなあ……」
人間の手足はまだ慣れない。
歩くぐらいはいいけど、あんまり複雑な動きは不安だ。
まあ、悪い方に考えても始まらないか。
どれが正解なんてわからないんだから、適当に入れるところから入ってみよう。
すぐに出口に着くかもしれない。
「うん。なりたかった人間になれたんだから、僕は運がいいはず……ん?」
ふと、視界の端で何かが動いた気がした。
どこだろうかと見回していると、今度は小さな、でも、確かに自分以外の何かの息遣いを感じ取れた。
気配を辿っていくと、それと目が合った。
「あ……」
岩の影から僕を見つめる赤い目をしたピンク色の毛皮の動物。
森でよく見かけた小さな生き物。
「兎?」
小首を傾げたようなポーズの兎と見つめ合う事、しばらく。
「わぁ、兎って近くで見るとこんななんだ」
竜の時は小さすぎてよく見つめる事もできなかったんだよなあ。
だからって、近づこうとしたら当たり前に逃げられた。
いや、それぐらいならいい方で、中には気絶されたりもした。
こうしてばっちり目が合ったりした時なんて、ショック死された経験もある。
でも、今の僕なら怖がられたりしない。
なんというか、感動だ。
やっぱり人間になれてよかった。
「あ、こっち来る」
ぴょこんぴょこんと兎が近づいてくる。
人懐っこいのか、警戒心が薄いのか、まっすぐに向かってきた。
なんだか、ちょっと心配になってくるな。
逃げられないのは嬉しいんだけど、野生の勘がちゃんと働いてないようだと、厳しい自然の中で生きられないだろうに……。
それならここで僕が保護してあげるべきかもなんて考えている間に、兎は本当にすぐ近くまでやってくる。
「よしよーし、おいでおいで」
なんとなく、昔に『あの人』が僕にしてくれたように手を差し出してみた。
人間の温もりもいいけど、動物との触れ合いもいいものだ。
再び目が合った兎に笑いかける。
そんな僕への兎のリアクションは――
「QUPUUUっ!」
額から鋭い角がジャキンっと飛び出し、鋭い突撃をしかけてくるというものだった。
それまでの微笑ましい跳び方から一変した鋭い跳躍に、もう少しでその姿を見失いかけそうだったけど、驚くのと同時に体がちゃんと反応してくれた。
体中に熱が走る感覚。
すぐに視界が広くなり、物の動きがゆっくりと流れる。
「びっくりし――あいたあっ!?」
角を両手で掴んで、今度は痛みに驚いた。
どうやら兎の角は小さな棘がついているらしい。
そんな危ない物を素手で握ったせいで手のひらに刺さってしまったようだ。
思わず手放してしまいたくなるけど、自由になった兎が再び襲撃を仕掛けてくるとわかりきっているからできない。
でも、このまま掴んでいるのもやだなあ。
空中で足を蹴って暴れる兎のせいで、手の痛みがどんどん強くなってくるし。
「かわいい兎だと思ったのに、とんでもなく凶暴だ、こいつ! っていうか、この角って、ただの動物じゃない! 魔物だ!」
困った。
襲われるのも、痛いのも嫌だけど、どうすればいいかわからない。
いや、襲われたんだから、戦うのが正解なのぐらいは知っている。
でも、問題はその戦い方。
なにせ竜と人間は色々と違う。
兎の魔物に襲われる経験なんてほとんどなかったし、襲われたとしてもこんな角の棘なんかじゃ竜の鱗は傷つかなかったし、大きさが違うんだからプチッとしちゃえば良かったからなあ。
人間の爪はなんだからもろそうだし、牙もない。
「ど、どうしよう? あ、そうだ!」
思い出す。
竜でも人間でも魔物でも、戦う時の基本。
マナだ。
息を吸うのと一緒にマナを取り込む。
胸の辺りが温かくなる感触の直後、マナが確かに自分の一部として塗り替わった実感が得られた。
マナが生命力になった証拠だ。
竜の魂魄が爆発的な勢いで、強靭な生命力を生み出し、全身を駆け巡らせる。
血が、骨が、肉が、肌が、神経が、溢れ出す程の生命力によって強化。
人間の体でマナを使うのは初めてだったけど、これも問題なし。
マナの吸収、魂魄の変換、生命力の活性化、どれも絶好調で、ちょっと最近では感じた事がないぐらい満たされている。
この感覚の違いは、人と竜の違いなのかな?
とにかく、こうなったら兎なんてもう何も怖くない。
「さあ、悪い子にお仕置きの時間……あ」
僕の手の中、兎はぶらんと力なくぶら下がったまま、動かなくなっていた。
さっきまであんなに暴れていたのが嘘みたいに大人しい。
いや、おとなしいというかもうこれは、竜の時によく見た事があったような?
「死んでる」
……ショック死されるとか、僕の方がちょっとショックだよ。
これは僕の人生、幸先が悪いんじゃないか?
いくら兎とはいっても魔物だったのだ。
闘気法でもない、ただの生命力の活性化で魔物を殺してしまうなんて、多分普通の人間じゃできない。
それに魔物が死んでしまうぐらいなら、ただの人間も耐えられない、よな。
「また、怖がられるのか……」
いや、諦めるのは早い。
人間の体でマナを使うのが初めで感覚が違うから失敗したけど、ちゃんと手加減すれば問題ないはずだ。
「難しいよなあ。昔から手加減ってヘタだったし。でも、頑張ればきっと……うん?」
どうすれば人と仲良く暮らせるようにできないかと考えていると、何か変な感じがした。
といっても、兎の仲間が出て来たとかじゃなくて、僕の体の方だ。
なんだか、お腹の感じが痛いというか、苦しいというか、切ないというか……なにこれ?